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キーアが小競り合いを続けている一団に追いついたのは騎士が倒れてから五分も経っていない。それにも関わらず、事態が急変しようとしていた。
王女と護衛騎士が進む方向からこちらへ向かってくる人影をキーアの警戒網が捉えたのだ。
先回りをして挟み撃ちを狙った襲撃者の仲間か、落ち合う予定だった王女側の人間が迎えに来たのか。あるいは第三勢力か。
薄めていた探索魔法の密度を少し上げてその集団の把握にかかる。
元素魔法は周囲に漂う精霊の力を借りて行われる超常現象である。
詠唱や魔法陣によって表される魔法式で精霊にどんな現象を起こすのかを伝え、発動の対価として魔力を精霊へ渡す。当人の資質にも左右されるが、威力の大きい魔法や複雑な魔法は魔力の消費が大きく、継続的な効果をもたらす魔法は、その効果が持続している間は常時魔力が消費されていく。
探索魔法は風を利用した索敵で、範囲が広ければ広いほど、風の密度が高いほど、魔力の消費が大きな継続魔法になる。
魔法の気配に敏い人間や同じ種類の探索魔法を使用している人間にはばれてしまうし、探知魔法を使用していればこちらの位置を特定されてしまう事もあるけど、発動さえしていれば魔力の分配を弄るだけで範囲や密度を変える事ができるのがこの魔法の最大の利点だ。
向かって来ている人数は合計で五名。体格からして成人男性が四名と少年が一人。その少年を中心に陣形を保ちながら動いているので彼がこの集団のリーダーなのだろう。
もう数分もすれば接触する距離まで近づいている集団の中に探知魔法を使っている気配はない。
王女も襲撃者も近づいてくる集団も斥候タイプの人員を配置していないのはいかがなものだろうか。
不意の襲撃や暗殺、情報戦など裏で動く人間がいるだけで大夫違ってくるというのに、不思議な事だ。
首を傾げながらその挙動に注目する。
「エルッ!!」
顔まではわからなくても互いの存在が認識できる距離にまで来ると少年が叫ぶ。『エル』というのは王女の愛称なのだろう。王女をそう呼べる少年となると候補は二人。この国の第一王子か第二王子だ。
「グリフレット!エルを守れ!」
「はっ!」
追撃に集中しすぎていたのか、王子たちの接近に気が付いていなかったのだろう。虚を突かれた襲撃者の攻撃が止まった一瞬にグリフレットと呼ばれた騎士が王女ともう一人を安全圏へと連れ出して両脇を固める。
「ラジナス、一気に叩くぞ!」
「ご助力感謝します!」
王女の安全が確保されたのを見届けると、残った騎士で襲撃者を迎え撃つエスーティカの王子と騎士たち。
今まで護衛に付いていた騎士で一人で三人分ぐらいの働きを見せていた人物はラジナスという名らしい。
勇ましい王子の声に応え、王女を機に掛ける必要がなくなった彼はあっという間に襲撃者を一人、二人と屠っていく。
護衛という枷がなくなっただけでこの動き。さすが王宮騎士なだけはある。数分も経たない内に襲撃者は息絶えてしまった。
「間に合って良かった」
「ルーカスお兄様、ありがとうございます。助かりました。ですが、何故ここへ?」
「アルジオンを出たお前が襲撃されて消息が分からなくなったと使いが来てな。ラジナスが付いてるならこの森を抜けて一直線に来ると踏んで来てみたのだが、正解だったみたいだ」
アルジオンはエスーティカの王都の名前だ。そこから襲撃者を躱しながらここまで逃げてきたらしい。
騎士はともかく王女がよくここまで逃げきれたな、と素直に感心してしまう。王都からここまでかなりの距離があるし、視界も足場も悪い森の中を襲撃されながらという状況の中、走り続けられるのは並みの体力と精神力では不可能だ。
「ラジナス達は先に別邸へ向かって少しでも休息を取れ」
「お兄様は?」
「俺は少し確かめたい事がある。グリフレット以外はエルの護衛に付け」
気丈に振舞ってはいても明らかに疲弊している王女や、動けない程の怪我はないもののあちこち負傷している護衛の二人には休息が必要だ。身体的にも精神的にも。
それを分かってるのか残ると言い出したルーカス王子の指示に従い、騎士の一人を残して慌ただしく動き出し、周囲を警戒しながら遠ざかっていく。
完全に王女達が離れたのを見届けると徐に王子がキーアの居る方向へ向き直る。
「出てきてもらおうか」
