知悉の瞳と抉る者Ⅱ
少し離れたところで待っていた樹たちに追い付いた私は、“マナの結界”の旨を皆に告げた。しかしながら、三人は既にそのことを知っていたようだった。SNSだ。私が奏芽の病室を出た後、意地悪をするかのように彼女がその旨を投稿したのだ。私は、張り切って病室を飛び出したのが急に恥ずかしくなった。
そんなこんなで、私たちは今“マナの結界”が展開されたいつもの場所に来ている。
「さてさて、今日の相手は誰なのかしらねぇ」
音葉が伸びをしながら言う。慣れ──だろうか。皆、緊張感が少し抜けてしまっている気もする。
「中に入れば分かることさ」
そう言って樹は先陣を切って正門を潜り抜けた。
私たちも樹に続いて中に入る。
少し進んで、運動場に一つの人影の存在に私は気付いた。
その人物は──
「久しぶりだなぁ皆皆さんよぉ……」
「“足立薫”……!」
詩枝に“足立薫”と呼ばれた少年は、昨日のゾンビ人間だ。確か、彼は二度死に、樹のバックに死体を回収されたはずだが……
「なんだぁ? その間抜けな顔はよぉ……もしかして、俺が死んだと思っちゃったぁ? 残念ながら、俺生きてるからぁ!!」
「……君を回収した彼はどうしたんだ」
「あいつかぁ? あいつは今俺の身体になるべく一所懸命栄養を絞り出してくれてまぁぁぁぁっす!!!」
それはつまり、食べた……ということか。
「凪ちゃん、本当に奴は蘇生や凶暴化の能力は持っていないのかい……?」
「この目ですら、質量を減らす能力しか見えないよ……」
この世には“知悉の瞳”にも映らない能力が存在するのだろうか? それとも、能力ではない別の何か……?
とにかく、彼の頭はおかしい。これだけははっきりと言える。
「そんなことしか見えてないの“知悉の瞳”ちゃんよぉ……まぁ、そっちの雌と同じで旨そうな身体してやがるし、あいつが欲してる理由も分かるんだけどなハッハッハ!!」
「誰がそっちの雌よ!」
彼の言うあいつとは、恐らくエイヤが言っていた『目を失って困っている子』のことだろう。その子がどんな子なのかは分からないが、恐らく食人が目的で私を求めているのではないと思う。
「何はともあれ、俺がお前を食うわけにはいかねぇ。だから、周りの奴等をぶっ倒さないといけない訳なんだが、昨日の戦いで斧も槌も壊されちまったんだよなぁ……」
丁寧に自身の置かれている立場を説明する薫だが、これは何かの策なのだろうか? 油断したところを反撃するとか……
「周りの奴等をぶっ倒すと言ったが、そっちの雌も連れていかせてもらうぜぇ? 俺の一生の餌にするんだぁ……」
「うげっ……」
カニバリズム──そう呼ばれる人々の気持ちは、私には全く理解できない。人肉は、一度口にしたら病み付きになる味なのだろうか? たとえそうであっても、私は食べようとは思わないが。
ともかく、攻めるなら彼が武器を手にしていない今のうちだろう。そう考えた私は、戦う術を持つ、樹と詩枝に小さな声で言う。
「何回倒せばいいのか分からないけど、攻めるなら今じゃない? それに、死なないと分かってるなら、樹も全力で攻められるだろうし……」
「僕も同意見だ。彼に木でも抜かれたら途端にやり辛くなる」
「俺もそう思ったんだが、何か裏がある気がしてならないんだよね……」
樹の予想は見事に的中した。突如、上空から昨日よりも大きな斧と槌が降ってきたのだ。その二本は見覚えのあるマナで作られており、大きさは全長五メートル程はあるだろう。規格外の大きさの武器に驚いていると、更なる驚愕が屋上から落ちてきた。
「ごきげんよう皆様」
捲れ上がるスカートを押さえながら、マナの籠手とマナのブーツを纏った“エイヤ=リーサ・カタヤイネン”が着地と同時に挨拶をした。直後、マナのブーツは綺麗に消え去った。
「エイヤ……リーサァ!!」
その姿を瞳に捉えた詩枝は、獣のようにそう叫んだ。それと同時に二本の“月鎌”を召喚し、エイヤに向かって一直線にそれを飛ばした。まだまだ遅い二本の“月鎌”は、エイヤのマナの籠手によって弾かれる。“月鎌”が消えるのを確認した詩枝は、硬度を増した“月鎌”を同じ軌道に再び飛ばした。そちらもエイヤのマナの籠手を貫くことはできなかった。
「荒っぽい挨拶ですわねぇ……」
エイヤは髪をかきあげながら言った。その仕草は、詩枝の怒りを加速させる。
「ふざけるなぁ!」
薫の槌に穴を開けた三巡目の“月鎌”がエイヤを襲う。だが、その“月鎌”は、薫が手にしたマナの斧によって打ち砕かれた。
「アッハハ、すげーなこの斧ぉ! 前のより断然いいぜぇ!!」
「ふふっ、流石わたくしですわね」
