知悉の瞳と大黒蠍
「凪、今日もお願いできる?」
私“乙倉凪”に頼み込んでいる彼女は“暮木音葉”という名だ。幼馴染みの“田神樹”に好意を寄せているようなのだが、彼があまりにも鈍感な為、かなりのストレスを抱え込んでしまっているらしい。
それ故に、月に二度ほどの頻度で私に愚痴をこぼし、その鬱憤を晴らすというイベントが開催されるのだが、そろそろ私も面倒に思うようになってきてしまった。
「いいけど、音葉の奢りね」
しかし、音葉も私に気を遣って必ず一品奢ってくれるので、普段は手が出ない高価なものを食べることができると思えば、それもそれほど苦ではなくなる。
「一品だけね! それじゃ、今日もいつものハンバーガー店で!」
「えー、またハンバーガー? 今日は違うところにしようよ……」
「じゃあ、何が食べたいの?」
「うーん……あっ、ドーナツがいいかな。大通りのいかにも高そうなあのお店ね」
音葉は少しの間唸っていたが、渋々ながら私の提案を了承してくれた。
◆
ホームルームが終わり、帰宅を許された私と音葉は、約束通り大通りにあるドーナツ店を訪れていた。
その店には、他のドーナツ店では見かけない珍しい種類のドーナツが沢山あり、さすがの私も目移りをしてしまう程だった。
「凪、どれにするか決まった?」
「決まったよ。あのイチゴの三百円のやつ」
「さ、三〇〇……」
普通のドーナツ店のものと比べて一回り程サイズが大きいとはいえ、その値段のドーナツを奢るというのは音葉にも少々躊躇われるようだった。
「……分かった、それ奢ってあげる」
諦めてお金を払った音葉は、空いているテーブルを見つけ、私と対面するように席に着いた。
「自分で言うのも何だけど、よくこんな意地悪な子を毎回相談役に抜擢するよね」
私がそう話を切り出すと、音葉は苦笑した。
「確かに意地悪なんだけど、凪に相談すると必ず何か発見があるのよね。心を覗いて、欠けているピースを的確に埋めてくれるっていうか……」
「その例えばよく分からないけど、力になれてるなら私も嬉しいよ」
「顔は嬉しそうじゃないけどね」
私は、どうも笑顔というものが苦手らしく、よく色々な人に指摘されてしまう。そのせいもあってか、友達は決して多くはない。
「さて、じゃあ始めますか。そのドーナツ高かったんだから、味わって食べてよねっ!」
「次はいつ食べられるか分からないし、そうさせてもらうね──」
私が言い切ると同時に、音葉のスマートフォンが着信音を奏で始めた。
「何よ、大事な時に──」
スマートフォンの画面を見た音葉は少し硬直した後、さっと立ち上がり、私にこう告げた。
「ごめん、用事できちゃった。私のドーナツも食べてくれていいから、今日はこれでお開きね。それじゃっ!」
そそくさとその場を後にする音葉の後ろ姿は、どこか慌てているように見えた。
「わざわざ十五分もかけてこのお店まで来たのに……まあ、タダだしいっか」
◆
二つのドーナツをたいらげた私は、ここまで来たついでに大通りのCDショップに寄ることにした。ここのCDショップは品揃えが良いと音葉から聞いていたので、前々から興味があったのだ。
音葉の言っていた通り、このお店には最新のものから昔欲しかったものまで、幅広いジャンルと年代のCDが販売されていた。
それが知れただけでも私にとっては収穫と言えるのだが、生まれつきだと思われる金髪ツインテールの少女が、日本人ではあり得ないほどノリノリで音楽を試聴する微笑ましい光景も見ることができ、何だか得した気分にもなれた。
そうこうしているうちに辺りは既に暗くなっており、私は家に帰るために来た道を戻っていくことにした。
