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恋するキミと拒む私の攻防戦  作者: 伊那
二章・それから
8/8

 朝晩が冷えるようになり、暑かった日差しがいつの間にかゆるやかになっていた。

 ご飯を食べたあと、私は少しうたた寝をしてしまったようだ。

 今日は私がコック役に立候補したので片付けはキミがすると言って、私は座らされた。お腹がいっぱいになって体があたたまったせいか眠りに落ちた。

 熟睡せずに目覚めたが、私はなんだか頭がぼんやりとしていて、テレビの前に腰かけて携帯電話をいじる青年の姿に不思議になった。

 他人が私の家にくつろいでいるのが、当たり前のようになったのはいつからだろうか。最初は違和感や緊張があったのに私の目にはもうすっかりなじんでしまった。

 今でも時々、このままではいけないと思うのだが、私は相手を傷つけたくないからと言い訳して、この居心地のよい空間に浸かっていた。

 私たちの関係性は、六年前と何も変わらない。ただ、あちらが私の家に入り浸る時間が増えただけ。ご飯を食べて話をして、出かける予定を立てたりして余暇を過ごし、別れる。

 彼は意外なほど、多くを望まない。

 だからこそ私は今の時間を受け入れられる。

 このままでいいはずがないのに――

「あ、起きた」

 携帯電話から顔をはなしてキミは言った。

 私は、いつかこの穏やかな時間が夢のように覚めてしまう気がしている。

 だから、本当は彼に心を分けてはいけない。

 だけど、無邪気なキミの顔を見ると胸の奥が窮屈になる。

 私は、どうしたらいいのだろう。

「今日どうする? 電気屋さん行きたいって言ってたよね」

 私がうたた寝をしたのでキミは私が疲れていると思ったのか。あるいは引きこもり気質が出かけるのを億劫にさせたと考えたか。

「……行く。行きます。でも何電池だったっけ……。目覚まし時計用に電池を買いたいんだけど」

 目覚まし時計の電池が切れたので買わなければならないが、単四だったか単三だったか忘れてしまった。私は立ち上がる。

 今時電池くらいはコンビニでも売っているけど、家電量販店に売っていそうな他のものもチェックしたい。

 ベッドの周りに置いてあるはずの目覚まし時計を探していると、キミも手伝うかのようにきょろきょろしはじめた。

 私は目覚まし時計を定位置に置いていないのですぐには見つからず、彼がベッドの下まで捜索する。

「あ、あったよ」

 キミが体を起こして取り出したものは、目覚まし時計だけではなかった。

「なにか他にも落ちてたけど……この箱が」

 私が目を向けると、見覚えがあるがしばらく存在を忘れていたものが彼の手にあった。

「それは……」

 焼き菓子の入っていた、少し大きな缶の箱。あれに何を入れていたか、どうしてわざわざベッドの下に隠すようにしていたかを思い出して私は慌てた。

「い、いやらしいものが入って、あああぁぁ」

 言い終わる前にキミは箱を開けてしまった。

「今更そんな手は通じませんよ、ハルさん」

 彼は既に私が何かを隠したい時に使う言葉を把握しているようだった。

 缶の箱の蓋を床に置き、キミは箱の中身を手でかき分ける。

「……なにこれ、ルーズリー……フ」

 私はうなだれる。彼はあっさりと箱の中に入っていた紙片を取り上げる。

「これって」

 だが今からでも遅くないと思い直し、キミにつめよって箱を取り返そうとした。

「返してください。はやく」

 彼は立ち上がって私の手から逃れる。私はなんとか箱に手を伸ばすが、あちらも手で私を押しのけてくる。体格に差があるために私の努力は無駄になり、彼は攻防の間にも紙片に書かれていたものを読み取ってしまった。

