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■■に捧げるメルヘン  作者: 伊和春賀
3/5

3: Dusk has already left into the far mountain.


 夕闇は既に山の遠くへと消えていました。そこでは安息を求める生命とそれを狙う生命のやり取りがとめどなく繰り返されています。

 暗澹あんたんとした森は生と死の全てを飲み込み、月光さえも奪っていくのです。

 そこは誰も立ち入ってはならない世界です。踏み込めばたちまちその命は(ちり)となることでしょう。

 しかし、それでも獣は今日のかてを得るために、闇夜あんやの森を彷徨さまよいを続けるのです。

 さて、そんな夜のおり、少女は叫び声をあげていました。訳も分からず、ただ叫び声を上げていました。

 少女は儀式が終わってから、いえ、正確にはワインを飲んでからの記憶が曖昧でした。突然、視界が眩んだかと思えば、次に目を覚ました時にはもう、ただ一人、森の奥に取り残されていたのです。

 少女の腕にはロープが繋がれ、そのロープは森で一番古い樹に強く結ばれていました。それは罪人がおりの中に繋がれている姿によく似ていました。

 少女はロープをほどこうと必死に手足を動かしていましたが、それでもロープが緩むことさえことはありませんでした。ロープは決して少女を離そうとはしなかったのです。

 やがて少女は疲れ、その場にへたり込みました。少女の腕はロープでこすれ、青く腫れあがっていました。

 もはや少女にできることは、涙をこぼしながら助けを求めることだけでした。少女は声の限りを尽くして助けを求め続けました。あらゆる助けを、あらゆる救いをか弱き声に載せ続けていました

 しかし、そんな声が村まで届くことはありません。森を吹き抜ける風が悪魔の笑い声のように、全てを掻き消していくのです。

 少女の悲痛な願いは誰にも届くことはないのです。

 それでも、少女は声の続く限り助けを求めていたのです。

 いつしか、風は湿り気を増してきました。それは少女の涙のせいなのか、それとも空が嘆いているのかは分かりません。ただ一つ分かりえることは、もはや少女に涙を流す気力も、叫び声をあげる体力も、もう残っていなかったということです。少女は泣くことも、喚くこともやめてしまいました。

 なぜ少女がこの場所に縛り付けられたのか、少女はその一切合切を知りません。これが雨乞いの為であり、その生贄いけにえに選ばれたのだと、誰も少女には教えてくれませんでした。少女はただ、両親から15歳になったから儀式があると、嘘を告げられただけでしたから。

 自分が何のために死ななければならないのか。それを理解することなく、少女は死を受け入れなければなりませんでした。しかし少女には、こんな理不尽に迫りくる死を簡単には受け入れられませんでした。

 確かに少女は幾度も死を考えました。しかしそれは愚かな行為である既に自覚していました。魔法の使えない者の行く末は地獄の業火です。自ら獄門を開く者がどこにいるでしょうか。

 少なくとも少女は――魔法が使えないということを除いて――不幸に過ごしていたわけではありません。少女は何もしない、いえ、何もできないながらも、あの屋根裏部屋での生活を気に入っていました。あそこでは魔法が使えなくても、魔法のような話を読むことができる。それが少女の小さな幸せでありました。

 そんな幸せをもう感じることはないのでしょうか。

 生きていれば、生きてさえいれば、希望は必ず生まれるはずです。灰かぶりの姫だって、長髪の姫だって、どんな不幸を背負っていても、最後には王子様と結ばれ幸せに暮らしたではないですか。

 そんな願いをもうこいねがうことはできないのでしょうか。


「何が悪かったの?

 私の何が悪かったの?

 魔法が使えなかったこと?

 ああ、神様、私が悪かったわ。

 だから、もう一度だけでいいから、私にチャンスをくれないかしら」


 誰も少女の願いには答えてくれません。全知全能の神でさえも答えてはくれません。いつか読んだ本のように、少女は死に行くしかないのです。例え、それが罪なき罪だとしてもです。

 いつしか、少女の周りには、獲物の匂いを嗅ぎつけた獣が、目をギラギラと輝かせ、涎を垂らし、今にも襲い掛からんとしていました。少女はそれに気付いてか、諦めたように獣に語り掛けます。

「ああ、あなたたちは私を食べようとしているのね。私が肉を食べるのと同じように、私を喰らおうというのね」

 獣の瞳は爛々(らんらん)と光っています。目の前にある最高の御馳走を一片たりとも残さないよう、虎視眈々と見据えているのです。

「私は死んでしまうのね。私は獣の肉となり、私の魂は地獄に堕ちていくのだわ」

 少女は立ち上がる気力さえも失っていました。少女はロープでつながれたまま地面に横たわっていました。

「でも、もし、もしあなたたちに慈悲があるなら、私を見逃してほしいの。私には帰らなきゃいけない家があるの。そこでパパとママが、私の帰りを待っているわ。広いテーブルに温かいスープを乗せて、私の帰りを待っているの。私はスープの冷めないうちにお家に帰って、ただいまを言わなきゃいけないの。だからお願い、私を見逃して……」

 獣は少女の願いを少しは聞き入れたように見えました。しかし、その願いが獣の飢えに勝ることは、遂にありませんでした。

 獣は少女の目の前まで迫っていました。しかし少女は、ナイフのように鋭い牙が月の光を浴びているのを、じっと怯えながら見つめることしかできないのです。獣の足音はいつしか重なり合い、一歩、二歩と少女に近付いていきます。

「ああ、ああ、ああ、やめて、こっちに来ないで……」

 少女の悲痛な願いは獣にも届きません。

 森は一瞬ざわめき経ちました。しかし、それもすぐに収まりました。

 月は雲のベールをまとい、星の刺繍さえも黒に染めてしまいました。やがて、空は涙をポツリと零していったのです。


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