普段この時間まで大通りにいることはないので知らなかったのだが、この通りにあるお店はどれも綺麗な装飾を施されており、それはまるでクリスマスシーズンの景色のようだった。
光の輪を潜り抜け、学校の前に差し掛かる。
私がふと校舎の方を見ると、今いる位置の反対側の校舎の影から、巨大な蠍の尻尾のようなものが見えた。
「“大黒蠍”……?」
その尻尾を見ていると、聞いたこともない情報が次々と頭の中に浮かんでくる。
「鋏なのに叩くことに特化されてるんだ……それに、尾には触れただけで死ぬほどの毒が……」
何故こんな情報が次々と思い出されるのかは分からないが、今はそれ以上に何故こんな大きな蠍が学校にいるのかということの方が疑問に思えた。
「凪!?」
私が無心で蠍の尻尾を目で追いかけていると、急に横から聞き覚えのある声が発せられた。
声の方を振り返ると、そこには用事があると立ち去っていった音葉が立っていた。
「こんな所で何してるのよ!」
「何って、蠍の尻尾を見てるだけだよ」
声を荒げる音葉とは対照的に、私は自分でも驚くほど冷静な声でそう言った。
「……とにかく危険だから、貴女は早く家に帰って」
「音葉は帰らないの?」
「私も帰る! 帰るから、凪も帰って……」
「……訳有りみたいだね。それじゃ、お言葉に甘えて帰ろっかな」
そう言って、私は音葉の横を通り過ぎる。
「あ、言い忘れてたけど、あの蠍の前から二本目の足が生えている胴体部分──そこに弱点があるみたい。輪切りにするみたいに一直線全部ね」
「何で……そんなことが分かるのよ」
「あの蠍を見てると、急に頭に浮かんできたんだよ。何でかは私にも分かんないけど」
私がそう言うと、音葉は少し考えるような仕草をしながら、
「能力……? いや、まさかね……」
と呟いた。
それから数秒ほど考えるように私を見つめた後、音葉が何かを決心したような口調でこう言った。
「嘘をつく必要もないもんね……分かった、凪を信じるよ」
音葉はそう言い残して学校の敷地内へと駆けていった。
「……結局帰らないんだね」
走り去る音葉を見つめながら私は言った。
──さて。
私は、校庭へと足を踏み入れた。
本気で心配をしてくれている友人には悪いのだが、私には一切帰宅するという意志はない。
何故なら、私も彼女が心配だからだ。
……あの大きな蠍を、音葉がどのように倒すのかが気になっているというのも本音だが。
『見つからなければ大丈夫』という謎の自信を胸に秘め、私は“大黒蠍”の方へと歩みを進める。
その間もずっと“大黒蠍”から情報を読み取っていたのだが、重要そうな情報は一つも得ることができなかった。
“大黒蠍”から三〇メートルほど離れた位置に植えられている桜の木の裏に身を潜めた私は、“大黒蠍”の側に音葉の姿がないことに驚愕した。
そして、その蠍が校舎を破壊する為に鋏を降り下ろしているという事実を知った。知ったところで、不思議な目しか持たない私にはどうすることもできないのだが。
その間も、“大黒蠍”は私に見られていることにも気付かず、大胆に校舎を破壊し続けている。
音葉の姿もないので、ここに居ても仕方がないと立ち去ろうとしたその時、剣らしきものを持った一人の少年が、常人離れした脚力で“大黒蠍”の背中に飛びかかった。降り下ろされた剣は、如何にも硬そうな“大黒蠍”の鎧に鋭い爪痕を刻む。
痛そうに背中を反らしながらも、地面に着地した少年を視界に入れた“大黒蠍”は、彼を叩き潰そうと大きな鋏を一気に振り降ろす。
鋏を回避し距離を取った少年は、片手を空に向けて、
「“月鎌”!」
と叫んだ。
その直後、黄金に輝く一本の槍が、掲げられた少年の掌の中に収まった。少年は黄金の槍をしっかりと握り締め、すかさずその槍を“大黒蠍”に向けて投擲する。