 私はもう、手を伸ばす気力を失ってしまった。

「……これ、全部、取っておいたの?」

 捨てられてると思ってた、とキミは続ける。

 缶の箱には、やや驚いた顔をする目の前の彼から昔もらった手紙が入っていた。二つ折りにしたルーズリーフに書かれた手紙が、何枚も、いや何通も箱にしまってあった。

 私だって何度も捨てようとした。そもそも、受け取った直後には中身を確認しようともしなかった手紙もある。

 決別の日のあと、一度も読み返す事はなかった。それなのに、どうして捨てられなかったのだろうか。

 彼は床に座って、箱の中身をすべて取り出した。いくつかを手に取ってルーズリーフを広げる。

 私は恥ずかしくなって離れた場所にあるソファーに座った。

 しばらくの間、彼は空になった箱を眺めたり、重なった紙の束を数えるようにめくったりした。

 なんで、無言。

 ああもう、女々しい自分の性格は分かっていますとも。

 なんとか話を変えなければ。そもそも最初は目覚まし時計を探していたはずだ。電気屋さんの話をしよう。

「……ねえハルさん。あの頃……あなたは、何を思っていたの?」

 私が息を吸った瞬間に、他の話題を封じるようにキミが問いかけた。

 そんな事はよく覚えていない。私は家電量販店の話をしたり天気の話をしたのだが、キミはそんな事にはごまかされなかった。缶の箱も返してくれず、私の目を真っ直ぐ見る。

 先に目を逸らすのはいつも私の方だ。

 どうしろって言うんだ。

 私は疲れたように息をつく。

「キミは、ほんとに……頑固ですよね」

「ハルさんの事だから、だよ」

 あなたの事だから諦めたくない。そんな風に聞こえて、私は気まずくなった。

 思えばキミは本当に頑固だ。

 だから今、ここにこうして私の前にいる。

 諦めるのはいつも、私。

「あの頃、私は――」

 なんとか思い出そうと記憶の糸をたぐる。

 あの頃――今も、私は自分の事で精一杯。

 他者の機微に疎い私。

「私はキミを勘違いしていた。私が思っていたより強くて……だから、キミを知るたび自分に恥ずかしくなった。キミを侮って、軽んじてさえいたみたいに思えて」

 小さく彼は笑った。

「なんか、ハルさんの中で俺の存在が美化されてる気がする」

「そんな事……」

 顔を向けると、キミは呆れたみたいな笑みを浮かべていた。

「だって、会ったばかりの頃って俺、ただの中学のガキだよ? バカだったし、考えなしで、ハルさんが思うようなしっかりした子供じゃなかった。そう見えたなら外面よかっただけじゃないかな」

 そうだろうか。

 私は、相手が小さな子供だからといって、人間ではないかのように振る舞うのは正しいやり方とは思えない。子供であっても心というものは複雑だ。

「……本当は、何かの形で、キミの支えになりたかった。でもキミはそんなもの必要としてなくて、私はとても弱くて」

 小説をひとつ、一人の少年に捧げたのもそのためだ。いつかキミがあの話を読んで、心の支えにしてくれたら。そんな傲慢な思いが私に一冊の小説を書かせた。

 でも、実際にキミを知れば、キミに小説も私も必要ないと分かった。支えが欲しかったのは自分の方だったのではないかとさえ思えて、私は愕然とした。

「いつかキミの方が私を支えようとする気がして、こわかった」

 いつかこの子がちゃんとした大人になって、私が支えを必要としていると気づいてしまったら……私は耐えられそうになかった。

 今こそ、その想像が現実になってしまった時なのかもしれない。

 私は変われない。

 気配がして、ソファーにキミが座っていた。

「支えたら、だめなの?」

 私のすぐ隣で、キミは困ったように瞳を揺らした。

「今も、ハルさんの中で俺は好きな人さえ支えられない子供のまま?」

 キミは背が高くなり、顔立ちも少し変わってしまった。でも――眼差しの奥はあの頃と変わらない。

「それは……違います、けど……」

 頼って、いいのだろうか。未だにそれは分からない。私は誰かに頼りたいのだろうか。支えられたい訳ではないはずなのに。

「そういう訳ではなくて……」

 では、どうなりたいのか。

 このまま、ただの友人に近い関係性でいていいはずがないと分かっているのに。

 私は、彼に対してひどくもったいぶった態度を続けているのかもしれない。好意を向けられても突き放しもしない。かといって付き合う訳でもない。

 ただただ、中途半端な関係を惰性で続ける。

「ねえハルさん」

 また俯きかけた私の顔を、キミの声が上げさせる。

「もしかして、あの頃から俺ってけっこう愛されてた?」

 軽い声、控えめだが嬉しそうな瞳。

 私の顔は熱くなる。

 もらった手紙を取っておいた事から、そう思うのだろうか。そんなはずはない。慌てて私は言い訳を探した。

「それは、その、おとうと、みたいに思えて……兄弟がいなかったからこんな風かなって、そういう好意くらい……」

 急にキミは顔をしかめた。

「ハルさん。弟は、だめ。ちょっとムカつく」

 反論を許さぬ力で抱きよせられ、私はいろんな意味で混乱した。

「なんで……」

「身内とか友人みたいっていうのは、恋愛対象外の証し」

 ううん……それは、そうか。

 でも思えば、過去の私には、キミを弟のように感じていたところもあった。

 というか、離れてくれないのでしょうか……。

 私は手で彼の体を押したが、あまり意味はなかった。

 服越しに伝わってくる体温。確かに今はもう、キミを弟のようとは思えないのだけど。

「今は?」

 耳元での声に、私は小さく身をふるわせた。

「今も、俺はまだ……」

 体を離した彼が切実な顔と声で訴えてくる。

 鳥羽マサトをまだ弟と思っているか? その質問には答える事は出来る。だがもし彼が、その先にもうひとつ質問を用意しているのだとしたら――私は答える事が出来ない。

 私は、何も言えなかった。

 なのにキミは、何かを探すような必死な瞳を、やめた。

「……ハルさ……」

 息をのんだのは、キミか私か。

 まるで初めて出会ったみたいに、私をじっくりと見つめる瞳を避けようとしたのに――

「キスしていい?」

 身動きが取れなくなる。

 だめだと言うより先に彼は私の唇をふさいだ。

 そして私は――彼を拒めないのだった。






 完

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