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恋するキミと拒む私の攻防戦  作者: 伊那
一章・出会いと別れと
3/8

 他の用事で本屋に行っても、新刊コーナーをチェックしてしまうようになった。

 ある特定の作家の新刊を見つけても、新刊が出てなくても、不安になるし落ち着けないし胸の奥が痛むというのに。

 定期連載のマンガと違って、小説というのは発売が不定期なのが嫌になる。

「マサって小説とか読むのか?」

 康生(こうせい)の不思議そうな声でおれは、手に取った文庫本を元の場所に戻した。

「……たまにな」

「すげーな。オレ、マンガでも文章長いと読むの諦めちゃうんだけど。あ、だからマサって現文の成績いいのか」

「関係ないよ。それより、今日は古文」

 本屋には古文の参考書を買いに来た事になっている。紀野叶の新刊は、康生と別れた後に買えばいい。なんとなく、友達には買っている小説の趣味を知られたくなかった。

 正確に言えば、買っている小説なんて一人の作家のものしかなかった。だからこそ、誰かに何かを言われたくなかった。

 古文の参考書はあまりいいものがなかったから、何も買わずに本屋を出た。

 康生とコンビニで買い食いをして、反対方向の電車に乗るおれたちは駅で別れた。

 さっきの本屋にまた戻る気になれなくて、家の近所にある本屋に寄るつもりだった。

 おれの乗った電車は混んでいなかったけど、誰かの隣に座りたくない気分だったので窓際に立って外の景色を眺めた。

 流れゆく景色は、春のもの。桜は散ったが、あちこちで名前も知らない花が咲き誇っている。

 高校に入ってから二度目の春だった。

 家の最寄り駅で降りて、また本屋に寄ったが小さな店のせいか、紀野叶の新刊が見つからなかった。店員に聞くのも嫌だったので、おれは一回家に帰って自転車で隣駅まで行く事にした。隣の駅までは自転車で十分もかからない。

 我が家は相変わらず薄暗い。誰もいないのは分かっているから、鞄を玄関に放り出す。財布とケータイだけ持ち、下駄箱の上にある小さなバスケットから自転車の鍵を取り出す。

 なんでこんな事してるんだろう。

 自転車に乗りながら思った。どうせ、買った小説はすぐには読まない。あの時以来、いつもそうだ。十日くらいは読まないまま放置する。それなのに、どうしてすぐにでも手に入れたい衝動に駆られるんだろう。

 胸の奥が、針を刺したようにちくりと痛んだ。

 いつもの痛み、なじみの痛みだ。

 隣駅の本屋は少し大きい店なので、なんとか紀野叶の新刊を見つける事が出来た。店員に本のカバーをかけるか問われて、おれは頷いた。

 本一冊買っただけなのに、袋にまで入れてもらって、おれは自転車で来た道を引き返した。また、なにをしているんだろうと自分に疑問になりながら。

 家に帰って自分の部屋に、買った本を置く。とりあえず中身を出してみるものの、手をつける気になれなくて着替えはじめる。台所に行って飲み物を飲んだり、お菓子が残ってないか戸棚をあさったりした。

 部屋に戻って、ケータイをいじりながらテレビをつける。夕方なのでニュースとか子供向けのアニメとか、興味のない番組ばかりがやっている。やる気もない癖に勉強道具まで取り出して机の上に広げた。

 どれだけ目を逸らしたって、あの本の存在感は強かった。ただの紙の束なのに、何かをうるさく主張してくる。

 本屋で手に取った時に見た表紙は、藍色の星空のようなものが広がっていた。暗い海の底だったかもしれない。あらすじは読んでない。どうせ買うんだし、どうせそのうち読んでしまう。

 でも、あの日の事がおれをためらわせる。すぐには読めない理由になる。

 以前は、うちのすぐ近くの家に住んでいた彼女は、もうこの町にはいない。どこに引っ越したのかも分からない。引っ越しを知った日、おれは、本気で彼女はおれの人生から立ち去ろうとしていると思った。

 そんなにおれが嫌かと、あのひとをを恨んだ事もある。今だってそうだ。

 でも、今日みたいに新刊を探してしまうし、見つかればすぐに買ってしまう。自分でも訳が分からない。

 自分をひどく傷つけた相手を、今もまだ追いかけてしまうなんて。

 最初の一月は、小説とかそれに関わるものすべてに見向きもしたくなかった。

 ある時――二月くらいたった頃――いろいろな本を紹介するような雑誌で、見た事のある名前を発見し、つい手に取ってしまったのがいけなかった。

 写真こそなかったものの、ある作家へのインタビューの載った雑誌だった。その時出したばかりの新刊の話や自分の作品を生み出す時の工夫なんかを話していた。

 しばらく顔を見ていなかった相手が生きてるのが分かって、おれはひどく安心してしまった。本当は、あんな風におれを拒絶したあのひとを許す気なんてなかったのに、まだ彼女が世界に存在する事が分かってうれしかった。矛盾した、不思議な気持ちだった。

 ルーズリーフなんかで手紙を出していたあの頃も、そうだった。あのひとからの返事が、紀野叶の小説には書かれている。そう思ってしまうのだろう。

 今はもうおれは手紙も出していないし、あのひとはおれに何かのメッセージを贈ったりはしないだろう。

 そもそも、手紙の返事の時もおれがそう受け取っただけで、小説の中には個人的なメッセージなんて見つけられなかった。

 今はもう、ただの小説。

 とてもひどいケンカをしたあとの二人にはもう何も残ってはいない。

 結局――その日の夜、寝る前に買ったばかりの新刊の、あらすじだけをチェックした。近未来的な宇宙のどこかの惑星で、十代の若者が事件に巻き込まれていく、よくある話のようだった。

 その本は読まない。まだ読めない。

 本当は、出会わなければよかったのに。

 あの冬の日。喫茶店。あのひとの家。本のにおい。

 会わない日々が続いたあとも、ルーズリーフの手紙のおかげか上手くいくと思ったのに。

 忘れたいのに、忘れられない。またすぐに本屋で名前を探してしまう。おれに向けた何かの言葉を求めて、新刊に手を出してしまう。

 早く、楽にしてほしい。

 関係を断つようなケンカをしたはずで、関わりもない相手なのに、こうもおれを支配するひと。

 早く、忘れさせてほしい。

 高校に入ってカノジョも出来た。でもなんとなく離れていった。あのひとの事が関係ないとは言いきれない。

 おれの両親も離婚した。今の家に残ったのだって、誰かさんが近所にいるからって理由もあった。でもその誰かさんはおれの近所から引っ越した。引っ越した事で忘れられるなら、それもいいと思ったのに。

 大きらいだ、あんな人。


 七日後読んだ本は、近未来な宇宙のどこかで、主人公が世界ではなくたった一人の友人を救っていた。結果的にその世界も救われる事になる。

 謝辞もあとがきもない。

 おれのいない場所で何冊も本が書けるこの作家が嫌いだった。

『その本はまだ読めない』

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