知悉の瞳と抉る者
“マナの結界”が展開されたのは、今までと同じく私たちの通う高校の敷地内だった。プラネタリウム室が私たちの勢力の拠点なので、こちらは別段驚くほどのことでもないのだが、今回の“マナの結界”は詩枝が張ったとのことだ。こちらには驚きを隠せない。詩枝は拠点を囮に、待ち伏せでもしていたのだろうか。
音葉が正門を開け、私たちは校内に立ち入った。どうやら、樹はまだ到着していないようだった。武器を持たない私たちが先行するのは少し気が引けたが、樹が到着したと同時に情報を提供する為に、“知悉の瞳”だけは発動させておきたい。そう思った私は、音葉と共に校舎の陰から二人の能力者の様子を窺った。片方は当然“月鎌”こと詩枝だ。もう片方の人物は“AR”でもエイヤでもなく、初めて見る顔だった。
「マナの力で、触れた物の質量を大幅に減らすことができる……」
詩枝と対面して何やら話している私たちと同世代くらいの少年は、どうやらその能力をフル活用しているらしく、左右の手からは炎のようにマナが溢れ出していた。更にその右手には巨大な斧が、左手には巨大な槌が握られており、どちらも普通の人間ならば片手で扱えるようなものではないということが、一目見ただけでも理解できた。
対する詩枝はナイフすら手にしておらず、戦う気は無いと見て取れる。しかし、その表情からは余裕が感じられ、身体とは対照的に戦意に満ち溢れているようだった。
「うーん、声が聞こえないとどうしようもないな……」
私は首を引っ込め、音葉の方を向きながら言った。こればっかりはどうすることもできないと、音葉は肩を竦めた。
「樹はまだなの?」
「そうみたいね。まったく、一体何処まで修行に行ってるのやら……」
話すこともなくなったので、私は再び校舎の陰から詩枝たちの様子を覗いてみることにした。すると、姿勢を低くしながら、音葉も私と同じように校舎の陰から頭を出した。
「詩枝が動き出したわよ!」
音葉の言葉通り、詩枝が両手を前に突き出す動作をした。すると、詩枝の左右に二本の小さめの“月鎌”が出現した。
「嘘っ!? “月鎌”は詩枝自身のはずでしょ……!?」
音葉は、詩枝の左右に浮遊する“月鎌”を見て言った。
「どうやら、ただショックで寝込んでたって訳じゃなさそうだね……」
以前からあのような芸当が出来たのならば、それを使わない理由はない。それに、“知悉の瞳”があの技を読み取ったのは今が初めてだ。故に、あの技はエイヤとの戦いの後──学校を休んだ時に開花したものと見るのが普通だろう。
詩枝はマナの力で二本の“月鎌”を巧みに操り始める。少年は、もはや盾とも言える程大きな二つの武器で、それを受け止めた。“月鎌”は次の動作へと移る。少年の左右に移動した“月鎌”は、挟み込むように少年目掛けて直進した。しかし少年は両手を引き、武器でそれを受け止める。そして、力任せの一降りで、“月鎌”を遠くへと弾き飛ばした。
地面に落ちた二本の“月鎌”は、“AR”の“召喚獣”のように跡形もなく消え去った。
こんな状況でも全く動じない詩枝だが、間違いなく彼女の方が分が悪いと言えるだろう。と言うのも、あの“月鎌”は“月鎌”の形をした普通の槍と同じようなものなのだ。当然過剰火力とも言える貫通力も速さも持ってはいない。対する少年は、軌道の読みやすい“月鎌”を、詩枝のマナが尽きるまで防ぎきれば十中八九勝者となる。
「どうする? 私たちも行く?」
音葉の言葉に頭を悩ませていたその時、詩枝が新たに二本の“月鎌”を召喚した。
その二本の“月鎌”を、“知悉の瞳”が捉える。
「いや、その必要は無さそうだよ」
