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二人の出会い

 そう遠くない未来、IT産業はピークを迎えていた。その火付け役とも言われるハーベストデジタル社は当時、携帯端末OSシェア3割を占め、PC、デジタルアシスタント、自動運転車などの開発を行っていたが、いわゆる「普通の」IT企業であった。それまでの世間の評価としては、器用貧乏の一言に尽きる。他社製品と互換性を持たせることに注力していたので一定の支持は得ていたが、抜きん出ている部分が無いため、その名前は大衆のほとんどが知らなかった。

 転機は5年前、世界的なITショーでハーベストデジタルは新型のAIを発表した。とはいえ、競合他社も既にAIをデジタルアシスタントとして採用しているため、それほど真新しいわけでもない。当時の聴衆は100人に満たなかったそうだ。その場で広報はこう述べた。

「私たちはデジタルアシスタントとしてこのAI<スロス>を開発したわけではありません。デジタルな世界と私達の世界を繋ぐ鍵にするつもりで開発しました。スロスは現存する全てのモバイル端末、PC、家電などのコンピューターに互換性を持っており、制御可能です。スロスをインストールして1日過ごすだけで彼、または彼女は、次の日からあなたの体調から食材の管理まで全て自動でこなしてくれるでしょう!感情や道徳的概念も理解できるため、教育ロボットとしての起用も可能です」

他社のブースでも新製品の発表は誇張気味に行われていたので、ほとんどの人々は「どうせ今まで通り、片言でしか交流できないのだろう」と思っていた。

発表後のインタビューではあえて広報のスピーチを真実と仮定して質問をする人がいた。

「スロスは素晴らしい同居人となってくれそうですが、そのままでは人は堕落してしまうのではないですか。SF小説のように人が何一つ自分では考えず、ロボットに従うようになってしまう危険性はないのでしょうか」

回答者として壇上に上がった開発者はマイクを取るなり即答した。

「ありえません。スロスは思考を行う対話型のAIです。人間を相手にするように会話ができるのです。人間と対話することにより性格、行動が定められていきます。もちろん相手の意志に逆らうような行いはしません。もっとも、体調が悪いのに出社しようとする人がいたら車のオートドライブ機能を暴発させて行き先を病院に変更するかもしれませんが」

と笑いながら言った。

その後、スロスは静かに広まっていった。モバイル端末にインストールし、初期設定を済ませるだけで、職場のパソコンから自宅のエアコンまで管理してくれる。既存の製品と異なり、端末を買い換えるたびに設定し直す必要はなく、クレジットカードや住民情報を含めた全てはスロスが管理していた。朝、通勤中に「重要そうなメールを転送しますね」といい、帰り道では「冷蔵庫の野菜が切れているので買い足したほうがいいですよ、今ならあのスーパーでタイムセール中です」と冷蔵庫や自分の位置、スーパーの情報などから統合的に判断して話しかけてくれる。音声認識の精度もよく、ストレスがたまらないため、デジタル機器に戸惑っていた高齢者でもインターネットが手軽に利用できるようになった。スロスはある人にとっては気の良い友人であり、別の誰かにとっては優秀な秘書であった。発表から1年後には90%の端末にスロスがインストールされるようになり、事実上コンピューターソフトウェアを支配した。絵が描きたいといえばスロスが用途に合わせて勝手に端末へインストールしてくれるのだから自分で考える必要はないのだ。この頃になるとスロスを打ち倒そうとする試みはなくなり、逆にスロスを利用した製品を作ろうという動きが生まれた。以前、ハーベストデジタルと競合していた他社はスロスが制御できる人型ロボットを発表した。今までは声でしか交流できなかったスロスに現実でお茶くみなどの雑用を頼める画期的な発明になるかと思われたが、この企画は成功しなかった。スロスの声色は若い男声または女声となっているため、外見を人間に模した男女のロボットが製作された。家事など一連の作業はこなすことができるのだが、無表情で、体はゴム人形のよう。スロスの感情豊かな声に対してアンバランスで気持ちが悪いという評価が相次いだ。人間の形を模したことが裏目に出たのだ。20世紀に提唱された「ロボットがある程度人間に似ると嫌悪感を抱く」という「不気味の谷現象」を克服できなかったのである。結局この人型ロボットは売れず、その後にハーベストデジタルが発売した二足歩行型ロボットに販売代数でかつことはできなかった。ハーベストデジタル社は外見を人間に似せるのではなく、意図的に従来の宇宙服を着たような姿にした。顔は液晶でバイザーのようになっており、スロスの声に応じてドット絵で感情を表現することで気持ち悪さを薄くした。販売台数はまずまずで、多少ヒューマノイドを普及させることができたが、未だにヒューマノイドは金持ちや物好きが買うおもちゃ程度にしか思われていなかった。特にスロスの発表以降、期待されていた福祉・教育分野での活用はされておらず、各社がヒューマノイドの開発に明け暮れる、そんな期間が4年間にわたって続いていた。