妹姫に向ける優しい口調でも、部下に命じる厳格な口調とも違う警戒を孕んだ固い声が夜の森へと吸い込まれていった。
キーアが身を潜めているのは木々が生い茂り、月明かりの下でも深い闇を落としている場所であり、今は風下になっている場所だ。普通であれば探知魔法を使っていない限り居場所を特定される事などあり得ない。
それなのにも関わらず、王子の視線は真っ直ぐにキーアがいる闇へと向けられて外れない。
隣に控えているグリフレットと呼ばれた騎士は警戒しながらも静かに見守っているだけだ。
何故。
どうしてここにいるのがわかったのだろう。驚きよりも疑問が先に生まれる。
現在裏社会で使用されている探索系、探知系の魔法への対抗策は全て打ってある。そもそも、この王子は探知魔法を使用している様子が全くない。
狼などの野生動物と遭遇する事があっても攻撃を仕掛けない限りは素通りされてきたのだ。
時折、はっきりとは認識できてはいないけどそこに何かある、と警戒する素振りを見せる個体もいるにはいるのだが、そんなことは稀だ。
動物にまで認識されないのか、と泣きたくなったのは懐かしい記憶だが、今となっては無用な戦闘をしなくてすむから楽でいい。飢餓状態か出産直後の場合は気が立っていてこちらに気づく可能性が高いので、一応森を進む時は肉食獣の縄張りへ入らない様に気をつけてはいるが。
「そこにいるんだろう」
姿を現さないキーアに焦れたのか再度声が掛かる。
さて。どうするべきか。
騎士たちに倒された襲撃者の検分をしてさっさと王女を追いかけたかったが、一度引いて出直すべきか。
足跡を追えば追いつく事は容易だが、もし追いつけたとしてもこの王子がどうやって自分の事を知ったのかがわからない。つまり対策がとれない。また見つけられたら時間の無駄になる上、人が多い所でばれると面倒だ。
仕方ない。
どうせすぐに忘れるのだ。隣国の王子ともなればもう会う事もないだろうし。
そう結論付けて静かに茂みから歩み出る。
「…女?」
フードを深く被っている為、顔は見せていないが体格でわかったのだろう、真っ直ぐにキーアの姿を捉えている少年から驚きと疑問が混じった声が出る。
それもそうだろう。自分と同じぐらいの年齢であろうと思われる少女の密偵など、普通はいないのだから。
「俺たちが来る前からいた様だが、どこの者だ」
「‥‥」
「少なくともエスーティカにはお前の様な密偵はいないはずだ。ルリジオンの者とも違うように見える。アーニアスかルガルド辺りか?」
無言を突き通すキーアに構う事なく自分の見解を述べている様に見えるルーカス王子だが、国の名前を挙げてこちらの反応を見ようと視線がキーアから動かすことはない。
剣の柄に手を掛けて待機している騎士はキーアの姿をまだ認識していないのか、訝し気に見ているだけだ。
警戒すべきなのは目の前の王子のみだと判断を下す。
「…敵対する気はない」
「?!」
「俺はどこの者だと聞いているのだが」
「……」
言葉を発した事で警戒していた騎士が漸くキーアに気づき、大きく肩を揺らして声が出そうになるのを辛うじて飲み込んだ。そう。これが正常な反応だ。
「あなたは何故、私がわかった?」
「質問に質問で返すか」
「こちらだけ答える義理はない」
「…それもそうだ。だが、その質問ではこちらの分が悪い」
「ルーカス様!」
「グリフレット、黙れ」
「しかしっ」
ジロリと王子に睨まれて渋々引き下がった騎士から不穏な視線を向けられるが、スルーする。
なぜ存在を認識できたかという問いに対する答えとして考えられるのは、稀にみられるという固有魔法を持っているか、国宝級の魔道具を所持しているかだと考えられる。もしそうだとすれば所属を明かす事と等価の情報とは言えなくなる。言外にそう告げた王子。
固有魔法なら王子にさえ近づかなければ大丈夫かもしれないが、魔道具の場合はそうはいかない。今後の為にそのどちらかぐらいまでは知る必要があると瞬時に判断する。とは言っても所属を明らかにする気はまだない。
「エスーティカでもルリジオンでもない」
「…」
「最初に言った通り敵対する気はない。信じる信じないはあなた達の自由」
「…」
「…」
三者三様に睨み合う事数秒。先に沈黙を破ったのはエスーティカの王子だ。
「ならば俺に雇われろ。仕事内容はエルの護衛。報酬は先程の答えだ」
「…」
「殿下?!」
「グリフレット。黙れと言ったはずだ」
「しかし」