新たに召喚された“月鎌”は、先程のそれよりもより硬度を増していた。同時に、“月鎌”を操作する詩枝のマナの量も増加する。詩枝は、強化された“月鎌”を少年の正面へと持っていく。正面で停止する“月鎌”目掛けて、少年は手に持つ槌を凪ぎ払った。
しかし、その攻撃は後方に下がった“月鎌”に避けられてしまう。隙だらけとなった少年を“月鎌”が襲う。だが、少年の立て直しは予想以上に早く、二本の“月鎌”は彼の槌によって玉砕されてしまった。その勢いのまま、少年は詩枝に近付き、斧を降り下ろす。降り下ろされた斧は地面を抉り、深い爪痕を残した。斧を回避した詩枝は少年に新しい“月鎌”を射出する。軽くなった槌で“月鎌”を受け止めようとした少年だったが、ここで予想外のことが起こる。二本の“月鎌”が、彼の槌に突き刺さったのだ。“月鎌”は少年の槌から抜け、続けて少年の方へと突撃する。防ぎきれないと分かった少年は、何と二本の“月鎌”を両手で鷲掴みにした。これには詩枝も動じたようで、彼女は少し驚いたような表情を見せた。少年は質量の少なくなった二本の“月鎌”を詩枝目掛けて投擲する。圧倒的な力によって投げられた“月鎌”は、詩枝のマナではほとんど速度を落とすことができない。しかし、持ち主である詩枝は当然“月鎌”を飼い慣らしている。“月鎌”は詩枝に、触れる直前に姿を消した。
「お待たせ……!」
とその時、後方から疲れきった様子の樹が姿を現した。
「遅いわよ樹……!」
怒りを露にする音葉に樹は平謝りをした。
「それで、戦況どうなってる?」
「詩枝が新しい力を身に付けたみたいで、お互い一歩も譲らない感じよ」
「じゃあ俺も行くか──」
「樹が出ていくのはもうちょっと後でもいいんじゃない? 昨日みたいに連戦になる可能性もあるんだしさ」
「それはそうだけど……」
煮え切らない様子の樹だったが、ここに留まってくれるようだ。
観戦者が三人になったバトルフィールドだが、見ていない間に決着がつきそうになっていた。
“月鎌”によって刃が欠けた斧は、その負荷に耐えきれず、バラバラに砕け散った。少年は、穴の空いた槌を形振り構わず振り回し始める。それを回避しながら、詩枝は大きく後退した。少年が自分に近付いてくるのを確認した詩枝は、“月鎌”のように一瞬姿を消し、少年の後方に出現した。そして、彼の胴体に一本の“月鎌”を突き刺した。詩枝は突き刺した“月鎌”を強引に引き抜いた。少年の身体からどくどくと鮮血が溢れ出る。
「まさか、彼を殺すつもりか!?」
恐らくそうだろう。
いつもよりも冷ややかな目で、詩枝は倒れた少年に新しい“月鎌”を突き刺す。
「止めろ詩枝!」
その様子を見ていた樹が、校舎の陰から勢いよく飛び出して言った。樹の方を振り向く詩枝の視線に、頭だけを出していた私と音葉も捉えられる。
「皆、見ていたのか」
詩枝は、返り血を拭おうともせずに言う。
「見てよこれ。僕一人でも使える能力だよ」
詩枝は、二本の“月鎌”を召喚し、両腕を広げ、くるくると回転しながらそれらを動かしてみせた。
「ああ、それは本当に喜ばしいことだ。でも、それを殺す為に使っちゃいけない」
「……なんで?」
「……理由は君が一番よく知っているはずだ」
「もしかして、僕が家族を皆殺しにしちゃったことを言ってる?」
失笑気味に吐き捨てられた詩枝の言葉に、私と音葉は言葉を失ってしまった。
「その通りだ。能力の暴発とは言え、君はあの日のことに負い目を感じていただろう?」
「……そうだね。その気持ちは今も変わらない」
「だったら何で──」
「守る為さ! 僕はもう大切な人を失いたくないんだ。樹なら分かるだろう?」
「分からないよ……俺は犠牲を出さずに皆を守ろうと思っている」