一瞬姿を消したように見えた槍は、次の瞬間には既に“大黒蠍”の胴体を貫通し終えていた。
前から二本目の足が生えている胴体部分を貫かれた“大黒蠍”は、浄化されるように光を散らしながら跡形もなく消え去った。
「そうやって倒すんだ……終わったようだし、帰りますか──」
「ここで何をしているんだい?」
見たかったものも見れたので、さっさと帰宅しようとした私の後方からクールな声が聞こえてきた。
恐る恐る振り返ると、そこには低身長の眠そうな少女がこちらを見ながら立っていた。
「あ、お構いなく……」
そう言って二歩ほど歩いた時、少女が私の腕をがっちりと掴みながら言った。
「悪いようにはしない。ただ、少し僕たちに話を聞かせてほしいんだ」
「わ、分かったよ……」
抵抗しても無意味だと悟った私は、少女の誘導に従って先ほどの少年のもとへと連れられていった。
少年の側には何故か居なくなっていた音葉が居り、私の姿を確認した瞬間、血相を変えて両手で私の胸ぐらを掴んできた。
「あんた、何でこんなところにいるのよ!?」
「お、音葉が心配だったから……」
「その気持ちは分かる、私も同じだったから。でも、何の力も持たないあんたに一体何が出来たって言うの!?」
「あー、まあ、うん……何も出来ないかも……」
「……今回は何事もなかったから許すけど、もう二度とこんなことはしないでよ──」
音葉は私の胸ぐらを掴んでいた手を離し、皺になった私の制服を綺麗に整え始めた。
「君、いつも音葉と一緒に居る子だよね?」
少年は音葉の気迫に押されながらもそう言った。
声のした方に視線を向けると、驚くことにその声の主は見たことのある顔をしていた。
「あっ、“田神樹”君だ」
私の言葉を聞いた樹は、少し和らいだような表情になった。
「やっぱり! いつも音葉が迷惑かけてないかな?」
「うーん、多少は……」
「ちょっと凪!」
「ごめんごめん、冗談だって」
「いつ見ても仲良しだね──ええと、“乙倉凪”……ちゃんだっけ。君、あの大きな蠍を見て何かを感じなかった? 例えば──弱点とか」
そう発言した樹を音葉は鋭い目で睨んだ。
その様子を見ていたので、真面目に返答すればまた音葉に怒鳴られるかもしれないと思ったが、樹に聞けば何かが分かるかもしれないとも思った私は、覚悟を決めてこの目のことを告げることにした。
「それって、前から二本目の足が生えている胴体部分──とか?」
「……どうしてそんなに細かいところまで分かったんだい?」
「うーん、思い出したっていう表現が一番適切かな。どうしてかは私にも分かんないけど、とにかくあの蠍の特徴とかが色々と頭に浮かんできたんだよね」
考えるような仕草を見せる樹に小さな少女が言う。
「樹、これはもしかして……」
「……可能性は高いね」
私には何のことだかさっぱり分からないが、どうやら二人の考えは合致したらしい。音葉も同じ考えのようで、否定の言葉を口にすることはなかった。
「凪ちゃん、明日の放課後、プラネタリウム室に来られるかい?」
「来られるけど、プラネタリウム室ってちょうど壊されたところの近くでしょ? こんなに壊れてたら閉鎖されちゃうんじゃない?」
「そのことについては大丈夫さ。俺に任せておいてよ」
何が大丈夫なのかは分からないが、自信満々な様子を見るに、とにかく大丈夫なのだろう。
「後、今日のことは他言無用でお願いするよ」
「分かってるって。というか、言っても誰も信じてくれないだろうしね」
「ははは、確かに……それじゃ、今日はもう帰ってゆっくり休むといいよ。また明日ね!」
半ば強制的に帰還を促された私は、不本意ながらも手を振る樹を背に校門へと歩き始めた。
こんな夜でも、コウモリは元気に空を舞っていた。