薫は興奮気味に、エイヤは得意げにそう言った。
「な、ならば次を──」
「待つんだ詩枝、今は君一人で戦っている訳じゃない」
「そう……だったね」
何とか詩枝を落ち着かせることが出来たようだ。前回のエイヤ戦以来、どうも詩枝が情緒不安定になっている気がする。ようやく落ち着いた詩枝を、エイヤは煽る。
「あら、もうおしまいですの? やはり貴女の実力はその程度なのですね」
「……」
詩枝は歯を食いしばりながらエイヤの煽りを耐え抜く。
「だんまりですか……なら、次はそちらの“身体強化能力者”の
成長を確認してあげましょうか?」
エイヤの発言は、まるで大人が子供を試す時に発するような言葉だった。
冷静な樹は、勿論その提案を受けない。
「いや、止めておくよ。それより、今日は何の用でここに来たんだ? 凪ちゃんは渡さないぞ?」
「凪……は“知悉の瞳”でしたわね──勿論彼女を連れ帰るのが第一ですけれど、今日は他の目的も兼ねていますわ。まぁ、結局やることは同じなのですけれど」
「一体どんな目的だ?」
「マナの量の増幅……この子のね」
エイヤは薫を手で指しながら言った。他の能力者を殺すことで、マナの量を増やせる──少し前に詩枝が言っていた。加えて私は、詩枝が薫を殺してマナを増やそうとしていたことを思い出す。
「今日のわたくしは気分がいいので、いいことを教えて差し上げますわ。この子の蘇生能力について──」
「この子この子うるせーよチビ」
薫はよほど気に食わなかったのか、斧を一旦地面に刺し、エイヤの頭を手のひらで強く叩いた。痛そうな音がここまで聞こえてくる。
「いったぁ! 何するんですの!?」
エイヤは両手で頭を押さえながら薫を怒鳴り付ける。
「俺の方が年上なんだよガキんちょ。ちゃんと薫さんと呼べ。もしくは薫様な」
薫はエイヤの怒りに全く動じていないようだ。どころか、火に油を注ぐような発言をしてみせた。
「何ですのその態度は!? 今日は貴方の為に付き合ってあげているというのに……!!」
「あーそうだったわ。悪いな、付き合わせちゃって」
「貴重な時間を使わされた挙げ句、暴力まで振るわれるとは……不快極まりないですわ」
「いやー申し訳ない。でもこの武器があればお前自体はいらねーわ。喫茶店でも行っててくれよ。あいつにはちゃんと手伝ってもらったって言っておくからさ」
「随分勝ち気な発言ですわね……いいでしょう。貴方の問題は貴方自身で解決なさい。わたくしは一切手出し致しませんわ」
何だかよく分からないが、エイヤが戦わないというのはこちらにとってかなり好都合だ。二人で仕掛けられたら、恐らく我々は全員敗北していただろう。もっとも、野生的な薫と高慢なエイヤにどれ程の連携が取れるのかは疑問ではあるが。
「皆様、この付近に美味しいコーヒーの飲めるカフェはありませんか?」
「ドーナツ店だけど、校門を出てずっと左に行けばあるよ」
「ドーナツ……分かりましたわ。答えてくれてありがとう“知悉の瞳”。それともう一つ──」
エイヤは頭を押さえながらこちらに迫ってきた。その動作に樹と詩枝が警戒をする。そんなことは気にも留めず、エイヤは音葉の前で立ち止まった。
「頭が痛むので、よろしければ貴女の治癒の能力で癒していただけませんこと?」
「……は?」
予想だにしなかった発言に、音葉は間抜けな声を出した。
「だから、先程奴に叩かれた場所が痛むと言っているのです! 治していただけません?」
「でも、敵だしなぁ……」
「目の前に困っている人が居るのですよ!? たとえそれがどんな相手でも、助けるのが筋ってものではなくて!?」
「わ、分かったわよ……絶対に乱入してこないでよね」
エイヤの発言に嫌気が差したのか、音葉は嫌々エイヤの頭に手を触れた。マナが輝き、エイヤの痛みをみるみる消していく。
「近くで見て思ったけど、あんた髪凄い綺麗ね……」
「ふん、当然ですわ。そう言う貴女もなかなかのものをお持ちのようですわね」
互いを認め合い、二人は顔を見合わせる。満足したのか、エイヤは踵を返し、
「それでは皆様ごきげんよう。また会う日まで──」
と言った。薫の横を通り抜けながら、エイヤは言う。
「十五分だけですわよ」
薫は意味が分からないといった風に首を傾げた。少し考えたようだが、やはり理解できなかったらしく、笑みを溢しながらマナの斧を再び手に持った。
「さーてっと、んじゃやりますか」
薫は槌を拾いに行き、準備万端といった様子だ。
一方こちらは、どうやって彼を止めるかについての思考が纏まっていないようだった。
「どうやってあの巨大なマナの武器を通り抜けて彼を止めるか……一度は“月鎌”でいけるだろうけど、蘇生されてからが厄介だな……」
