知悉の瞳と喚び召す者Ⅲ
「ぎ──凪……!」
年相応の澄んだ声によって、私の目は闇を振り払った。目の前には音葉が居り、私はまた授業中に居眠りでもしてしまったのかと飛び起きた。そして、今あったことを鮮明に思い出した。
「何で音葉が生きてんの!?」
「癪に障る言い方ね……まぁいいわ。凪が手当てしてくれたおかげよ」
音葉は両手を握ったり開いたりして、私に腕が引っ付いていることをアピールした。薫も大概だったが、この子も相当なゾンビ体質だなと私は思った。
「あれ、本当に有効な手段だったの……?」
「結果的にはね」
結果的……? どういう意味なのだろうか。
「あっ、凪ちゃん起きたんだね! よかった……」
樹は胸を撫で下ろしながら言った。
「樹も大きな怪我をしていた気がするんだけど……幻覚かな……?」
「凪は私を誰だと思ってるのかしら?」
音葉は得意気に無い胸に手を当てながら言った。どうやら、彼女が回復させたらしい。“月鎌”を返された詩枝は、私の隣で死んだように眠っていた。呼吸をしているように見えるので、恐らく彼女も生存しているだろう。
「大体分かったけど、肝心の音葉が回復した理由をまだ聞いてないよ。本当にあれで回復したとは思えないし」
「それはそうね。あれじゃ私の能力は発動できなかった。でも、本当に偶然なんだけど、私の能力がその時強化されちゃったみたいで、わざわざ触れなくても回復出来るようになったみたいなの」
「何それチートじゃん。神様と寝たりしたとか?」
「は、はぁ!? バッカじゃないの!? あんたの脳みそも今すぐ治してあげようかしら!!?」
「だよねぇ。音葉と寝るのは樹──」
音葉は、私の頬を片手で摘まむように押し込み、それ以上喋れないようにしてきた。
「あんた、本当にいい加減にしなさいよ……?」
「えっ、俺がどうかしたのかい?」
「樹は黙ってて!」
相変わらずの様子の樹が、音葉に八つ当たりされてしまった。申し訳ない気持ちもあるが、これも愛の表現の一つだと思う気持ちの方がそれに勝ってしまったので、私は何も言わないでいることにした。
私たちが茶番劇を繰り広げていると、目を覚ました詩枝がむくりと起き上がって言った。
「皆楽しそうだね。僕も混ぜておくれよ」
「楽しくなんか無いから、詩枝はもうちょっと寝てなさい!!」
「どうせ寝るなら家の布団がいいな。そろそろ帰ろうよ」
「……それもそうだね」
詩枝の提案を受け入れ、私たちは正門の方へと歩き始めた。
「ん?」
私は、正門の前に何かが落ちているのを確認した。他の三人も気付いているらしく、私たちは互いに顔を見合わせ、不安を抱きながらも、その物体に近付いた。
「!?」
その物体は、人の形を模していた──いや、人そのものだった。
「“AR”……ちゃん!?」
両の腕を切断され、右目を抉り出され、胸部には穴が開き、腹部を破かれて内臓をぶちまけているそれは、“アンジェリカ・ラインハルト”という名の少女そのものだった。先程は暗くてよく見えなかったのだが、彼女の周りには、驚く程の量の鉄の香りを漂わせる液体が広がっていた。
余りの残虐さに、音葉は口を押さえながら木陰へと走っていった。私も口の中が酸っぱくなるのを感じた。
「一体誰がこんなことを……!?」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたい樹が小さく呟いた。詩枝は平気なのか、遺体に顔を近付け、あるものを発見した。
「見て。彼女の首、マナの糸で縫われているよ」
詩枝の言う通り、アンジェリカの首はホラー映画のぬいぐるみの口のように、ジグザグにマナの糸で縫い付けられていた。
「切断した後に縫ったってことか……?」
樹が自問するように言った。私もその意見に同意だが、出来ればこれは間違いであってほしい。余りにも残虐すぎる。
「“九つの呪いを司りし者”が召喚されたのは二〇時ちょうど……ということは、私たちが戦ってる間に殺されたってことだよね」
