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恋するキミと拒む私の攻防戦  作者: 伊那
二章・それから
7/8

「マサトって、最近なんか変わったよなー」

 春休み明けに大学に行ったら、そんな事を言われた。

「……そう?」

 正直なところ自覚はない。今年に入ってから大きな出来事があったからその影響か、という推測は自分でも出来る。だからといって自分の変化には自分では気づけなかった。

「そうだよ。前はなんつーか、フレンドリーだし気が利くし誰にでも優しいしって感じだったけど、それでもなんっか壁あったっつーか、一定のところまでしか他人を立ち入らせない感じがあったんだよな」

「……そうだった?」

 祐二(ゆうじ)いわくの“以前の鳥羽(とば)マサト”についても自覚はない。俺はそんな風に見られていたのか。

 確かに、十代の頃と比べたら他者に優しくなれた気がする。中学の頃なんて周りの人間のほとんどが敵だった。今は、相手を敵と見なさずに済んでいる。世渡りが上手くなったというか。

「で、今の俺はどうなの?」

「えー、なんだろ。前より優しくなったかな」

「前から優しいって思ってたんじゃなかったか」

「ちょっと前のお前優しさって、ぶっちゃけ他人事っつうか、どっか義務感あったんだよね」

「……まじで?」

 そんなつもりはなかったのに、意外な事実だ。他人から見る自分と自分で思う自分は違うとは、時々聞くがこういう事か。

「今はなんか、こいつホントいいヤツなんだなってしみじみ思う優しさ?」

「お前の中で以前の俺どんだけひどいやつだったんだよ」

「いやそこまでじゃないけどー」

 祐二の腹に軽いパンチを食らわすと、やつは笑いながら言い直した。

 俺が少し前と変わった、というのなら理由はひとつしかないだろう。

 春川アオイのせいだ。


 うちの大学からは電車で二十分。自分の家に帰るには少し遠回りになるが、上手い具合に大学で使う路線の途中に、ハルさんの自宅はあった。

 事前にケータイに訪問の連絡を入れていたが、夜になっても返事は来ない。仕事の打ち合わせ中か、集中して小説を書いているのかもしれない。

「あれ、電気ついてない」

 ハルさんのうちが見える頃には家主の不在が分かった。

 まるで、十代半ばだったあの頃みたいに、春川アオイの家を仰ぎ見る。あの頃も、俺はハルさんが在宅かどうかを部屋の電気で判断していた。


 今となっては、あの頃、本当にあの人に恋をしていたのか分からない。ただ、彼女がとても大切だった事は間違いない。

 最初は怯えるばかりだった両親のひどい喧嘩に、飽いていた頃。誰一人他人が信じられなくて、学校でも教師にも生徒にももてあまされた。

 別にそれでよかった。俺はただこの世界を憎む事で生きていた。

 それなのに、あの人は――まるで親戚のおばさんみたいに自然にひょいと俺の人生に入りこんできた。

 そう、最初はおばさんと思った。年上の女の人なんてみんなおばさんだという考えだった。なのにハルさんは話してみれば全然子供みたいで、お姉さんというより同じ学校の先輩みたいだった。

 家庭や学校以外の場所では大人は大人同士、子供は子供同士で過ごすのが当たり前みたいなところがあったから、大人のお姉さんが俺みたいな子供と話したがるのが不思議だった。

 はじめは大人に気に入られているという妙な優越感もあった。彼女が小説家だというのも、なんだかすごい人と知り合いになれたと思えた。

 それから――それから。いつから、なんて覚えてない。

 あの人に会えるのがうれしい、そんな風に思うようになった。

 学校帰りに彼女の家の前を通ると彼女が目前にいる訳でもないのに緊張した。あの窓から顔を出してくれないか。玄関から本人がやってこないか。あちらも帰宅途中で、俺を見つけてくれないか。そんな事ばかり願った。

 どんな意味でも、あのひとが、好きだった。

 恋を自覚すると、それを相手に伝えたくなった。それが相手を困らせるとは知らずに。

 その事で何度も意見が衝突して、俺はハルさんと喧嘩した。その最たるものが、俺たちの関係を終わらせた。今思えば奇妙な縁でつながっていた二人は、あっけなく他人になってしまった。

