06.最後の準備をしましょう (3)
「妙な真似をするな」
雛㮈を腕の中に収めたカーダルは、ディーを正面から見据えた。部屋の中に、冷え冷えとした雰囲気が漂う。
「妙な真似? 何もしていませんよ」
「こいつが怖がってる」
睨みを引っ込めないカーダルを、どうどう、とミディアスが宥めた。
「貴方が私の前に立ったところで、私を止めることはできませんが?」
わざわざ嫌味たらしく言って鼻で笑う。この性格の悪さは、どうにかならないものか。
「あー、それよりさっき言ってたのは、結局、光眠り病は精霊王召喚によるものではないってことか?」
このままでは埒があかないと思ったミディアスが、横から口を挟んだ。
「魔渇症状。あれは精霊王召喚によるものですよ」
「うん?」
話が噛み合わない。先程の話では、精霊王が光眠り病を引き起こすのは荒唐無稽だという話だったが。
眉を寄せたミディアスに、しかしディーはフォローする様子は無い。中途半端な情報を口にして、愉しんでいるようだ。
「……精霊王を召喚するだけなら、何も問題は起きません。何も変わりません。精霊が騒ぐだけです」
カーダルの腕の中で雛㮈が答えた。出処の分からない知識だが、使えるのなら使うしかない。
「でも、今回は……ファンクスさんが願いました。それが魔渇症状──光眠り病を引き起こしているんです」
「願う? 何を?」
「……分かりません」
本当に知らないのか、それとも知っているが分からないのか、ハッキリしない。目を伏せた雛㮈は、自身に落ち着けと言い聞かせる。
「精霊王召喚の結果、光眠り病が引き起こされたことは間違いありませんが、精霊王の召喚によって光眠り病が発生するのではありません」
真っ直ぐに、ミディアスと王を見る。
その視線を受け、ミディアスは、「陛下、私は雛㮈の言うことを信じます」と告げた。証拠は何一つ無い。しかし、これまでに唯一光眠り病を治した人物だ。
決断を前に、王は雛㮈の前に立った。
「お主は、何故ファンクスを止めようと思う?」
覚悟を見せよ、と言われているようだった。
──ファンクスを止める理由。
雛㮈は押し黙った。何故、自分はファンクスを止めたいのか。初めは、自分の居場所を見つけたくて。それから、アイレイスの手助けがしたくて。
今は? 今も、それだけか?
命を狙われて、それでも続けているのは、本当にそれだけのためか。
世界中を救いたいだなんて、大それた願いを掲げることだってできない。
──だけど。
「友人を、助けたいんです」
たった一人を。
「リリィちゃんのこと、助けられてよかったです。他にも苦しんでいる人がいるなら、助けたいです。それは本当です。でも、一番は、……今、私がファンクスさんを止めたいのは」
この答えが、正解なのかは分からない。正解なんて、そもそも無いのかもしれない。だからこそ、心を曝け出すしかないのかもしれない。
「アイレイスさんは、ファンクスさんがこれ以上誰かを傷付けるのを、見たくないだろうと、思うから」
私は、と告げる声が震えた。
この理由は、多くの命を賭けるには、あまりにも弱い想いである気がして。
でも、紛い物ではない、自分の心だ。
「大事な友人のために、私はファンクスさんを止めます」
言葉にすると、世界がクリアになった気がした。
そうだ。
(たとえ私が何者であれ、やることは変わらない)
「……カーダル、お主は大丈夫なのか?」
「はい」
王の質問に即座に反応したカーダルは、雛㮈を一瞥してから、力強い声で「大丈夫です」と答えた。
「ふむ」
王は、目を伏せた。じっくり考える。雛㮈の手に汗が握った。ここがクリアされなければ、自分たちの計画は叶わない。待つ時間は、とても長く感じられた。
「──ならば、託そう。必ず成功させよ」
思わず上げそうになった歓声は、辛うじて飲み込んだ。カーダルは、静かな声で「は、必ずや」と一礼する。雛㮈も慌ててそれに従った。見れば、ミディアスもまた、頭を深く下げている。
「して召喚には、どの部屋を使う予定じゃ?」
「部屋……ですか?」
カーダルが首を捻った。雛㮈はその言葉の意味するところを察し、「あ!」と声を上げた。
上位の召喚魔法を発動させるためには、相応の空間が必要だ。それは、先の悪魔召喚でも同じだった。召喚する対象を迎え入れるためには、ある程度の広さがある部屋が必要となる。また、魔力を外に通さない作りであることも必要だ。上位召喚を行った空間は、その瞬間、人間の世とも、精霊の世とも言えない場所となる。
カーダルは、魔法の知識が薄いため、特別な部屋が必要になることを知らなかったのだろう。アイレイスは知っていたはずだが……。
「すみません、王城の一部屋をお借りすることはできますか」
「ああ。……十の間を使うと良い。あそこは、打ってつけだろう」
王は、目を細めた。打ってつけ、という言葉に、ファンクスが禁術発動を起こした場所なのかと思ったが、ここで訊くことではないだろう。記憶に留めた上で、意識を戻す。
「魔力を通さない部屋ですか? 広さは……?」
「どちらも大丈夫だ。心配するでない。一度呼び出した実績がある。気になるなら、一度案内するが?」
「お願いします」
失敗は許されない。二度目の召喚は、許可が下りないだろう。一度きりのチャンスだ。
「ミディアス」
「御意に」
綺麗に礼をしたミディアスは、すぐに相好を崩した。この変わり身の早さには、まだ慣れない。
「さあ、行くか。善は急げ、だ」
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「聞いたぞ。アースと仲直りしたんだって?」
まるで、十代の子供の話をしているみたいだ。確かに、“喧嘩”が始まったのは十代なので、あながち間違いではないのかもしれないが。
「殿下、第三者を装ってますけど、がっしり絡んでましたよ」
右後ろにディーが控え、左隣にカーダルがいる状態で、雛㮈が苦笑した。
長い廊下は、ずっと向こうまで続いている。その道中は、ちょっとした話をするには最適だった。
「へ、俺が?」
目を見開いた彼が、カーダルを見ると、「貴方は自分が言葉足らずなことを自覚するべきだ」と嫌味を投げつけた。
事情を話すと、ミディアスは、しばし黙り込んでから、うん、と頷く。
「ま、あれだな。時効だ、時効」
はっはっは、と笑い飛ばした。無理をして笑っている感じでもなかった。本心から、そう思っている。
(た、確かにそうかもしれない、けど……!)
ぐ、と握り拳を握る。敏感にその感情を受け取ったディーが、嬉しそうに言った「殺りますか?」という物騒な言葉は、即座に否定した。
ミディアスさんは、何気に一番大人な気がする。




