知悉の瞳と片目の絲使いⅠ
エイヤが姿を消してから、一日が経過しようとしている。もう姿を見せないと言っていたので、これが当然のことではあるのだが、気になるので、勝敗くらいは知らせてほしかったと私は思った。もっとも、負けていた場合は知らせることは出来ないのだが。
「こちら、あんパンと紅茶でございます! 元気無いね。何かあった?」
弥子は、私に昼食の入った袋を渡しながら言った。
「いや、特に何かあったって訳ではないよ」
これは、勝手に私が考えて、困っているだけなのだ。わざわざ相談するような内容ではない。それに、話したところで彼女が理解出来るかも定かではない。
「そっか。私が力になれることなら何でも言ってね。出来る限りのことはするから……」
「……ありがと」
感謝の言葉を口にした後、私は弥子に小さく手を振って教室へと戻った。そこでは、朝から眠そうにしていた音葉が、昼食も摂らずに机に突っ伏して眠っていた。私はいつもと同じように、彼女の前の席に座る。そして、寝ている音葉を肴に、黙々と先程買ったあんパンを口に運んだ。
◆
放課後、私たちは帰路についていた。今日は樹による会議も能力者の襲来もない普通の一日だった。とは言え、まだまだ襲撃される恐れはあるので、気を抜くことは許されない。
「ふぁ~……」
大きな欠伸をする音葉に、私は呆れながらこう言う。
「今日ほとんどずっと寝てたね。昨晩何かあったの?」
「ちょっと眠れなくってねー……」
音葉は、涙を指で拭いながら言った。
直後、前方から不審な動きをする人物が近付いてくることに気が付いた。
「エイヤ!?」
音葉の言う通り、その人物は“エイヤ=リーサ・カタヤイネン”その人だった。
「わたくしも……運がいいみたいですわね……」
踝から下を失った右足を引き摺りながら、エイヤはフェンスに手を掛けながらこちらに接近してくる。その失われた右足には、止血の為かマナの足が付けられていた。服も鋭いもので切り裂かれたようにボロボロで、かなりの激戦を繰り広げていたということが見て取れた。
「何があったの!? 今回復させてあげるから……!」
音葉がエイヤを座標指定し、能力を発動させる。すると、今までよりも速い速度で彼女の身体は再生していった。
「助かりますわ」
エイヤはフェンスにもたれかかり、裸足の右足を確認するかのように触った。
「それで、何があったの?」
エイヤは足の確認を止め、マナの靴を右足の周りに召喚した後で語り始めた。
「わたくしはあの子の前から逃げ出してしまいました」
「負けちゃったの?」
「負けてなんかいませんわ! 戦略的撤退です!」
足を失い、ボロボロになりながら逃げてきた後でそんなことを言われると、どう反応すればいいのか分からなくなってしまう。
「薫は?」
私が問いかけると、エイヤは寂しそうな顔をした。
「薫とははぐれてしまいました。生きていてくれればいいのですけれど……」
「やっぱりあの人も死んじゃうんだ?」
「当然ですわ。不死身の能力なんて、反則にも程があります!」
エイヤの言葉を聞き、音葉は苦笑した。
「貴女たちにリベンジをしてもらおうなどとは考えていませんが、もしもの時の為に、情報提供はしてあげますわ」
情報提供……私たちが戦うことになるのかは分からないが、まぁ知っておいて損はないだろう。
「あの子の能力はマナの糸化。しかも、わたくしと同じで硬くも柔らかくも出来るみたいですの」
それだけではないと、エイヤは話を続ける。
「ですが、厄介なのはそこではありません。見えない糸──これが厄介なんですの」
「見えない糸?」
「ええ。刃物のような鋭利な糸が、そこら中に張り巡らされているんですの……つまり、動けば動く程リスクが大きくなるという訳ですわね」
樹と詩枝はどちらも接近戦を得意とするスタイルだ。近付くまでにやられる可能性もあるのかもしれない。となると、私たちとの相性は最悪だ。
「わたくしは、これにやられてしまいましたわ。あの子の能力を詳しく知らなかったばっかりに……」
エイヤが悔しそうな表情をしながら言った。
「……情報提供はここまでです。薫を探しに行きま──」
エイヤの言葉を遮るように、“マナの結界”が展開された。
「乙倉さんは……私のもの……」
展開主は、マナを持たないはずの“蓮見切菜”だった。