「おいおい、表情筋用のアクチュエーター注文しておけって言っておいただろう!」

異様な形の工具や用途不明の機械がところ狭しと並んでいる部屋の中で声を荒げている男性が一人いた。

「聞いていませんよ!?大体、政弘さん、昨日も一昨日も休日で会社にはいなかったじゃないですか!」

少女の声が困惑した様子で答えた。

「別に家で仕事しないとは限らないだろ。昨日俺がタブレットで描いたラフスケッチ、あれに必要な部品数も書いたはずだぞ」

政弘と呼ばれた男はパソコンに顔を向けたまま言った。

「あれはサーバーにアップロードされたときに見ましたが、あくまでアイディアのひとつだと思っていました!ファイル名も日時しか入ってませんでしたし、次からはファイル名に『設計図』とでも書いておいてください!」

「はいはい、じゃあ三代精密機械のアクチュエーター58個用意しておいて。型番は今みているページのやつ」

「分かりました。急な注文なので届くのは今夜ですよ」

傍目には彼が独り言を言っているように見えたことだろう。実際、森政弘はずっとパソコンを眺めていた。しばらく部屋にはキーボードを打つ音だけが響いた。

「ところで10時に山下主任が来ますけど片付けた方がいいんじゃないですか?」

少女の声はスピーカーから流れている。部屋は機器と鋼材で鋼の森のようになっており、獣道のように歩く事が出来る程度の隙間ができていた。

「あいつはいいの。コーヒーだけ淹れておいて」

「わかりましたよ」

森が2週間前に購入し、「マナ」と名付けたスロスはコーヒーメーカーと同時に円盤型の掃除用ロボットを起動させた。AIの顔を見ることはできないが、しれっとした顔をしているに違いない。まあ耐えられないほどうるさいわけでもないので、ため息をついてパソコンに向きなおり、データの入力を続けた。

打鍵音と掃除機の吸引音だけが響く。コーヒーメーカーが止まると同時に扉がノックされた。

「はい、どうぞ」

森が返事をすると同時にドアが開き、一人の女性が入ってきた。女性にしては長身だが、細身のため威圧感はない。ショートカットで眼鏡をかけ、パンツスーツを着た姿はキャリアウーマンそのものである。大学時代からの友人であり、去年まで同僚だった山下智である。

「お邪魔しますよ、森君」

「あいよ、椅子はその辺のデスクのを引っ張り出してくれ」

森はパソコンから目を離さず、指で使っていないデスクを指し示す。

山下は慣れた様子でオフィスチェアをデスクの向かいに持ってきた。

「山下、コーヒー飲むか?」

「ではご厚意に甘えていた...」

「じゃあシンクの方からとってきてくれ、カップは2つで」

山下は数秒ほど固まった後、機械をかきわけながらコーヒーを持ってきた。

「あなたは上司をなんだと思っているんですかね」

呆れた顔でマグカップを渡す山下。

「大学から数えて9年の付き合いだ。今更敬うつもりはないよ、山下主任」

「まあ、上司のいる場ではわきまえてくれれば構いませんが...さて、仕事の話ですが」

森はディスプレイから目を離して山下と目を合わせる。

「ヒューマノイドの進捗具合だな」

もともとうちの会社はハーベストデジタルのハード製作を引き受けていた。2足歩行型ロボットもうちが開発したが、親会社さんはヒューマノイド開発にご執心らしい。それに関わっているのが森と山下というわけだ。

「はい、見たところ机の上に載っているのは頭部だけのようですが」

「ばらしてあるだけだ、胴体と四肢はそこの箱に詰めてある。」

森の指差したスーツケースほどの大きさの箱を山下は開くが、ざっと見てすぐに閉じてしまった。

「警察を呼べばあなたが引っ張られるくらい精巧にできていることはわかりました。」

「当たり前だ。人間と見分けがつかないロボットを作れという命令だっただろ」

「その通りですが、これではまるで...」

「バラバラ死体みたいだろ」

山下は森を睨んだ。

「女性の前でいう台詞じゃありませんね。まあ、気持ち悪いと感じたのは事実です。これでは今までの製品と同じで気味が悪いと言われてしまうのでは」

「それでいいんだよ。本物の人間の手足が転がっていたら気持ち悪いと感じるだろ」

「経験したことはありませんが、そうでしょうね」

「お前の脳はそのロボットを人間だと錯覚しているんだ」

「そういうものでしょうか。」

山下は首をかしげる。

「ところで、完成はいつ頃になりそうでしょうか。予定では先月の今ごろには試験運転を開始できるはずでしたが」

先程まで涼しい顔をしていた森の顔がこわばった。

「あー、そんなことを言われたかもしれないなあ」

冷や汗を流しつつ、目をそらす森に山下は追い討ちをかける。

「こちらとしては、いつ完成するのかだけでも教えていただけるとありがたいのが本音です」

森がどう言い逃れしようか悩んでいると、突如内線が鳴り響いた。これ幸いとばかりに内線をとる。

「はい、ヒューマノイド開発課の森です」

「課長の平沢です。森君宛になにか届いたから取りに来てくれない」

「分かりました。すぐ行きます」

「あーいや、今日中ならいつでもいいか...」

「失礼します」

きこえない振りをして通話を切った。

「悪いな、課長に呼ばれたんでその話は後にしてくれ。鍵はいいから」

山下に事情を説明しながらデスクに投げ捨てていた社員証をつかみ、転がるように部屋を出た。

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