16.何故私はここにいるの? 前編
んん、と空咳をして、気を取り直す。
ぐだぐだな空気は、その程度で直るものでもなかったが、この際気にしない。
「えっと……どこまで、話しましたっけ」
「あー。うーん?」
首を傾げたニキ以外のメンバーも、特に何も答えない。同じく忘れているのか、答える気が無いのか。
頭でも痛いのか、目の前でフードを押さえたファンクスが「僕とヒナさんが精霊で、僕はアイレイスさんを助ける為に魔力を集めている、というところまでだよ」とこれまでの話をまとめた。あー、と上がる声に、ファンクスの冷ややかな目が向けられる。
「で? それが正しいとして、君たちはそれを知ってどうするのかな」
雛㮈の心を冷やすような、昏い目だ。
「僕を止めるということは、アイレイスさんを救わないということになるけど、君はそのために僕を止めに来たの?」
ハッと息を飲んだ。──元々アイレイスを救うために、光眠り病の治療法を探そうとしていた。けれど今、光眠り病を止めることは、アイレイスを死なせることに繋がる。
契約を強制終了することは可能だ。精霊としての知識が、雛㮈に教えてくれる。ファンクスを完全に消滅させれば契約は終了となる。──殺すか、あるいは魔力を満たして強制的に転生させれば。
「……アイレイスさんは、そうして欲しい、と言いました」
「────」
ファンクスが、ひどくもどかしそうな、苦しそうな顔をした。どちらも、“助けたい”と思っている。お互いを。それ以外の者を。
『だからね、ヒナ、お願いよ。
ファンクスに会えたなら、
──彼を止めてちょうだい。
あたくしは、天寿を全うするだけだもの。
決して多くは、望まないわ。』
手紙の締め括りを思い出し、目を伏せる。ばくばくと、心臓が大きな音を立てている。
今日という日が、一生来なければいい、と思った。もう一度、彼女と話せたら良かったのに、とも思った。けれど、どれだけ拒否をしても、時は流れる。今日という日はやって来た。
「……分かっている。そう言うだろうね、彼女なら。他人の命を使ってまで生き続けたくない、と言う。プライドの高い子だから。『魔法使いは圧倒的であるべし』が信条だしね」
困ったように、悲しむように、慈しむように。
この人は、自分よりもずっと長い時間をアイレイスと過ごしていたのだ。彼女がどんなことを考えるかなど、雛㮈が伝えるまでもないだろう。
「分かっていた。分かっていたから、何も伝えなかった。僕と共に歩く未来よりも、彼女が長く生きる未来が欲しかった。彼女を苦しめることになっても、僕は彼女に生きて欲しかった」
勝手だろう、と笑う彼は、泣いているように見えた。そんなことをアイレイスが望んでいないことなど、重々承知の上で、それでもそうせずにはいられなかったのだ、と。
雛㮈の肩を持つ手に、力が入る。それが雛㮈に『しっかりしろ』と告げるためだったのか、それとも彼自身を叱咤するためだったのか。
カーダルの前にいる親の仇は、あまりにも“人間”だった。
「誰かに責められても、人の命を奪っても、勝手だと罵られ、死ぬ程恨まれ、殺されたとしても、僕は彼女を救いたい」
震えた声は、狂うことすら抑えているようにも思えた。それすらも自分には許されない、と。
「僕と同じように生きる何の罪も無い人々の命を奪う罪悪感と、この世界をルルーシア一族が救ったのであればこのくらい良いだろうという気持ちが、せめぎ合うんだ。先祖の人はそれを承知で精霊王を呼び出したのかもしれないけれど、何故アイレイスさんがその代償を払わなくてはいけないのか」
多くの人の命を支えるためだ。
理性ではわかっている。多分、誰もが。それが“合理的”で、一番“賢い”選択なのだと。
「……それでも、俺の両親が死ななければならなかった理由にはならない」
唸るような声は、雛㮈の頭上から発せられた。素の口調になっている。繕う程の余裕は無かったのだろう。「そうだね」とファンクスは答える。その通りだ、と。その声は、不自然な程に穏やかだった。
「さて、どうするの。君たちが邪魔をするなら、僕は抵抗させてもらうけど」
「黙らせましょうか? こんな男一人、どうとでもなります」
どうやらこの悪魔は相当暴れたいらしい。止めようとして、躊躇う。止めるのか?
アイレイスから望まれていることは、ファンクスを止めることだ。一人では止められない願望を、止めることだ。
それは、彼という存在を殺すことであり、アイレイスの命を諦めること。
──待ってください、と何度目かのお願いをする。
す、と息を吸い込む。肩に置かれた手を強く握り、離した。「ヒナ?」訝しむ声を、無視する。
「賭けをしませんか、ファンクスさん」
強い眼差しを向ける。逸らさない。
記憶を繋いでいく。日本にいた宮古雛㮈と、こちらの世界でのヒナと、精霊としてのヒナの記憶を繋いでいく。
──幸福の材料は、どこにある?
今は、どこにもない。
だから作り出すしかないのだ。
「賭け?」
はい、と頷く。
「私がアイレイスさんを救います。代わりに、契約解消をしてください」
「救う? 君が? どうやって?」
「これまでと同じです。彼女の深層世界に潜って、精霊に魔力を込めます。それだけです」
殊更簡単そうに言い、雛㮈は無理に口角を上げた。ファンクスはあり得ないとばかりに声を荒げた。その勢いで、フードが外れる。
「あの黒い精霊は、君を狂わせる! それは君もよく分かっているだろう?」
闇へと誘う精霊の声は、耳について離れない。影響力の強いものだ。一瞬垣間見たアイレイスの世界は、黒い精霊ばかりが集まる世界だった。
それでも、闇に堕ちるわけにはいかない。ここで引くわけにもいかない。
「分かっています。でも、やります」
「……彼を置いてでも行くのかい?」
示された先には、カーダルがいる。ふわりと雛㮈は笑った。
「逆ですよ。カーダルさんや、みんながここにいるから、耐えられるんです」
格好悪くても、苦しくて呻いても、待っている人がいることは、力に繋がる。
応えるように手が握られる。その温かさに、気持ちが落ち着く。
「光眠り病から一気に魔力を得る方法よりも、時間は掛かります。でも、これ以上は人の命を奪わない方法です」
「……成功すれば、の話だよ。失敗すれば、アイレイスさんも、君も、みんな死ぬだけだ。僕が奪った命も、全て無駄にして」
腹に力を入れる。
なるべく、自信がある風に見えるように。
震えを隠して。
握られた手に力を貰って、離す。
「私は! アイレイスさんの弟子で、魔法使いですから!」
両手を広げる。全てを掴むつもりで。
「絶対的に強く在ります。負けそうになってもしがみついて、這ってでも生きます」
踊るように舞う。精霊王の周りをうようよと浮遊していた精霊が、おもしろそう、と寄ってくる。
くるくる、くるくる、と。
風を起こして。
「賭けをしましょう。私に賭けてくださったら、きっと成功しますよ?」
精一杯の虚勢を張って。
それが真実になるように笑う。
おそらく、心臓バクバクの雛㮈さん。




