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恋するキミと拒む私の攻防戦  作者: 伊那
二章・それから
6/8

 最近私は、通い妻をされている。

 いや、まじで。まさしくそんな感じ。

 彼が遊びにくる時は大半の場合、食事を買ってくるか作ってくれる。

 彼の両親が離婚したのは一人息子が高校生になってからだった。そんな事すら私は最近まで知らなかったが、とにかく母親との二人暮らしになった。彼はずっと一人でご飯を食べていた。

 コンビニ弁当や外食を繰り返すうちに、彼はなんと、自炊した方が経済的だという事に気づいてしまった。自炊なんて面倒だと途中で諦めてしまう事にはならなかったらしい。毎日は無理でも定期的に自炊をする習慣がついた。

 それゆえに、彼は若い男の子のわりに料理が出来るようになった。

「今日はカフェのランチ風~」

 そんなに手際もよくないし、簡単な料理しか作れないと本人は言うが、私よりはるかに料理の腕はよかった。

 クロワッサンにハムとコールスローサラダをはさんだサンドイッチ、野菜のコンソメスープとポーチドエッグにウインナー。飲み物は私の好みに合わせてほうじ茶だ。紅茶とかの方がカフェっぽいのに、そこは私の好みが優先された。

 これが今日の私のちょっと遅い朝食――ちなみに時刻は十一時半であった――のようだ。

「……おいしそうですね」

 そこは認める。まずサンドイッチにクロワッサンを選ぶところからして食パン一枚の私とは違う。なんだそのお洒落感。女子か。

「たいした手間かけてないですけどね」

 雑にほめただけでも、彼は嬉しそうにして見せた。

「土曜は授業ないから、安心してくださいね」

 最近の彼は、私に何か弱みを見つけられ退場をさせられる事のないように、先手を打ってくる事が多い。

 大学にはちゃんと行ってるとか、門限は守っているとか。もっとも、彼の家では門限はあってないようなものらしいが。

 昔、私が学業をおろそかにする子供なんて云々と彼の告白を断る理由に使ったのをまだ覚えているからだろうか。だから先に“自分のやるべき事はやってから来てますアピール”をしてくるのだろうか……。

 自分の言った事がこうもはっきり反映されていると、いっそ怖いような気がする。それとも、真面目な子になっていてよかったと喜ぶべきか。

 私は、いろんな言葉を飲み込んだ。

 とりあえず朝食――あるいは昼食を食べる事にした。


「ハルさんデート行きましょうデート」

 ヨーグルトがあったのだと言って私の冷蔵庫の中をあさる青年に、私はもはやツッコむ気力もなかったが、椅子に座りながら言った言葉には目を見張った。

「……ちょっと待ってください。私たちはデートをするような間柄では……」

 その言葉の先を遮るかのように、彼は私の目の前にヨーグルトのカップを揺らした。私はどかす意味もあってカップを受け取る。ヨーグルト用のスプーンは机の上に置かれた。

「この前、魚好きのヒロインの話考えてるって言いましたよね、水族館デートはどうですか。取材にもなるし」

 この男、なかなか手強い。

 いや別に、私はもう彼を傷つけるような事はしたくないから、拒否なんて出来ませんけど、前も思った通り、話が早すぎる。

 私はまだキミを傷つけた事と再会してしまった衝撃から立ち直れていないんだけど、キミは違うというのか。たとえ表面上だけでもそんな素振りを見せないなんて、なんてメンタル強いんだ。普通もっとギクシャクするだろ。

 いや、そういう話ではなく。

「取材につきあってくれるのは、構いませんけど……」

 とにかく名目上は“取材”だ。それは譲れない。

「え。うそ。やった」

「え」

 信じられないものを見た顔の青年に、私は目を丸くする。

「正直ダメ元っていうか、十回くらいは断られる覚悟だったんだけど……あ、だからって、やっぱダメとかなしですからね! キャンセル不可! あるいはキャンセル料をいただきます」