「僕はそれを甘いとは笑わないよ。それは、きっと立派なことだ」
詩枝はここから否定しますと言わんばかりに大きく深呼吸をした。
「でも、愚かなことだとは思う……それは強者にのみ許された言葉だ。エイヤ=リーサのような、ね──」
誰も否定の言葉を口にしないと分かった詩枝は、虫の息となっているであろう少年の心臓に“月鎌”を突き刺し、こう続けた。
「能力者を殺せばマナが手に入る。マナが手に入れば、僕たちでもエイヤ=リーサを越えることができるかもしれない。樹の理想はそこからスタートする……これで妥協できないかい?」
樹は、少年を殺めた詩枝に向かって全力で駆けていった。そして、その勢いのまま詩枝の頬を拳で殴った。思わぬ事態に、詩枝はよろけ、そのまま尻餅をついた。詩枝は頬を押さえ、涙目になりながら樹を見上げる。
「どうして僕を殴るんだ……!? 君はこんなことをする人間じゃなかっただろう……?」
「君の目を覚ます為だよ、詩枝……」
二人の声は震えていた。だが、種類は別のものだろう。
「音葉、一応この男の子の息を確認してくれないか? もしかしたら、まだ救えるかもしれない」
「……分かった」
樹はこう言ったが、少年はもう息絶えている。音葉もそのことに薄々気付いているはずだ。それでも音葉は少年の側に座り込み、少年の首に右手の人指し指と中指を持っていく。
「……!! 音葉ダメッ! 下がって!!」
「きゃっ……!」
音葉が触れようとしたその時だった。急に少年が息を吹き返し、顔を上げたのだ。少年はにやつきながら口を開け、音葉の二本の指を第二関節程まで噛み千切った。
「っ──!!」
咄嗟に後退する音葉だったが、少年は音葉を押し倒し、彼女の首筋に噛みつき始める。必死に抵抗する音葉だったが、少年の勢いは凄まじく、次々と音葉の肉を抉り取った。
「あっ、くっ……!」
「止めろぉぉぉ!」
樹は、剣先が音葉に触れないように慎重に少年に斬りかかった。詩枝も少し遅れて“月鎌”で援護する。どちらの攻撃も少年に命中したが、気が付いていないのか、それとも痛覚が存在しないのか、気が狂ったように音葉を襲い続けた。
「樹! そいつを殺して! 早くっ!!」
「やむを得ないか……!」
樹は自分の理想を捨て、剣を少年の首にあてがった。樹が剣を握る手に力を込め、それを引き抜こうとしたその時、“月鎌”が少年の頭を貫いた。少年は動きを止め、音葉に覆い被さるように再び息絶えた。
「詩枝……」
「樹……君の手は僕が汚させないよ」
少し微笑みながら、詩枝が言った。
「音葉!!」
少年に意識を向けながら、私は音葉のもとへと駆けていった。その間に樹が少年を音葉の上から退ける。
再生したのか、私が駆けつけた時には、音葉の首は三割程しか削れていなかった。その傷も少ししたら完全に無くなり、音葉は土と血にまみれた上半身をゆっくりと起こした。
「いたた……」
音葉は再生した首筋を押さえながら顔をしかめる。
「大丈夫──ではないか。でも、無事でよかった……」
「凪、泣いてるの……?」
涙──こんなものがまだ私の中に残っていたとは。流したのはいつぶりだろう。もう思い出せない程昔……あの時は、どうして泣いたのだろうか。
「な、泣いてなんかないし……」
この言葉が強がりなのは、ここに居る全員が知っているだろう。そして、抑制の為に言ったこの言葉は、私にとって都合の悪い方へと傾いた。
「ぷっ、あはは……凪ガチ泣きじゃん……」
音葉はこれが自分の役目だと言わんばかりに立ち上がり、私をそっと抱き締めた。音葉の温もりから、私はあることに気が付いた。
「血まみれになっちゃうじゃん……もうっ……!」
私はもう、涙を堪える必要はないんだ──