08.最後の準備をしましょう (5)
それからしばらく部屋のチェックを行った。残り香にそわそわしたが、それ以外は特に気になることは無い。
「大丈夫そうか?」
「はい、問題無さそうです」
しっかり頷いて、部屋を出る。
八つの鍵を掛け直すミディアスをなるべく見ないようにしながら(解除方法を知っていることで、変な疑いを掛けられたくない)、「そういえば」と首を捻る。
「当日は、誰が開けるんですか?」
「俺。……って言いたいところだけど、立場的に難しそうだ」
その苦々しい顔から、おそらくミディアス自身は、ファンクスと直接対面したかったのだろうと予想する。しかし、精霊王を召喚するという危険も潜む場面で、王の血を継ぐ三人が揃う訳にもいかない。
「ま、ダルに頼むことになるだろうな」
ガキン、と音がした。錠が掛かった音だ。「俺の代わりに」と彼は、まだ少しその場に自分がいないことを納得していない声で、続けた。
「見届けてきてくれ」
彼はくるりと鍵束を回してから、自身の懐にしまった。
金の髪を揺らして振り向くやいなや、彼は雛㮈に手を伸ばした。頭に掴んで強引に顔を引き寄せると、耳元で囁く。
「──ダルとアースを頼む。二人とも俺以上に、ファンクスとの対面は、心中穏やかじゃないだろうからな」
それだけ言って離れた顔は、それでもあまりにも近い。なにせ、鼻と鼻が触れ合いそうなくらいだ。
思いがけぬ至近距離に固まる雛㮈を見て、「初々しい反応だなあ」とニヤニヤ笑う顔に──先の言葉はともかくとして、その後のことは──完全にからかわれたのだと知る。知ったところで、赤くなった頰をどうすることもできなかったが。声を出そうにも、息が掛かる程の距離では、そうすることも恥ずかしかった。
「うぅ……」
呻いて、手で相手の身体を押しやろうとする雛㮈を可笑しそうに見ていたミディアスは、「おっとまずい」と急に雛㮈から離れた。
「おいおい、冗談だっての。な? 分かるだろ?」
「……冗談でも本気でも、関係ない」
完全に敬語の抜け切った口調は、余裕が無い表れでもあった。あと一秒遅かったら手刀の餌食になっていただろう。
流石に顔を引き攣らせたミディアスは、「こえーよ」とボソリと呟くと、両手を挙げて降参の意を示した。
「私もいるんですけどね?」
「お前は“そういうの”じゃないだろ。ダルとは違う」
ただ“気に食わない理由”にカウントして、問題を起こしたいだけだろうが。
ミディアスの言葉に、ディーはにんまりと笑った。ああやっぱりか、と雛㮈は思い、肩を落とす。
「じゃあまあ、よろしく頼むわ」
チラチラとカーダルを盗み見ながら、ミディアスは念押しのように言い、そそくさと逃げていった。
その後ろ姿を見送り、「さて」とカーダルが雛㮈に目をやった。
「魔法団長殿はまだ外だな。部屋には入れないから、……騎士団に顔を出すか。ヒナは来る……来るよな」
待っていろ、と言おうとしたのか。しかしすぐに前回の教訓を思い出したのか中途半端な命令形(強い語調の確認)になった。
くす、と笑ってから、「行きます」と答える。
「ルークさんもいるでしょうか」
「あー、今日は非番だから、いないと思うぞ」
その答えに、そうですか、と返す。少し残念だ。最近は、碌に話す時間も無かった。彼はなにかと気に掛けてくれていたので、改めて挨拶くらいはしたかったのだが。
「会いたかったか?」
どことなく探るような言葉に、雛㮈はキョトンとする。
「……いい。なんでもない」
ふい、と顔を背けられる。慌てて、待って、と腕を掴んだ。
「ちが、違いますから! だから、えっと……ええっと……」
うろうろと視線を彷徨わせる。カーダルは少し驚いた様子で雛㮈を見下ろしていたが、やがて表情を崩した。
「分かった」
ぽん、と雛㮈の頭に大きな手が乗った。柔らかい声に顔を上げようとすると、ぐっと力がこもり、カーダルの顔を見ることは叶わなかった。
しばらくうんうんと唸っていると、急に押さえがなくなった。
「…………」
「なんでしょうか?」
無言で睨みを利かせるカーダルと、にこにこしているディーを、見比べる。何があったのだろう。
「別に。……行くぞ」
急に硬くなった声。雛㮈は小首を傾げながら、歩き始めたカーダルの後ろに続く。心なし早足だ。
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ちょうど訓練の時間だったのか、騎士団本部近くの練習場では、剣を手にした騎士たちが、汗だくになりながら剣を振るっていた。真剣な顔だ。
しかし、その内の一人が、不意に雛㮈たちの方を見た途端、空気が崩れた。
「か、カーダル様!」
「は? 何言って……あ!」
拒絶、ではないだろうが、緊張した面持ちになる。カーダルの位が高いのか、あるいは彼が王家に近しい者であることが影響しているのか。
ルークや、アイレイスの警備を担ってくれる騎士──つまり、王族だということを必要以上に意識しない者──しか知らない雛㮈は、カーダルが現れたことでそのような反応が返ってくるとは思わず、驚いて彼を見た。当の本人は、いつものことなのか、涼しい顔をしている。
「捗っているか?」
「は!」
ガチガチに固まった後輩騎士の前を通ったカーダルであったが、雛㮈がついてこないことに気付いたらしく、振り向いて不思議そうな顔をする。
「……ヒナ?」
「あ! あ、や、はい!」
どもりながら、パタパタと小走りで近寄る。その後ろを、ディーが悠々と歩いている。これでは、どちらが主人か分かったものではない。
訓練中の騎士たちの前を、会釈しながら通り抜ける。怪訝そうな顔をした彼らだったが、やがて、その人物が最近王宮に現れた“不審な魔法使い”だと気付いたらしい。「おい、あれって……」とヒソヒソ話を始めた。
おそらく。
それは今に始まったことではないのだろう。
ただ、これまでは、王やカーダル、アイレイス、それからルークたちの支援と配慮があり、雛㮈の耳には入らなかったのだ。
「八つ裂……」
「駄目です」
言葉を被せて即座に止める。ディーは肩を竦めた。冗談ですよ、と言うがいったいどこまでが冗談か分かったものではない。
「あ、あの、カーダル様、そちらの方は、もしかして、例の……?」
どうしても気になったのか、騎士の一人が、雛㮈をチラチラ見ながら、未だに立ち止まっているカーダルに訊ねた。
ああ、とカーダルはいつもの仏頂面で返してから、ふと何かに思い当たったように、雛㮈を見た。
目が合う。どうしました、と訊こうとしたら、急に伸びてきた腕が、雛㮈の肩に回った。
「俺のものだから、手を出すなよ?」
仏頂面を崩して、ニヤリと好戦的に笑った彼は、そのまま雛㮈の背中を押して奥へ誘導していく。
雛㮈が我に返った時には、背中側で、練習場に続くドアが閉まっていた。
「…………へっ!?」
何がどうしてどうなってそういう話に!? あがあがと口を動かす雛㮈に、カーダルはシレッと「ああ言っておけば、いろんな意味で手を出す輩は減るだろ」と答えた。
見られていることが恥ずかしくなったカーダルさん。でも牽制。
ディーさんが付いて回るので、なかなかあまーい雰囲気にはなりにくくなりました。しまった失敗した。
★★★★★
3/10追記
間違えて、3月10日に、同じ話を投稿してしまいました!
混乱された方、申し訳ありません。
またご指摘くださいました方、ありがとうございますっ!




