中年サラリーマン(異世界の)大地に立つ
顔を上げればビルに邪魔されることなく見える白い雲。
足元を見ればアスファルトで覆われていない土の地面。
カビや埃のにおいではなく、草木の香りがする空気が肺を満たしていく。
先ほどまで仕事終わりにいたオフィスから見る景色とは明らかに違っていた。
都会らしさゼロ。
田舎らしさ百パーセント。
そう、ここは異世界。
ついに念願の異世界の大地に立つことが出来たのだ。
さようなら今までの自分。
こんにちは新しい自分。
今この瞬間、ここから新しいイナバシュウイチとしての人生が始まるのだ。
中年サラリーマン大地に立つ。
立つことは出来た。
出来たのだが、目の前に広がるこの光景はどういうことなのだろう。
眼の前には今にも朽ち果てそうになっている木造の建物。
想像していた商店とは明らかに違う外観。
いや、なんというか、もう朽ち果てて壊れる寸前。
蔦はからまり、天井からは樹が生えている。
あれ、雨降ったら間違いなく雨漏りするやつだ。
それに、入り口の扉は壊れて意味を成していない。
商店のカウンターらしき部分は真っ二つに割れている。
一言で言えば、廃屋。
良い言い方をすれば、そうだなぁ、廃屋かな。
「エミリアさん、眼の前に見えるあの建物が私の商店ということでよろしいのでしょうか。」
思わず聞いてしまった。
まさかとは思うが、他にそれらしい建物もなし。
聞かなくてもわかるだろうというレベルではあるが、思わず聞いてしまう。
「そんな、この前確認した時はもっとこう新築で綺麗に仕上がったばかりで、ここが私の新しい職場だって感動したのに。え、なんでどうしてこんなことに。」
どうやら当の本人もショックを受けているようだ。
それはそうだ、これから自分が働こうという職場がこの有様なのだから。
これで働けというのはいじめ以外の何者でもない。
そうか、そういうことか。
鬼女が先ほど一悶着した腹いせにここをめちゃくちゃにしたのか。
そうだ、そうに違いない。
そうでなければおかしい。
きっと、あの女が自分の持てる権力のすべてを使ってここを変えてしまったに違いない。
これでは働くことも出来ない。
むしろ、生きていくことも難しいだろう。
野宿とサバイバルで心をすり減らし、ボロボロになったところで失敗をつげに来るのだ。
首桶を持ち、高笑いをしながら幼女が迫ってくるのだ。
首を差し出せと。
なんと恐ろしいことか。
これがあの女のすることなのか。
「シュウイチ様少しお待ちください。今すぐ確認を・・・。私です、エミリアです。人事総括部をお願いできますか。先日の新ダンジョン商店の件で・・・えぇそうです、はい。おねがいします!」
エミリアが誰もいないところに向かって大慌てで話しかけている。
念話とかテレパシーの類だろう。
自分にも経験がある。
イレギュラーな事案に対してクライアントを待たせての電話。
部署に確認しているときの不安、そして焦燥感。
営業の経験がある方ならわかるのではないだろうか。
あの時間ほどいやな物はない。
後ろの視線が痛い。そしてなにより原因不明の事柄についてイライラする。
なんでやねん!と、思わず叫びたくなる。
今であれば携帯電話を持っているので通話をしているのがわかるが、何も持たず虚空に向かって話しているのはなかなか絵図ら的には面白い物があるな。
なによりも、あわてているエミリアも可愛い。
うむ、慌てた顔も良いものだ。
見つめててもいいのだが、暇なので改めて廃屋に目を向けてみよう。
立派な廃屋だ。
木造2階建て、一階部分はおそらく商店で上部は宿か居住空間だろう。
ダンジョンに向かう人用に入り口とは別の部分にカウンターがおいてある。
あそこで売買をして、飲食や宿泊の人は大きい扉から中に入るのだろう。
中は見えないが、そこそこ大きな建物だし出来上がったばかりのときはさぞ綺麗だったのだろうと思われる。
見上げると2階部分のさらにその上部から突き出ているのは立派な大木。
屋久杉とかそういう類のような大人が3人ぐらい手を広げあってやっと1周できるような立派なやつだ。
屋根は人為的に破壊されたというよりもあの感じだと成長して突き破ったというような感じだろう。
ドアも壁も破壊されたというよりも風化して朽ち果てて行ったような感じだ。
田舎の家がそうだった。
家は人の手が入らなくなると急速に劣化していく。
亡くなった祖母の家は1年足らずで人が住めないぐらい朽ち果ててしまっていた。
見た感じがまさにその朽ち方と同じである。
もしかすると鬼女の仕業ではなく、自然にこうなったと。
いや、ついこの前新しかったといっていたわけだしそんな急速に朽ち果てるようなこともあるまい。
しかし、どこをみても斧などの刃物で傷ついた傷は見当たらない。
魔法のようなもので朽ち果てさせたことも考えられるが、そもそもそんな魔法があるのかどうかもわからないし、わざわざそんなことするぐらいなら爆破してしまったほうが早い気がする。
うーむ、どうしてこうなった。
「ええ、そんな。この前は確かに。はい、そうですが・・・それでは話が違います。何とかならないのでしょうか、せっかくきて頂いたのにこれでは・・・。メルクリア様の方には話は通っているのでしょうか。いまからなんて遅すぎます。」
向こうは向こうでなにやら大変なことになっているようだな。
もうちょっと暇をつぶしとするか。
廃屋から少し奥に見えるぽっかりと開いた洞窟がおそらくダンジョンなのだろう。
その距離約300メートル。
近すぎず遠すぎず、ここで装備を整えて冒険者はあの洞窟へと向かっていくのか。
街から離れすぎていくまでに消耗するような場所だったら流行らないだろうしなぁ。