「とりあえず“月鎌”は温存して、まずは詩枝の二本の“月鎌”で、あの武器を壊してもらえばいいんじゃないかしら?」
「僕の召喚する“月鎌”は今のところ四段階目までしか強化できない。三段階目で無傷となると、流石に破壊できるかは分からないな……」
私たちが一向に戦おうとしなかった為、薫がとうとう痺れを切らしてしまった。
「おいどうしたぁ? そっちが来ねーならこっちからいくぞぉ!」
武器を構え、薫は突進するようにこちらに向かってくる。考えている暇はもうない。
「とにかく、詩枝は武器の破壊に尽力してくれ! 無理そうなら本体を狙ってもいい!」
「分かった。いくよっ!」
二人は、薫に狙いを定めさせないように二手に分かれ、挟み込むように横から攻撃を加えようとする。だが、絶大なリーチを誇る斧と槌からの回転攻撃により、二人はそれ以上近付けなくなってしまう。彼の周りを半周ほどした頃、詩枝が二本の“月鎌”を少しタイミングをズラして中心の薫目掛けて放った。だが、“月鎌”は双方とも槌によって粉砕されてしまう。
詩枝がまた同じことを繰り返す。恐らく、先程の分の強化はリセットされてしまったのだろう。故に、意図的に“月鎌”の強化をしているに違いない。
私の予想は当たっていたようで、詩枝は再び“月鎌”を破壊されるように誘導し、薫に狙いを定められないように周囲を走り回っていた樹と目を合わせ、互いに頷き合った。その後、詩枝は薫と距離を取り、四段階目──現状最強の“月鎌”を召喚した。それと同時に彼女の周りにはエイヤの“クーンシルッピ”召喚時にも負けていない量のマナが溢れ出し始める。
「これが僕の“月刀”だぁぁぁ!!!」
“月刀”は空間を切り裂くように直進した。その速度は凄まじいもので、恐らく“キャトルベルセルク”の“反射の延長線”が発動する領域に達している。
“月刀”は二本ともマナの槌の上部に接触した。鋭い音を発し、双方一歩も譲らない攻防戦を繰り広げている。一秒程経った頃、薫の回転により移動したマナの槌に“月刀”が刺さっているのを確認することが出来た。薫もその光景を目に捉えたようで、回転を止めて、見せ付けるようにマナの槌を前に構えてみせた。薫が止まったことで、“月刀”がマナの槌に深々と刺さっていた訳ではない事実を知ることとなる。
「ケッ、先端だけ刺さってんじゃねぇか」
薫はつまらなそうに言った後、武士が刀に付いた血を飛ばすようにマナの槌を一度振った。すると、二本の“月刀”はマナの槌から外れ、地面へと落下した。
「だが、あの女には五歩くらい届いてねぇようだなぁ。極小の雌ガキよぉ」
薫は満面の嘲笑を浮かべる。詩枝は悔しそうではあったが、まだ絶望まではしていないようだった。
と、その時、突然薫が気味が悪い程仲間を褒め称える言葉をべらべらと喋り始めた。
「俺が言うとダセェんだが、この武器を生成した“エイヤ=リーサ・カタヤイネン”って人間は多分この世で一番強い。家系といい才能といい、あいつは戦う為に生まれてきたようなモンだ」
「家系……?」
場違いな言葉に、樹は思わずその単語を復唱した。
「なんだ聞いてなかったのかぁ。カタヤイネン一族の血にまみれた栄光をよぉ……」
薫は一度喉を鳴らすように笑い、よく見えるように二本のマナの武器を前に突き出した。
「俺も詳しくは知らねぇんだが、あいつを見ていたら納得するしかねぇだろ? 身体能力、分析力、優れた五感に器用すぎるマナの扱い、戦場に対する適応力、物怖じしない性格に無慈悲に人を殺す残忍さ……仲間に対する情の厚さも場合によっちゃプラス面になるかもな」
一見情の厚さとは縁遠い性格をしているように見えるが、“AR”との戦いの最後──わざと手を抜き、“AR”を立てるという行動……あれはある意味仲間に対する思いやりなのだろう。勿論甘さとも取れるのだが。
「この武器もすげぇだろ? 大きさといい造形といい硬さといい、『俺が人を殺すこと』しか想定されてねぇ代物だ」
彼女のことをあまり知っていないということもあるのだが、心の何処かで正論と思ってしまっている私たちは反論の言葉を口にすることは出来なかった。
「これ以上持ち上げたら俺がキモい人間みたいだし、このくらいにしておくわ。さ、続きを始めようぜ。次は奥の雌も標的だ。“知悉の瞳”の方を狩れないのは残念だがな」
「……ここに立った時から覚悟は出来てるわ。あの女が居ないと何も出来ないあんたに殺される気は全く無いけどね!」
格好よく言い放った音葉だが、樹と詩枝は、なんてことを言ってくれるんだといった歪んだ苦笑を浮かべていた。