12.何故貴方はそこにいるの? (3)
「騎士団本部での“俺のもの”宣言といい……兄さん、ちょっと見境なくなってない?」
「え、待ってくださいニキさん。なんでそれをニキさんが知ってるんですか」
アレから何日経っているのかは分からないが、今重要なのは、そこではなかった。ニキが、少々気の毒そうに雛㮈を見る。「あー」と言葉を濁した彼女に変わって、ラルクがサラリと衝撃的な事実を口にした。
「王宮内で話題になっておるぞ」
「王宮!? き、騎士団だけじゃなくて!?」
目を丸くさせる。
「騎士が王宮侍女の気を引くために話題提供したらしいぞ」
「で、女性の情報網が効果を発揮して一気に広まったんだってさー」
発揮しちゃったのか。がくりと肩を落とした雛㮈が「お、王宮歩けない……」と呟く様子を、カーダルは不思議そうに眺めている。
「なんでだ?」
「なんでだ、って……」
好奇の目を向けられるのは、それだけで気分が沈むし、精神が削られる。眉尻を下げる雛㮈の顔を覗き込み、「気に障ったなら、悪かった」と困ったように言うカーダルに、雛㮈はふるふると頭を振った。決して、そんな顔をして欲しい訳ではない。
「ちょっと恥ずかしいだけです」
それでもなお視線を外さないカーダルに、「それより!」と強制的に話題を変える。
「今は、アイレイスさんが倒れてから何日目ですか?」
「一日目だよ」
「……一日で王宮中に広まったんですか……」
戦慄を覚えた。……今は忘れよう。
「ニキさん達は、どうしてここに?」
「魔法使いのお姉さんが倒れたって聞いて。倒れる前に、手続きとかの手筈は全て整えてくれてたしね」
今は、秘密裏に運び入れの準備を進めているらしい。明日からはまたアイレイスの屋敷に行き、当日の流れを含めて進めていくとのことだ。
オレたちが出る前にお姉さんが戻ってきて良かったよ、とニキはニカッと笑った。
「アイレイスさんは……」
沈黙が落ちた。
長い沈黙の後で、カーダルが重い口を開いた。
「これまでの経験上、もう一度、目を覚ますかどうか、だ」
言葉に引っ掛かりを覚える。それが形を成す前に、「まあそうでしょうね」とディーが入り口の扉に背を預け、嗤う。
「“代償の血”が流れる人間としては、平均的寿命でしょうねえ」
「お前……やはり、知っているのか」
「知っていますよ、当然。そこの犬だって、流石に知っているでしょう」
「誰が犬だっ! 我は気高き狼だぞ!」
「それは失敬」
雛㮈は、唯一口を開かない狐っ子と顔を見合わせた。なんのこっちゃ。さあ。と語り合いながら、事の行方を見守る。
辛うじて分かったのは、アイレイスが思いの外危うい状態であるということだ。確かに、あんな精神状態で健康体だとは、とてもじゃないが思えない。
「あの……アイレイスさんは、その、どうして──」
逡巡。これは、訊いていいことなのだろうか。以前にアイレイス自身が言っていた、『いつか話そうと思っていること』なのではなかろうか。であれば、本人から聞くのが筋だ。……しかし、それは、いつ?
言葉が紡げなくなる。彼女が目覚めるのがいつか分からないだなんて、そんな現実を認めたくなかった。
「魔法団長殿は──」
「いえ! 良いです、待ちます、私」
どことなく覚悟を孕んだ声で話し始めたカーダルを咄嗟に止めたのは、我が身可愛さ故だっただろう。彼の目を真っ直ぐに見ることができないまま「アイレイスさんが起きるのを待ちます」と呟く。
「……分かった」
カーダルは頷いた。
「だが、精霊王召喚の前日になっても目が覚めなければ、俺から話す。下手に他の連中の話を聞かされても、困る」
こくん、と喉が動いた。無意識だった。知らず、緊張していたのか。雛㮈は小さく、「はい」と返事をした。
⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎
あれから、三日が過ぎようとしている。準備は順調で、予定通り明後日には終わると、今日ニキから報告があった。
雛㮈は夕食後に自室に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。身体が布団に沈んでいく。それを心地よく感じながらも、はあ、と物憂げにため息を吐く。
このまま、アイレイスが目覚めないまま、当日を迎えることになるのだろうか。
それはいけない。それじゃ、いけない。何がどう、と上手く言えないが、強いて言うならば本能が、このままでは近寄れない、と訴える。
しかし、どうすれば。
コンコン、と控えめなノックが聞こえた。こんな時間に、と不思議に思いながら、上半身を起こす。「はーい?」と返事をすると、「ヒナちゃん、今良いかな」とリリーシュの声がした。
「……リリィちゃん?」
何だろうか。慌ててドアに駆け寄る。
「どうしたの?」
「遅くにごめんなさい。少し、話がしたくて。入ってもいいかな」
雛㮈は慌ててドアを開けた。いつもの夜着に身を包んだリリーシュが、ほんのりと笑いながら立っていた。胸の前で手を組んだ彼女が首を傾げると、ふわりと髪が揺れる。
どうぞ、とリリーシュを招き入れる。彼女は「ありがとう」と頭を下げて、入室した。部屋に備え付けてある椅子を勧めて、立ち上がる。
「お茶も何も無いの……」
「いいの。そんなに長居はしないもの」
とりあえず、水の入ったコップを二つ、テーブルに置く。
いつもの夕食と変わらず「今日はこんなことが……」「セパスさんがね」と日常的な話を口にする。きっと、話したいのはそれでは無いのだろう。リリーシュは、黙り込む時間が段々と長くなった。
「ヒナちゃん、悩んでる?」
「えっ……と」
悩んでいない、と言えば嘘になる。押し黙ってしまった素直な友人に、リリーシュは苦笑を投げ掛けた。
「アース姉様の言う通り」
アース、アース……確か、ミディアスが口にしていた、アイレイスの愛称だ。そういえば、目の前の彼女も王家の血を継ぐ一人なのだ、と考えてみれば当たり前のことを思い出す。
予想外のところからアイレイスの名が出て、雛㮈は身体を強張らせた。
「アース姉様がね、もしヒナちゃんが元気が無かったら渡してね、って、これ」
リリーシュは、アイレイスが倒れたことを知らないはずだ。少なくとも、アイレイスの指示書には、自分が倒れたとしても、当日までは情報を制限しておくこと、とあった。魔法団トップが倒れたことによる混乱を避けるためだ。しかし、暗い表情の雛㮈と、その時のアイレイスの様子から、何かを察したのかもしれない。気遣うような視線に、雛㮈は無理に微笑んだ。年下の友人に心配を掛け、何をしているのか。
……年下といえば、カーダルもニキもそうなのだが。
ますます情けない気持ちになる雛㮈に、すっと手紙が差し出された。
「これは?」
「アース姉様から、ヒナちゃんへ」
雛㮈の様子がおかしかったら、渡して欲しい。
そう言われたそうだ。
それならば、何もリリーシュでなくとも、カーダルに頼めば良かったのに、とも思うが。
ありがとう、と辛うじて礼を述べると、リリーシュはにっこり笑って「じゃあ、わたしはこれで。ヒナちゃん、ちゃんと休まなきゃダメだよ」と言い、チラチラと雛㮈を見ながら、退室した。
残された雛㮈は、アイレイスからの手紙だというそれを、じっと見た。
みなさん噂話がお好き。