 あの時は、堪えた。

 俺はまた他人を信用したくなくなったし、あの人に嫌悪を覚えた。

 それでも彼女の小説が出ると買ってしまい、来るはずのない彼女からのメッセージを求めて小説の文面をたどった。

 けれど高校に入って環境が変わったせいか、少しずつ俺の視野は広がった。

 まだ少し他人を敵と見なしてしまう事もあったが、なにか新しい事を求めて様々な事に挑戦した。

 中学からやっていた陸上は部活としては続ける気になれなくて辞めてしまったが、代わりにバイトや生徒会活動に参加した。

 クラスの女子に告白されてつきあう事にしたのも、恋人が一度もいなかったから、試しに男女交際を体験したいという思いからだった。

 今思うとイヤなやつだ。ただ単純に、好意を向けられて嬉しかったのもあったはずなのに。

 自棄になってもいた。本当に好きな人とは結ばれないのだからどうだっていいと。

 それでいて当て付けでもあった。恋人の出来た俺を見て、あの人が傷つけばいいと。その頃にはハルさんは近所にはいなくなっていたけれど。

 新しい事を求めたのは、新しい記憶が、過去の記憶を上書きして消してくれると信じていたからだ。だから新しく好きな人を作ろうとしたけど――だめだった。

 最初の恋人ははっきり言って告白されたからつきあっただけで、すぐに別れてしまった。

 次の恋人は、元々友達として仲良くしていたから好きになれそうだった。他の友達に冷やかされて、気恥ずかしかったけどなんだか楽しかった。

 でも長くはもたなかった。この頃にはもう、春川アオイの事を考える時間は日に何度もなかったのに。

 大学に入ってからも一人恋人が出来た。このくらいの年頃になると、女子はもう大人びた事を言うし鋭い推察も出来るらしかった。

『あなたは、わたしじゃない誰かを好きみたい』

 別れ話の時に言われた。

 大学は高校までと違って自由で、やれる事の幅がとても広かった。長い夏休みに春休み、午前は寝てられる時間割。有り余る時間で何にだって挑戦出来た。サークル活動に、飲酒喫煙が出来る年齢を迎える。

 自分ではもう、過去の自分とはさよならして大学生活を自由に満喫しているつもりだった。

 周りの友達もいいやつばっかりで、他人を敵になんか思えなくなっていた。仲間を大切にしたかった。自分を大切に出来てると思っていた。

『あなたは、本当は自分の事が嫌いなのよ』

 その恋人は俺を見透かすみたいに分かったような口を利いた。

 祐二が言ったように、自分でも、どこかで優しくてフレンドリーなやつを演じていたと分かっていた。

『でもそんな自分を受け入れてくれたはずの人が、もういないと思ってる。そんな風に見えるの』

 なんて事を言い出すのかと、恐ろしくなったが、そこまで言われてはもう一緒にいられなかった。

 突きつけられたのは、過去の呪縛からは抜け出せていないという事。

 春川アオイの言葉から解放されないでいる自分。いや、言葉じゃない。彼女の拒絶から、立ち直れていない――。

 自己嫌悪の嵐だった。

 忘れられたはずだったのに、まだ引きずっているのかと。

 俺はただ純粋な気持ちだったのに、壁を作ったのはあっちだ。自己を正当化するために、あの人をまた恨みはじめた。

 それも普通の日常を繰り返すうちに少しずつ薄れ、俺はまた過去を忘れられるはずだった。

 成人式のあの日、彼女にふたたび出会うまでは。

 あんな風にあっさり、再会を果たすとは思っていなかった。

 春川アオイは変わらなかった。手入れが行き届いているとはいい難い、ボブカットの黒髪。化粧なんてまったくしていない顔。マフラーに埋もれさせた顎。ぱっとしない色のコート。

 はじめて会った冬と、たいした変わりのない顔立ちで、春川アオイはぼけっと突っ立っていた。

 元恋人によって呼び覚まされた痛みが――強くなる。

 こわい。あの人に何を言ってしまうか分からない。ひどい言葉を投げつけそうで、自分が怖かった。

 いや、また拒絶されるのが、恐ろしかった。

 だから先制攻撃をしたのに、相手は泣きそうな顔をして、謝罪をしてきた。

 はっきりと苛立った。何を今更。何の謝罪だ。何が――

 凶暴な気持ちになった。それと同時に、すべて許せる聖人のような気持ちも抱いた。

 このひとに会いたかったんだと、気づいた。


 ハルさんの今の家に合鍵を使って入る。勝手に電気をつけて部屋の奥まで進むと、人が机につっぷしているのが見つかった。

「……なんだ、寝落ちか」

 部屋の明かりがついてなかったのは、電気の要らない時間に眠りについてしまったからだと分かった。

 ダイニングに置いた机の上にはノートパソコンがあり、周りに紙や本が散らかっていた。その真ん中でハルさんが眠りこけてる。彼女は小説を書いていた途中だったのだ。ノートパソコンはスリープモードになっている。