ドラ〇エ3のナジミの塔なんて村からしこたま歩かされて、ついたと思ったら地下洞窟通ってやっと塔の下に到着だしな。まぁ、あれは地下に宿屋がある良心設計だから許せるけれど。
攻略前にモンスターに襲われて消耗って言うのが一番無駄だからな。
もちろんレベル上げ前提で一度戻るのであればかまわない。
しかし、いざ攻略と意気込んで進むところを出鼻くじかれるとモチベーションが駄々下がりしてしまう。
スムーズに、スマートに攻略したい。
ん、あそこに見えるのはなんだ。
洞窟に続く道を横切っていく丸くて小さな動くモノ。
リスとかねずみとかそういう小動物の動きとは全く違う、這うように動く生き物。
おお、こっちに向かってきた。
なんていうか、ぶよぶよしてやわらかそうで冷蔵庫で冷やして食べると美味しいわらびもちのような外見。
スライムとかぷにとかポリンとかジェリーとかババロアとかそんな感じのやつ。
現在目標まで200メートル。
大きさ的には30cmぐらいか。
ロックオンしたようにまっすぐこっちに向かってくる。
おそらくモンスターだと思う。
見たことないし、ゲーム的経験から言って間違いない。
さすが異世界。
到着して僅かな時間でモンスターとのエンカウント。
こっちは丸腰、武器防具なし。
装備:スーツ
道具:ボールペン
素手で倒すという選択肢もあるけれど、モンスターの設定しだいでは酸で出来てたり溶かしてきたりするからむやみやたらに攻撃していいものでもない。
ひとまず様子を見て、スルーするのか、はたまたエンカウントして攻撃してくるのか。
標的まで後100メートル。
お、こっちに気づいた。近づいてくる。
ターゲットロックオンっていう感じだな。
うん、エンカウント決定。
近くまで引き寄せて何か手ごろな物でも投げてみるか。
いいところに、手ごろな石が。
出来るだけ接敵して、目標まであと5m。
よし、ピッチャー振りかぶって第一球投げました!
おお、めり込んだ。
石は、溶けはしないけど体内に残るのか。
スライムはそのままじわじわと寄ってくる。
む、体当たりしてきた。
動きが遅いからよけるのは簡単だけど。
どうするべきか、素手で攻撃するべきかはたまた棒でも探すか。
作品によってはスライムには核があってそこを攻撃すると死ぬっていうのもあったな。
石のある部分だけ少し色が違うし、おそらくはあの部分が核もしくは内臓部分だろう。
一か八かボールペンで刺してみるしかないか。
腕が溶けたらそこまで。
動きを見て、横に回りこんで、心の臓をひとぉぉぉ突きぃぃ。
核の部分らしきところにボールペンの芯が刺さったその瞬間、スライムがゲル状の原型を維持できずに溶け出した。
うまくいったな。なるほど、核を破壊すると体を維持することが出来なくなって溶け出すのか。
これって倒し続けたらいつかレベルとかが上がったりするのだろうか。
いつかはレベル100になって英雄になれるかもしれない。
レベル100になって自分でダンジョンを攻略して、魔王なんか倒しちゃったりして、
世界の英雄になって、美女たちに囲まれる老後を送るんだ。
お爺ちゃんは昔世界を救った英雄なんだよ、なんていってみたい。
「シュウイチ様お待たせいたしました、今本部のほうに確認を取ってみたところ・・・、スライムじゃないですか大丈夫ですか!」
振り返った瞬間目を見開いて驚くエミリア。
振り返るとそこには溶け出したスライムの成れの果てと、ボールペンを刺したポーズの自分。
そりゃあ、ビックリするよね。
「とりあえずはまぁなんとか。やっぱりスライムだったんですね。」
「申し訳ありません、私が目を離したばかりにご無事で何よりです。スライムはダンジョンや森に生息するゲル状の魔物です。魔物の中では非常に弱い部類なのですが、叩いても潰しても効果がなく核を破壊しなければ倒すことが出来ません。核も非常に見つけにくいのでそのまま倒すのであれば魔法で倒すしかない厄介な魔物なんですよ。その魔物を倒してしまうなんてさすがシュウイチ様です。」
物理無効バフのかかった魔物か。
今回はたまたま石を投げた部分が核とわかったので倒すことが出来たが、今思えば非常に危険な相手だったのかもしれない。
「ちなみにスライムはどのように倒されているんですか。」
「片栗粉を使います。」
「片栗粉、ですか。」
「はい。スライムは体組織のほとんどが水で構成されていますので片栗粉を混ぜると核以外の部分が固まってしまうんです。正確にはドロドロとした部分が増えて動きが弱まり核の部分は液状のままなので判別しやすくなります。そこを攻撃してしまえば問題ありません。」
なるほど、片栗粉は水に混ぜて熱を加えるととろみをつけることが出来る。
その作用を利用して動きを弱め、副産物として判明する核を的確に攻撃する。
理にかなっているといえば理にかなっているか。
「片栗粉なしで物理攻撃のみで倒されたわけですからすごいことですよ。どうやったのか教えてほしいぐらいです。」
ただボールペンでさしただけなんていえない。
「たまたまですよ。運が良かっただけです。」
「そんなことありません、さすがシュウイチ様です。私は魔法が使えるのであまり気にしたことはありませんでしたが、普通は皆さん苦戦するモンスターですから。」
褒められ過ぎて心が痛い。なにより、純粋な心でほめてくれるエミリアの心がまぶしすぎる。
この薄汚れた心にはまぶしすぎて目も開けられねぇや。
「そういえば、本部のほうと確認が取れたと言っていましたね。詳しく教えて頂けますか。」
そもそもこの廃屋が事の発端である。
詳しく教えてもらおうじゃないか。