「僕たちのうちの誰かが気付いていれば、彼女を救えたのかもしれないね」
詩枝は、開いたままとなっていたアンジェリカの瞼を閉じながら言った。その時の衝撃で、貯まったままとなっていた彼女の涙が一筋流れた。
それからしばらく経つと、音葉が具合の悪そうな様子でこちらへと戻ってきた。もう大丈夫という彼女を連れて、校門を出る。すると、樹はズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、いつもの裏の能力者らしき人物に電話をかけ始めた。樹が会話を止め、スマートフォンをポケットに戻したその時だった。
「皆様ごきげんよう。この様子だと、あの子は負けてしまったみたいですわね」
エイヤが上品な佇まいで大通りの方から歩いてくる。
「薫の時は行かなかったので、先程オススメされたドーナツ店に行ってきましたの。それで、あの子は何処に居るのです? わたくしが連れ帰って差し上げますわ」
エイヤは校門の中を覗き込むような仕草をしながら言った。
私たちの顔が暗くなるのを感じたエイヤは、私たちの間をすり抜け、校内へと足を踏み入れた。恐らく、アンジェリカを探しに行ったのだろう。
……少しして、エイヤが“クーンシルッピ”を構えながらこちらへと歩いてきた。
「一体誰が殺したんですの……?」
その声は重く、とても威圧感があった。
「答えなさい! 誰があの子を殺したんですの!?」
エイヤは今にも投擲しそうな勢いだ。見ているだけでも、今までとは比べ物にならない程怒っているのが分かる。
「俺たちが彼女の“召喚獣”と戦っている間に殺された可能性が高い。誰が殺したのかは分からないが、切断された首が、マナの糸で縫われていた……」
「マナの……糸……?」
エイヤはまさかといった表情で言った。そして、駆け足でまたアンジェリカが居るであろう方向へと向かっていった。
数秒程で帰ってきたエイヤの右手は、血に濡れていた。マナの糸に触れたのだろうか。
「戦争……ですわね」
エイヤはぽつりとそう呟く。
「わたくしたちが貴殿方の前に姿を現すことは二度と無いでしょう。何故なら、今からわたくしが全てを終わらせにいくから──です」
「……どういうこと?」
「以前話しましたわよね。わたくしたちの勢力の目を失った子の話」
「聞いたけど、それにどんな関係があるっていうのさ?」
「あの子の能力はマナを糸に変化させるもの。言ってみれば、わたくしの能力の特化バージョンですわね」
マナを糸状にすることしか出来ないが、その分、糸状にすることに関してはエイヤ以上の腕前を持っている──といったところだろうか。
「“AR”ちゃんの首はマナの糸で縫われていた……なるほど、そういうことか」
「とは言え、そのような失態を犯す子ではありませんし、これは意図的なもの。わたくしに対する宣戦布告でしょう」
その考えが正しいのかは分からないが、わざと分かりやすい足跡を残しておいたことには何か意味があるのかもしれない。それとも、エイヤがこんなところに居るとは予想できなかったのだろうか。
「それでは、わたくしは失礼させていただきますわ」
「俺たちも手伝おうか?」
「いえ、これはこちらの問題です。それに、貴方たちは今疲労していますし、今日はゆっくり休むのがいいんじゃなくて?」
「……分かった。健闘を祈っているよ」
樹のその言葉を聞いたエイヤは、にっこりと笑った後、空に向かって、
「行きますわよ、薫!」
と言った。
薫と呼ばれる少年は、先日死に絶えたはずなのだが、エイヤの呼び掛けに応えるように、少年は空から降ってきた。
「殺し合いだぜぇぇぇぇ!!」
薫は、満月に遠吠えする狼のように空に叫んだ。
エイヤは不快そうに耳を塞ぎ、静かになったのを確認してから、薫と共に私たちの前から姿を消した。
──よっぽどのことでも無い限り、彼女らが敗北することは無いだろう。
私は、敵ながらそう思った。