07.最後の準備をしましょう (4)
「なんにせよ、新たな関係が築けたなら、それで良しだろ。な?」
「それは、……そうです、けど」
前方から、侍女服を着た女性の集団が歩いてくる。彼女たちはきゃいきゃいと話していたが、こちらを見つけるなり、ササッと左右に散り、頭を下げた。
その間を、ミディアスは堂々と歩く。
王子様なんだなあ、と思いながら、雛㮈は少し居心地悪く、肩を竦めながら通り抜けた。
「……あれが、ヒナ様?」
「全然すごそうに見えないわね……」
背後から、コソッと喋る声が聞こえた。肩に力がこもる。気遣うような視線が左から感じられた。雛㮈は、ふ、と息を吐くと、上半身を捻り、振り返る。
目が合った侍女は、あ、と口を開けた。その彼女に、微笑む。なるべく、余裕がありそうに見えるように。
『魔法使いは圧倒的でなければならないの。貴女に分かりまして? ヒナ』
過去に不敵に笑った、アイレイスには、その余裕があった。
圧倒的であらねばならない理由は、雛㮈はきっと本当の意味では分かっていない。だけど。
この人たちと並んで歩くには、必要な虚勢だということは、理解した。
一度視線を落としてから、雛㮈を待つことなく先に進んでいたミディアスの背中を追う。あくまで、ゆっくり歩く。
「上出来」
ミディアスは、一切振り向かずにニヤリと笑った。
「度胸ついたか?」
「い、いえ……」
ついてません。胃が痛いです。泣き声で訴えれば、ミディアスが「そこも虚勢張れよ」と肩を竦める。
「ああ、ここだ」
彼は立ち止まると、懐から取り出した鍵束の鍵を、次々と合わせていく。
鍵穴の数が半端ない。
「一、二、三、………八つ?」
「厳重ではあるけど、異様だな」
そういえばこんな部屋があると聞いたことがあったな、と零しながら、カーダルは、顔を引き攣らせる雛㮈と鍵穴を交互に見た。
「しかも順番通り解除しないと、警備魔法が発動する」
何故かやけに嬉しそうなミディアスは、弾んだ声で言う。
最後の鍵を解除した彼は、その存在感のある大きな扉を、押して開いた。
中は、上にも奥にも左右にも、とにかくだだっ広い空間だった。確かに、広さは申し分なさそうだ。
「入ってもいいですか?」
「おう、良いぞ」
ミディアスの許可を貰い、足を踏み入れる。途端に、ゾクリと肌が粟立つ。落ち着かない気分になり、雛㮈は視線を彷徨わせた。何と似ているのだろう。これは、魔力だ。誰かの魔力。
中央まで進むと、手を広げて、ぐるりと一回転。軽く魔力を放出させ、部屋での魔力の流れを見る。うん、魔力の浸透も問題なさそうだ。壁から漏れていく気配も無い。
だからこそ、過去の魔力の残滓が、未だに残っているのだろう。
そういえば、この部屋が何に使われたのか、聞いていない。
『ひなだー!』
『ひな、おどるのー?』
『ぼくも、おどるよー!』
「わっ」
突然ふわりと浮かんだ精霊は、きゃあきゃあ言いながら、その場でくるりと一回転した。雛㮈の真似だろうか。
気付けばその二匹だけではなく、次々と集まってきている。魔力に連れられたのか、はたまた楽しいことに寄ってきただけなのか。
その時々を本能のままに生きる彼らは、どちらの可能性も大きかった。
彼らはまるで、ひたすら純粋な子供みたいだ。
──否。
『“私たち”はそれを知っているじゃないですか、我が主』
彼らは、“子供”なのだ。
雛㮈はそれを知っている。
記憶の波に揉まれる雛㮈の視界に、カーダルがふっと映り込んだ。ハッと我に返る。彼は、どこか心配そうな顔をしていた。雛㮈は微笑む。
おそらくは。
自分は、思い出している最中なのだろう。自分という存在を。
自分が、知っていること。キッカケは、精霊王のことで。ひとつを知れば、まるでそれが呼び水となったように、他の記憶も引っ張り出される。
でも。
「堕ちたりしない」
言葉にして、より強く、刻み込む。
堕ちるわけには、いかないのだ。こんなところで。
不意に、気が付いた。
ここに残る魔力が、何であるか。
──精霊王のものだ。
雛㮈の“記憶”に残るものと、それは変わらなかった。足を動かすことを止める。すう、と息を吸い込む。
「ここで、一度精霊王を呼び出したことがあるんですね」
ミディアスが、息を呑んだ。
「……ああ。ファンクスじゃない。もっと、ずっと前に、な。俺が生まれる前だよ。それどころか、父も生まれてはいない」
「そんなに前なんですか?」
それにしては、濃厚な気配だ。それほど強力なのか、それとも、それ以来使われていなかったから、偶然残っていたのか。
しかし、一番に疑問だったのは、そこではなかった。
精霊王の魔力と混ざり合い、消えそうになっている、もう一つの魔力。
それはあまりにも、……アイレイスの魔力に、よく似ていた。
しかし、彼女は齢二十四だ。まさか本人であるはずがない。
なら、何故。
「何故、禁術とされる精霊王召喚を、実行したのでしょうか」
「悪いが、答えられない」
どこかで予想していた答えに、「そうですか」とだけ返す。嘘で誤魔化されない分だけ、親切かもしれない。カーダルを見ると、彼は戸惑った顔をしていた。
(カーダルさんは知らないみたい)
しかし、部屋の隅で、壁に背中を預ける悪魔は、多分知っている。
そして、雛㮈自身も“知っている”。何故ならば、これは“精霊”のことだからだ。だから雛㮈は知っているのだ。今は思い出さなくとも、いずれは思い出す。だからこそ、今、無理に答えを聞き出さなくてもいいと思った。
予感がした。
再び精霊王と会うことができたなら、その時、自分は全てを思い出すのだろう、と。
とある裏側。
彼女は、部屋の中央に、軽やかな足取りで躍り出た。
くるりと一度回ると、その手の先から、まるで流れ出るように、魔力が広がっていく。
静かに微笑む表情と相俟って、それはどこか幻想的な光景だった。
息を呑んで魅入ると、隣で、ひゅう、と口笛を吹く音がした。
「すごいもんだ。……精霊も興奮してる」
「まあ、彼らにはご馳走でしょう」
ミディアスにも、ディーにも、自分とは別のものが見えている。……当然、彼女にも。
カーダルは、視線を雛㮈に戻す。不意に視線が合った。ぼんやりした瞳が、カーダルを捉えた瞬間に、優しい光を灯した。
──それがどれだけ嬉しいことかなんて、きっと彼女には分からないんだろう。
雛㮈さんにとっては“軽く”出した魔力は、他の人にとったら、かなり濃縮された魔力に見えます。