 俺は荷物を置いて、彼女の座るソファーに腰かけた。

「ケータイに着信……」

 ノートパソコンの脇にあるハルさんのケータイがチカチカと一部ランプを点滅させている。

 彼女が寝ている間に、仕事の電話が来ていたのかもしれない。

 彼女を起こした方がいいのだろうか。俺は迷った。

 横を向いた顔で眠る彼女の頬に、指先で触れた。

 あの日、この人が用があるはずのない我が家の近くにいた事を思い出すと不思議な気分になる。

 どうして彼女を許してしまえたのか――


『なんでここに』

 まだ俺を傷つけるつもりかと、警戒さえしたはずなのに。

 生きた春川アオイを見るだけで、思い知ってしまった事があった。

『……会いたかった』

 ただそれだけなのかもしれない。

 俺は彼女に認めてほしかっただけなのかもしれない。

 忘れていたはずだった。確かに過去の記憶として封印出来た時もあった。

 けれど、

 この気持ちは“一過性のもの”ではなかった。

 氷が融解するように、俺の凝り固まった気持ちは溶けてしまった。

『キミを……拒めない私を、ゆるして』

 とっくに許していた。本気で恨んでなんかいなかった。

 気がつけば、手を伸ばしていた。

 たくさん傷ついたけど、腕の中に閉じ込めたぬくもりが離れないので――それだけでもう、よかった。

 ずっとずっと、この人にふれたかったんだ。


 結局その日はハルさんを自宅まで送っていった。

 そこで彼女の現住所を知った俺は再訪を誓った。

 そういえば俺の気持ちが一過性のものじゃなかったら、告白を受け入れると言われた気がする。

 あの人は、どうせ俺のところには来ない。だったらこちらから行くまでだ。

 そうして今日まで、ハルさんの家に俺が押しかける事で会っている。

 眠る横顔に、髪が落ちている。それを彼女の耳にかけてやる。

「……ハルさん」

 子供の頃に呼ばれたあだ名だというそれを、俺が未だに使う理由は自分でも分かっている。

『ハルさんは誰にでも“きみ”って呼びかけるんですか』

『これは、名前で呼ぶのが照れくさいんです。それがいつの間にかくせになって』

 会ったばかりの頃にこの人が言っていたのと同じだ。

 ちゃんとした名前で呼ぶと、こちらの好きばかりが増してしまいそうで、困る。

 自分の立場は分かっている。中学の頃と変わらない。この人は俺をまだ受け入れられてはいない。ただ、拒絶出来ないだけ。

 でも。

 ほとんど毎週のように押しかけても嫌な顔ひとつしない。むしろ安心したみたいな顔をしてくれる。前みたいに大人ぶって俺を子供扱いしない。

 たぶんきっと、俺の好きとは分量が違うんだろうけど、少しは自惚れていいはずだ。

「……ハルさん、そろそろ起きない?」

 こうして待ってるのにも飽きてきた。というか変な姿勢で眠り続けて疲れないだろうか。

 つんつんと頬っぺたをつついても、彼女の反応はない。試しに肩をゆすってみても、小さなうなり声を上げるだけ。

 とても無防備な寝顔だった。眠っているのだから当たり前だが、腹が立つくらい油断しきっている。

「ハルさん……起きないと、」

 顔を耳に近づける。

「キスするよ」

 聞こえるはずがないと分かっていたのに、そんな事を言う。聞こえるはずがないから、言ったのか。

 けれど少し遅れてハルさんは顔を起こした。

「……え?」

 瞼を開けてゆっくりと体を上げる愛しい人。顔にノートパソコンの跡がついてるのもかわいかった。寝起きでぼんやりしているけど、かすかに驚いた顔をしていた。

「い、今なんか変な夢見た……」

 一拍の遅れはあったが、タイミングよく目覚めたので、俺はさっきの言葉が聞こえたのかと愉快になった。

「へえ。どんな?」

 この人が、俺の言葉で慌てたり顔を赤くしたりするのをずっと見ていたい。

 本当はもっと好意を口にしたり、抱きしめたりそれ以上の事をしたかった。けれどあまり直接的な事ばかりすると、臆病な彼女はすごい勢いで逃げてしまうだろう。だからバランスが肝心だ。

「あ、いや、なんでも、ないです……」

 少し戸惑った、恥ずかしがるような眼差しで、彼女は視線をさまよわせた。

 ああもう、かわいすぎる。

 まだまだ時間はたくさんある。これからはゆっくりと、この人の“拒めない範囲”を増やしていこう。

「……なんですか、その顔」

 俺が愛情をこめた目付きを向けると、彼女はまるで侮られているのは不満だというような反抗的な目をする。そんな訳ないのに、と思いつつも睨まれても嬉しいのだから――俺はどうかしている。

「あなたが、かわいいなあと思ったんですよ」

 そして彼女は顔を赤くして逃げ出した。

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