13.何故貴方はそこにいるの? (4)
手紙を手に取る。封は、魔法によってされていた。雛㮈以外では開封できないようになっている。無理に開けようとすると、中身が消える仕組みだ。
手を触れると、チリ、と音がして、手紙が封筒からするりと浮き出た。今にも飛んでいきそうなソレを、慌てて捕まえる。
雛㮈は手紙から(文字通り)飛んで行こうとする文字を魔力で押さえながら、中身を読む。
*****
親愛なるヒナ
貴女がこれを読んでいるということは、あたくしの身に何かが起こったということね、ファンクスと会う前に。とても残念だわ。それだけは、どうにかして間に合わせたかったのに。ああ嫌だわ、“できないかもしれないこと”を、今から諦めても駄目ね。
*****
なんともアイレイスらしい出だしに、ふ、と口元を緩める。悔しそうに口を尖らせる彼女が脳裏に浮かんだ。
*****
何故、あたくしに時間が無いのか。
いつか貴女には話そうと思っていたの。これは本当。ひょっとしたら、この手紙を読む前に、聞いているかもしれないわね。どうかしら。
それでも、可能な限りあたくし自身の口から、伝えたいと思っていますのよ。
あたくしの一族が、この王国一の魔法使いの一族であることは、ご存知でしょう。遠い昔から、変わらぬ続く血よ。先祖代々、王の傍に控える者でしたわ。
事情が変わったのは、百年ほど前かしら。この国を、ある危機が襲ったの。
──精霊風の異常発生。
通常よりも大きな精霊風が各地で発生し、家も、動物も、──人も。全て飲み込んでいったと、文献には残っていますわね。
国の一大事に、あたくしの一族は、ある決断をしたの。それが、禁術とされた精霊王の召喚。精霊王に、精霊風を鎮めてもらおうと思ったのよ。けれど、かの存在に願うことは、相応の対価を払う必要がありましたの。まあ、当然といえば、当然かしら。
──あたくし達が払うのは、あたくし達自身の命。当主が倒れ、また次の“継承者”が血を継ぎ、倒れる。そういう仕組みよ。
生きられるのは、平均して20代半ば。長くて30歳。早くて20歳でしたわね。とはいえ、寝たきりになる期間が2年ほどありますもの。その点、あたくしは長く持った方じゃないかしら。
*****
自分の呼吸が、やけに響いている。
──あの召喚部屋。
おそらくあそこで、過去にこの召喚が行われたのだ。本人と見紛う程に近しい魔力の残滓は、アイレイスの祖先のもので、……彼の人は、精霊王との契約により、その後命を落とした。
気を抜いた隙に文字がヒラヒラと飛んでいく。慌てて意識を、手紙に集中させて、逃げる文字を捕まえる。その文字自体が震えているように見えるのは、雛㮈の気のせいか。
*****
幼少から、自分に課された使命のことは、知っていたわ。国の礎となることを誇れ、と母は毅然としていたけれど、その裏で泣いていたことを知っているわ。
ご存知? “血”を継いだ者の前には、まるで血族を遺せと言わんばかりに、“運命の相手”が現れるのよ。子を遺さなければ、“血”は分家へと移行する。生と死を繰り返すために、あたくし達は、愛する人を目の前に差し出されるのよ。生まれてくる子供に、血の運命を受け継ぐためだけに。
──そんな行為、虚しいだけだと、愚かしい、と。そう思っていたわ。
だけど、あたくしの目の前にファンクスが現れた時、あたくしはそれでも構わないとさえ思ったの。
きっとこの人が、あたくしの運命の人なのだと思ったわ。決められたものではなく、あたくしが、あの人を選んだの。
本当は、全て精霊王が“準備”した相手かもしれないわ。だけど、そうと思いたくはなかったの。
あれほど否定していたのに。愚かしいでしょう? 笑ってしまうわ。
それでも、出会えたことが宝で、幸福だとさえ、思ってしまうのだから、駄目ね。恋が人を狂わすなら、あたくしは、きっと狂っていたのでしょう。
*****
そっと文字をなぞる。文字が紙から飛び出し、踊り出すのを、もう雛㮈は止めなかった。
手と手を繋いだ文字たちは、雛㮈を囲みながら、空中をくるくると回っている。楽しげに。とても、楽しげに。
*****
けれど、──聞いてちょうだい、ヒナ。
あたくしの自惚れかもしれないけれど、ファンクスも、あたくしを愛してくれていたわ。
あたくしと彼は、子を成すことはできなかったけれど、運命の相手だったのよ。
それだけは、誇りを持って言えるの。
だからね、ヒナ、お願いよ。
ファンクスに会えたなら────
*****
その続きを読み、雛㮈はそっと目を伏せた。ふわりと、最後の文字が舞い上がる。
くるくると回った文字は、やがてひとつの光になると、パンと弾けた。残されたのは、真っ白の紙だ。何も書かれていないソレを、雛㮈は丁寧に折ると、封筒の中にしまい込んだ。
窓の外を見て、ポツリと呟く。
「そんなの、自分で言ってくださいよ、アイレイスさんの馬鹿……っ」
頰が冷たかった。つ、と流れ出るものが、早く止まれば良いと思った。これは悲しいことではないはずだ、と何度も言い聞かせた。
彼女は、雛㮈を信用して、託したのだ。光栄だと思えばいい。喉が引き攣る。
──星が見たい。
バルコニーに続く窓に触れる。震える手でなんとか鍵を開けると、外に飛び出した。
一気に息を吸う。冷たい夜の空気が身体いっぱいに広がっていった。見上げると、星空が視界を覆った。
眦から涙が溢れたのは、あまりに星が綺麗だったからだ。
「──ヒナ?」
ビク、と身体が震えた。しかし、そちらを向くこともできないまま、雛㮈は星空を見上げ続けた。
声の主はしばらく物音ひとつ立てなかった。そのまま放っておいてくれても良かったのに、「よっ」という声と、ガタ、という物音と共に、雛㮈の視界の端を黒い影が通った。
「なっ……!? え、あ、カーダルさ、えっ、どこから!?」
バルコニーに降り立ったカーダルに、雛㮈は目を白黒させて、きょろきょろと辺りを見渡す。少なくとも雛㮈の常識の範疇では、ここまでこれるような位置に、他のバルコニーは無い。カーダルが無言で指差す方向を追っていく。左斜め上。ひとつ上の階層から……? 雛㮈はぽかんと口を開けた。
「あんなところから来たんですか?」
「このくらいの距離、どうってことないだろ」
さも当然のように言われ、雛㮈は、この世界の人間はみんなそうなのかと錯覚しかけたが、いやいやそんな訳ない、と思い直す。
バルコニーからバルコニーへ飛び移るという危険行為を犯した本人を、もうっ、と睨むが、大して効果は無いようだった。
彼は視線の高さを雛㮈に合わせると、至近距離で雛㮈の顔をジッと見つめた。なんでしょう、と声を発しようとしたのだが、伸ばされた手に、反射的に口を噤んだ。心なしか身を引く雛㮈には頓着した様子も無く、指先は目の縁をなぞった。指を濡らしたそれに気付き、カーダルは困ったように眉を寄せた。
※良い子はマネしてはいけません。