「く……っ、断っていいやつだったのか……」

 やられた。

「いえ、今となってはもうダメです。ちなみにキャンセル料はお金ではないです」

 断ったら断ったで、何か愉快ではなさそうな事をさせられそうだ。

 私はこうして、負い目がまったく消えない相手と出かける事になった。




 曇り空は建物内のデートにもってこいの日和らしかった。

 それなりに大きな水族館には、恋人たちが押し寄せていた。自分もそのうちの一組に数えられるのだと思うと、回れ右をして家に帰りたくなった。

「ハルさんどうしたんですか。行きますよー」

 私の手を引っぱる相手に、私は仕方なしに歩き出す。

 キミは手を放してくれない。掴まれた右手が熱いくらいだ。胸の奥がざわざわする。

「一人で歩けますので手を放してください」

 私がつい突き放した口調をしてしまっても、キミは気にしなかった。

「迷子になったらどうするんですか。館内放送で呼び出してもらいます? S市からお越しの、三歳の春川アオイちゃんが、お連れ様をお待ちです」

「私は三歳じゃないです。はぐれたらそのまま一人でイルカショー見てます」

 人混みの中を進むと室内が薄暗くなってゆく。

「一人で? つれないなあハルさんは」

 次第に大きな水槽が見えてきた。

「じゃあ、はぐれた時の待ち合わせ場所はイルカプールの前ですね」

 お互いケータイもあるのに、私たちはそんな話をしていた。


 結局私は、久しぶりの水族館に感動をして満喫をしまくっていた。

 私は普段からテンションは低いが当社比でテンションが上がっていた。

「ネコザメかわいい……!」

 あちこちの水槽で私は水棲生物たちに胸をときめかせた。

「エンゼルフィッシュまじエンジェル」

 青い色というのは癒しの効果があるとかなんとか言われているけど、確かに目にきつすぎない水槽の青は、私の心を穏やかにもさせた。

 私があっちこっちに早く行きたがるから、彼は手を放してくれた。手をつなぐと歩きづらかったから解放してくれてよかった。

 水族館の出口に向かうと、彼はにこにこしながら問いかけてくる。

「このあとどうします? この近くにいいカフェがあるんですよね。ケーキがおいしくて」

 へーなるほど、と思ったが私はある事に気づいた。普通、大学生の男の子が出かけた先にいいカフェがあるなんて知っているだろうか。

 思えば彼は道を歩いている時も、私が車道側にいたのにすぐに気がついて場所を代わった。車道側は危ないと分かっていたのだ。

 手をつなぐ時の仕草もごくごく自然で――そう、手慣れていた。

 水族館の近くにあるというカフェも、水族館も、車道を歩く時も、手をつなぐ時も、過去に経験があるから自然にそれが出たのだと分かった。

 制服姿の、十代の女の子が彼のとなりにいる光景が脳裏に浮かんだ。

 胸のあたりが、重くなった。

「……なんか、手慣れてますね」

 熱いような、痛みのような、苛立ちのようなものが、胸から全身へと渡り、私を支配する。

「へ……?」

 私の声はとても低いものだったから、彼は驚いた声を上げていた。

 自分の靴の爪先が汚れているのが見えた。珍しくお洒落着に合うパンプスを引っ張り出してきたのに、明るいクリーム色の靴に汚れはよく目立つ。

「デート慣れしてますね」

 私は言い直した。

 とてもいやな気持ちになった。胸がむかむかする。

「え。うそ」

 純粋に驚きだけを抱いた声は、私の苛立ちに気づいていないのだろうか。

「もしかして……ヤキモチ?」

 が、次に飛び込んできた言葉に私は顔をしかめる。

「は?」

 顔を上げて相手を睨むと、キミは何故かやけに嬉しそうな顔をしていた。

「なんでそうなるんですか……」

 というかなんだその顔は。まるでサンタクロースに頼んだおもちゃが目の前にあった時の小さな子供みたいな表情。

「だって、俺がデート慣れしてるって不満そうに……」

「じ、事実を言ったまでです。別に焼きもちとかそんなんじゃ……」

 確かにちょっとそんな風な気持ちに近いものは抱いたが、私がいやだったのは自分の狭量さだ。過去の女の影くらいでいちいち目くじらを立てるなんておかしい。というか私は別にこの青年の過去になんて興味がない。どうでもいい。

「なんですか、その顔」

 相手のキラキラさえしている顔にいらいらしてきて私は歯ぎしりしたくなった。

「え、いや別に」

 彼は自分の口元を手をおおったが、楽しげな表情は変わらないので特に意味はなかった。

「ヤキモチやかれて嬉しいなんて思ってませんよ」

 嘘つけめちゃくちゃ思ってる顔だろ。

 私は、本当にもう、違うんだ。

 今日だってそもそも小説の取材のためで、デジカメで写真も撮ったし、充分な資料も出来た。

「もう、いいです」

 手を拘束されてないのをいい事に、私は先に歩き出す。

「待って、もう一回言って。拗ねて!」

「変人。ぜったいイヤです」

 おかしな事を言い出す彼を置いて、私は最寄り駅を目指して足を早めた。

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