「味方でも敵対勢力でもないとすれば他の国の密偵だろう?今回の件の状況を確認しに来たといった所なら渡りに船のはずだ。何せコソコソ嗅ぎまわらなくても核心部に近づけるのだからな」
それに、情報収集の為に護衛を引き受けるのであれば雇い主との契約違反にはならないだろう?と、反応を見せないキーアを気を害するわけでもなく、淡々と交渉を進めていく王子。対照的に護衛は焦って諫めようとしているが、当人に一喝されてキーアを睨むだけに留まっている。
「当然、この依頼を受けるのであれば必要な情報は提供する」
「…期間は」
「目的地に到着するまで」
情報収集に来ている人間にその情報をくれてやる代わりに護衛をしろと目の前の少年は言い放った。ルーカスという名は第二王子の名前だったはずだが、かなり大胆かつ図太い性格らしい。
明確な地名を答えるのではなく目的地と言葉を濁したのはまだ依頼を受けるか分からないからなのだろう。
とは言っても王都と現在地の線上にある場所、あるいはその近辺が目的地のはずだから候補は大分絞られるし、彼らの恰好は長距離の移動を想定した装備でもない。早ければ明日中、遅くても三日以内には到着できる場所のはずだ。
ほぼ確実な情報を手に入れる事ができ、固有魔法か魔道具かの正体がわかる。悪くない話だと思う。
こちらの正体を明かした所でキーアは流れの隠密であって、特定の誰かに使えているわけではないから大して問題ではないし、何より護衛の仕事が終わればキーアの事を彼らは忘れてしまうのだからその後の事で心配する必要もない。懸念材料があるとすればこの話を持ちかけて来た第二王子だけだ。
そして王子が何故イレギュラーなのかを知る為にはこの仕事を受ける事が最善策となる。
「依頼はエラノール王女の護衛。期間は目的地に到着するまでの間。報酬は隠形を見破った魔法、あるいは魔法具の開示」
「ああ」
「報酬に虚偽があった場合は契約を破棄。護衛対象を消す」
「…それでいい」
吠えそうになっている護衛騎士を視線だけで抑え込み、改めてキーアへと向き直って手を差し出す少年。
「ルーカス・ルフレ・エスーティカだ」
今までの淡々とした口調とは打って変わって、当然、知っているだろう?と問うている様な挑戦的な顔つきだ。
それよりも気になるのは差し出された右手。これは握手を求めているのだろうか。
普通の王族であれば単なる下っ端の、それもつい先程出先で鉢合わせした隠密風情と握手を交わす事など絶対にない。というよりもあってはならない事だ。
握手に応える事なくその手を見つめるに留めているキーアに王子は何も言わずに真っ直ぐに見据えてくるだけだ。その瞳に苛立ちも焦りも、嫌悪も侮蔑もない。あるのは愚直なほど真っ直ぐな光だけだ。
一体何の思惑があって行動しているのか分からなくなってきた。
「…グレイス。流れの者だ」
名乗ったのは裏社会で使う偽名。師であるフィンスの名前は他国まで知れ渡っていてもその弟子の存在はまだアーニアス国内でしか噂になっていない。それもいるのかいないのか、不明瞭な存在としてほぼ都市伝説の様な扱いとしてだ。
名前だけで所属している国がばれるといった心配はない。
名乗るだけで微動だにしないキーアが握手をする気がないのを悟ってか、苦笑しながら手を引っ込める王子と怒りでプルプル振るえている護衛騎士。彼は結構苦労性なのかもしれい。
「とりあえずエル達と合流しよう。大まかな事は道中で話す」
「承知した」
言いながら歩きだした王子の声がギリギリ聞こえる距離を保ちつつ後を追った。
覚書。
《登場人物》
フィンス・・・主人公の師。凄腕の隠密。通称冥闇
ルーカス・・・エスーティカの第二王子
グリフレット・・・ルーカスの側近騎士
エラノール・・・エスーティカの王女。ルーカスの妹。愛称エル
ラジナス・・・エラノールの護衛騎士
グレイス・・・主人公の偽名
《国・都市》
アーニアス・・・主人公が生まれた国。元素魔法を主軸にしている。
エスーティカ・・・アーニアスの隣国。騎士の国。
ルリジオン・・・アーニアスの隣国。宗教国家。
アルジオン・・・エスーティカの王都。
《魔法》
元素魔法・・・魔力を精霊に渡す事で魔法を行使する。
探索魔法・・・一般的に風の精霊の力を借りて周囲を探る魔法。継続的に魔力を消費するが、消費する量を随時調節でき、その量によって探索範囲や精度を自由にできる。
探知魔法・・・探索魔法への対抗手段。