知悉の瞳と聞きし者
昨日の少年は、あれ以降蘇生することはなかった。死体をそのままにしておくのは色々と問題があるので、我々の手で埋葬するかと提案したが、樹は自分に任せろといった旨の言葉を発したので、私はその言葉に甘えることにした。恐らく、樹は例の謎の人物に電話をし、死体を回収してもらうつもりだったのだろう。その言葉の通り、翌日私と音葉が登校した時には、少年の死体も音葉の血液も、何事もなかったかのように綺麗さっぱり消え去っていた。どういった技術なのかは分からないが、とにかく凄いということだけは私にも分かる。
その日の放課後、私は樹に謎の人物について問い質した。樹は、謎の人物は複数居り、そのうちの一人とは面会できると言ったが、それ以外ははっきりとした物言いはせず、何処か濁したような言い方で私を言いくるめようと試みてきた。当然私はそのことを見抜いていたので、今日の放課後、その人物に会わせてもらうという樹との約束を締結した。そして今、私たちは学校から二〇分程度で行ける距離にある病院のある病室の前に居る。ネームプレートには“財前奏芽”と書かれており、扉は閉められていた。
「ここにいつも“マナの結界”を感知し、俺に知らせてくれる人が居る」
「こんなに近くに居るなら、もっと早くに教えてくれてもよかったのに」
「いや、それがね……」
樹は横目で訝しげにネームプレートを見つめている詩枝の方を見、黙り込んだ。いつも以上になよなよしている樹を、音葉は呆れるように睨んでいる。業を煮やした音葉は、さっさと扉に手をかけ、言った。
「とにかく入りましょうよ。話はそれからでもいいでしょ?」
「うん、そうだね。ちゃんとノックをしてから扉を開けるんだよ?」
もう引き下がれないと察した樹は、いつもの口調でそう言った。
「よし」
そう言って音葉は扉をノックし、ゆっくりと扉を開けた。
「こんにちはー……」
控えめに挨拶をし、部屋に入っていく音葉に、私、樹、詩枝の順で続いた。
部屋の中には、詩枝から眠気を取り除き、大人の魅力を加えたような若い女性がベッドに座っていた。
「こんにちは。この子たちがさっき言ってた友達だよね、樹?」
そういえば、学校で樹が電話でアポイントメントを取っているような会話をしていたのを思い出した。恐らくその時に私たちのことを話したのだろう。
「そ、そうです……」
樹はわざとらしく詩枝と奏芽の間に入り込んだ。だが、詩枝は樹の横から顔を覗かせ、そして目を見開きながら震え始める。
「お……姉……?」
奏芽は悲しげに微笑むだけで何も言わない。
この時、私は樹がどうして消極的な行動をとっていたのか──その理由にようやく気付いた。
「……嘘だ」
詩枝は、確信を持ったように呟く。
「僕の家族は僕が全員殺した! 大好きだったパパもママも……お姉も!!」
詩枝は自分の罪を完全に認めている。そして、その罪滅ぼしもしようとしていた。言い方は悪いが、奏芽が生きているということは、彼女の罪の意識を否定するも同然なのだ。しかし、奏芽はそんなことは知らない。彼女は、愛する妹を抱擁するように優しく言った。
「私は……生きてるよ」
だが、それは逆効果だった。罪滅ぼしが生きる糧とも言える程そのことに拘っていた詩枝にとって、眼前に広がる光景をそうやすやすとは信じる訳にはいかない。
「嘘だッ! 嘘だ嘘だ嘘だッ!! さてはマナの力で幻覚を見せているな? 解け! 今すぐこの幻覚を解け!!」
「詩枝!」
奏芽に殴りかかろうとする詩枝を、樹は死に物狂いで押さえ付ける。
「うーん、弱ったな……」
困り顔をする奏芽だったが、それでもまだ笑顔は崩さなかった。少しして、奏芽は何かを閃いたように手を叩いた。
「よーし分かった。私は能力者だ。霊媒師のね。実は今、君の為に君のお姉さんの魂と接続しているんだ。だから君のお姉さんの姿をしているのさ!」
子供騙しにもならない突拍子もない話だが、詩枝を落ち着かせるには効果的な方法だったのかもしれない。何故なら、詩枝が暴れるのを止め、大人しくなったからだ。
「なんだ……それならそうと最初に言ってくれればよかったのに……」
