1: This is a once-upon-a-time story.
これは昔のお話です。
今では魔法の力は衰え、そのほとんどが科学にとって代わられました。しかし、まだ地球が平らだった頃、魔法は当たり前の存在だったのです。
箒で空を飛ぶ魔法も、杖の先から炎を出す魔法も、当たり前のように使われていました。かまどに火を点けることも、井戸から水を汲むことも、魔法があってこそ初めてできることだったのです。
ですから、この時代の人達はいつでも魔法が使える必要がありました。
魔法が使えないということは、生活の礎を欠くということ。すなわち、決して一人で生き抜くことができないということに他なりません。
しかし、そんな当たり前に存在している魔法を扱えない少女がいました。少女は幼い頃から魔法を一度だって使えたことはありませんでした。親はそんな少女を哀れに思い、あれやこれや必死になって魔法を覚えさせようとしていましたが、そんな努力も甲斐なく、少女は魔法を使えないまま15年の月日を過ごしていました。こうなってくると両親の愛想が尽きてきて、少女に魔法を覚えさせようなどと考えることはなくなりました。それでも手間だけはかかるもので、家事の一切はできないし、かといって畑の手伝いをするのにも、結局、魔法が必要になりますから、どうしようもなく家にほったらかしにされている状況でした。
少女は少女の方で、魔法を使わなくてもできる手伝いをしようとはしていましたが、居ない方が効率の良いことがしばしばありました。それを少女は、大変心苦しく感じていたのです。しかしどうすることもできないので、少女は日常の大半を屋根裏部屋で過ごし、何をしているかと言えば、ただ本を読んでいるだけなのです。それは、少しでも両親の視界から外れていた方が良いだろうという、少女なりの気遣いであったのです。
少女が屋根裏部屋で読んでいた本は古い本ばかりでした。その内容は示唆に富んだものから、理解しがたいものまで、様々なものがありました。
物語で言えば、灰かぶりの少女が王子に求婚される話だとか、毒林檎を食べさせられた少女がゆくゆくは王子と結ばれる話だとかがありました。それらを少女は大きな興味を持って読みましたが、どれも遠くにあるように感じられました。
だって、どんな王子様だって、どんなお姫様だって魔法が使えるのですから。
そればかりではありません。
どんなに愚かな小人でも、どんなに醜い老婆でも、いえ、草花や鳥、蝶といった、ありとあらゆるものさえもが魔法を使える話なのです。
それは、どの話でも当たり前でした。そうでない話などありえなかったのです。
少女のような不幸な状況から幸福になった話ではありましたが、結局、全ては魔法が使えてこそなのです。
少女は屋根裏部屋の本をすっかり読み終えていましたが、それでも魔法が使えない人間の話は、たったの数話しか知りませんでした。ただ、そういった話も結局は、魔法を使えない人間が魔法を使えないが故に苦労し、差別されるだけなのでした。
結局、魔法が使えないということは大きな枷として、そういった人間を苦しめるのです。
そんな状況に置かれた少女は、幾度も死を考えました。どうせ家族の重荷になるのであれば、自ら死を選んだ方が良い、そう考えたのです。
少女は台所から包丁を取り出して喉元に当てたことが何度もありました。しかし、そのたびに少女は躊躇い、その切っ先で首筋に傷一つ付けることができなかったのです。
少女は、本当は生きていたかったのです。
死は必ずしも救済になりません。それを少女は屋根裏部屋の本から学んでいたのです。特に少女の場合は、死は自身の救済にならないことを重々承知していたのです。
魔法が使えない人間を扱った数話の物語のうちに、魔法を使えない男の話がありました。その話で男が魔法を使えないでいたのは、神を幾度となく騙したためであるとされており、神の怒りに触れた男は現世で魔法を封じられ、あらゆる苦痛を被ったのち、それに耐えかねて、死に救いを求め自殺するものの、ついには地獄に落ち、現世と同じようにあらゆる苦痛を被ったというものでした。
もちろん少女は、神を冒涜したことは一度もありませんでした。しかし、赤子の頃か、それとも胎児の頃か分からないけれども、記憶にないどこかで神を貶めて、あの話に出てくる男と同じような罪を背負ったのだと考えました。
そう思うと、地獄に落ちるさまが目の前に浮かぶようで、自分を殺すに殺せなかったのです。少女はあの話に出てくる男よりも多少は恵まれている状況にはありましたから、いつまでも終わることなく火で焦がされ続けるような、一切の希望もない地獄で責め苦を受けたくはなかったのです。
こうして、少女は死ぬに死ねず、かといって一人では決して生きられない、心苦しい生活を続けていったのです。
そんな少女が日の目を見ることはありませんでした。
少女はいつものように屋根裏部屋にこもって、色あせた本を読み進めるばかりです。
ところで、この時、外では大変なことが起きていました。
日照りに続く日照りで、村の池はすっかり干上がっていました。村中の人々を総動員した魔法で少しばかりの水を工面することはできましたが、このまま日照りが続けば、もはや魔法でも間に合わず、大切に育てていた麦がすっかり枯れてしまいます。この麦が無くては、村の生活は立ち行かなくなってしまうことでしょう。
そこで、村では雨乞いが執り行われました。いくつもの祭具や生贄が次々と捧げられていきますが、ついに雨が降ることは有りませんでした。その後も村に伝わる様々な術式や祈祷を尽くしてみたもの、雨どころか雲一つさえも現れることはなかったのです。
村中の人々は夜な夜な集会し、どうしたものかと考えていました。すると一人の老人が、もはや人間を生贄にするしかない、と言い出したのです。
生身の人間を生贄にすることは最後の手段です。しかし、他の手は尽くされていました。
問題は誰を生贄にするかです。皆々は口を閉ざし、目だけで会話をしていました。誰も彼も、自分やその身内を生贄にはしたくなかったのです。
そんな中、一人の男が沈黙を破りました。
「私の娘を生贄にすればいい」
その場にいた全員が驚き、安堵しました。長老は男に尋ねます。
「本当にいいのかや?」
「ああ、私の娘は無能でね。こんなに苦しいご時世だっていうのに本を読むしか能がない。生贄にしてくれた方が、むしろ生活が楽になるってもんだ。口減らしできるのなら、それでいい。しかし、それ相応の対価は貰いたいね。大切な一人娘を村の為に使うわけだからな」
村の大人たちは男と話し合い、彼の娘を生贄にする代わりに相応の金額を支払うことで合意しました。そして、生贄の儀式をいつ、どのように執り行うか、詳細に決められていったのです。
そんなことはつゆ知らず、少女は今日も屋根裏の本を読みふけっているのでした。