普段の詩枝なら一目で嘘だと見抜けたのかもしれないが、生憎今の詩枝にいつものような冷静さはない。言いくるめられるのも無理はないだろう。
何とか詩枝を落ち着かせた奏芽は、ホッとしたような表情をした後、改まった様子で言った。
「と言うわけで……改めまして“財前奏芽”です。詩枝と仲良くしてくれてありがとうね!」
奏芽は、心底嬉しそうな笑顔を見せた。表情豊かな詩枝というのも悪くない。
「お姉……会いたかったよ」
詩枝は実の姉にハグをした。それを、奏芽が優しく抱擁する。
二人のハグを見た音葉は、私をからかうように肘でつつきながら、
「あれれ~? この光景、どこかで見たことがある気がするぞぉ?」
と言った。
恐らく音葉は昨日のことを言っているのだろう。既に黒歴史と思っていることを掘り返されては気分がよくない。
「う、うるさいな……!」
とりあえず私は、恥ずかしい気持ちを抑えながらそれだけを言った。
視線を音葉から姉妹に移すと、二人は既にハグを止め、昔のことについて語り合っていた。積もる話もあるだろう。今は二人の世界に居させてあげよう……
◆
半時間程経っただろうか。詩枝の懺悔から始まった二人の会話は、楽しかった過去の話を経て、今終結した。
「今日は皆に会えて本当によかったよ。またいつでも遊びに来てね!」
奏芽は、まるでここが自分の家かのような言い方をした。何が理由で入院しているのかは分からないが、詩枝の事件以降ずっと入院しているのならば、その言い方も強ち間違いではないのかもしれない。
「色々ありましたが、俺も皆を連れてきてよかったと思っています。奏芽さんのおかげですよ」
「皆がいい子だったから楽しい時間に出来たんだよ? まぁ、私のおかげっていうのも少しはあるだろうけどね」
「ははは、そうですね。では、そろそろおいとまさせていただきますね」
「あっ、ちょっと待って」
奏芽はテレビの横に置いてあるスマートフォンを手に取る。
「皆の連絡先教えてよ! これから話したくなることもあるだろうしさ」
彼女がはっきりと“マナの結界”の発生を迅速に知らせる為と言わないのは、詩枝を思ってのことなのだろう。
「出来れば、SNSがいいかなー。一人一人電話するのも面倒だし」
「それじゃあ占星術部のグループに招待するよ。詩枝もそれでいいよね?」
「構わないよ♪」
詩枝は上機嫌にそう返答した。話を聞いていない気もするが、まぁいいだろう。
私たちは樹の招待によって、無事同じグループに所属することになった。
「よし、皆ありがとう! 占星術部が何をする部活なのかは分からないけどね」
「せ、占星術をするんですよ」
「田神君って占星術できるの?」
「軽ーくならね。ははは……」
私たちは数分他愛のない話をし、今度こそ奏芽とお別れすることとなった。
「奏芽さん、今日はありがとうございました」
「ありがとうございました!」
樹と音葉が礼を言いながら病室から出ていく。
続いて、詩枝が今まで見せたことのない笑顔でこう言った。
「お姉、生きていてくれてありがとう……!!」
詩枝の衝撃的な発言に、奏芽は目を見開いた。
「驚いたな、気付いてたんだ」
詩枝は奏芽の発言を聞いていたが、それに返答することはなかった。そのまま踵を返し、病室を後にする。
最後に私──
「詩枝と会ってみて……どうでしたか?」
「そうだなぁ……よく分からないけど、とりあえず大きくなった詩枝を見れて感動したかな」
「……そうですか」
会話も無くなったので、私も彼女に背中を向け、歩き始める。後一歩で病室を出るといった時、奏芽が私を制止した。
「待って」
私が振り返ると、奏芽は自分の耳に手を当て、何か遠くの音を聞くかのように真剣な表情を見せた。
「“マナの結界”……いつもの場所だね」
「何か聞こえるんですか? 結界の展開音とか……」
「多分、貴女の目と同じ感じだよ。聞こえないけど聞こえる、みたいな」
「なるほど。私にしか分からない症状ですね」
「同じような能力を持つ者同士、仲良くしましょうね」
「喜んで。では、皆に伝えてきますね。さよなら──」
そう言って私は駆け足で病室を飛び出した。