05.最後の準備をしましょう (2)
まずは王に判断を仰ぐ、という名目で、他の貴族は下がらせた上でエヴィンの件を報告する。
「ふむ……その場での判断としては、最善であったか」
悪魔召喚がされなかったことが一番であるが、それが止められないのであれば敵方の手に悪魔が渡るよりかはマシだ。
しかし、と王は雛㮈に目をやった。
「ヒナ殿、お主が我が国に害を成すものだとは思うておらん。だが、急激に力をつけるお主を、危険視する者も現れるだろう」
王家に取り入ろうとしている者、逆に国を想い巨大な力を疎む者。裏からも表からも、雛㮈を追い出そうとするかもしれない。
「幸いなことに、カーダルと、アイレイスがお主の味方についておる故、そうそう簡単に手出しをする輩はおらんだろうが」
十分に気を付けられよ、と忠告を受け、雛㮈は身体を強張らせた。知らず知らずの内に、右手の傷跡をなぞってしまう。人から向けられる敵意は、どうしたって慣れない。
「私に“黙らせろ”とご命令頂ければ、すぐにでも叶えて差し上げますが」
「結構です!」
この悪魔は、いちいち言うことが物騒だ。自分の危険性をわざとチラつかせているようにも見える。その主たる雛㮈を、周りから危険視させるように。
全くもって協力的ではないディーに、雛㮈は頭を抱えたくなった。本当に、その内もう一度くらい刺されるのではなかろうか。
「それにしても、ヒナもいろんなものを引っ掛けてくるよなー。獣人に精霊獣に、王子様。果ては悪魔か。次はなんだ?」
「ミディアス殿下……楽しんでいませんか?」
大体、引っ掛けているつもりはない。あと、途中の“王子様”って誰を指すのだろう。ミディアスか、それともカーダルか。怖いから、訊かないけれど。
はっはっは、と笑う第一王子に、恨み言をぶつけたい気分になってきたのを、ぐっと堪える。
「で、そっちの悪魔の手綱は握れそうなのか?」
「えーと……」
握れなさそうだけれど、握らなければならない。
「無理だったら、牢に繋いでおくが」
それが一番良いのかもしれない。
野放しにするよりかは、傍においておいた方が安全だ。しかし、下手に言質を取られると、厄介なことになる。
そう考えると牢に繋いでしまいたくなるが、悪魔を牢に繋ぐことが、有効かどうか……。
「構いませんよ」
ディーがなんでもないように言った。
「どうせ壊すだけなので、好きなだけ足掻いてください」
「壊す……!?」
やり兼ねない。雛㮈は瞬時に思った。
「諸刃の剣ではありますが、ヒナの傍に留め、護衛として任を与えておいた方が安全かと」
カーダルも同意見だったのか、苦々しい顔で意見する。
「貴方よりも強いですしね」
「黙れ」
唸るように短く言い放つと、カーダルは、雛㮈の腕を掴み、自分の方へと引き寄せた。ディーへは一切顔を向けない。
「ふむぅ……」
王は唸ってから、しばし目を閉じた。
「…………うむ」
目を開け、カーダルと雛㮈の名を呼ぶ。
「この様子では、悪魔であることを隠すことも得策ではないだろう。しかし悪戯に広めることもできぬ。まずは貴族の上層部のみに事の顛末を伝える。お主らは、引き続き光眠り病の調査を。その悪魔は常に連れて歩き、目を離さぬように頼む」
「は!……して、光眠り病の調査の件でご相談が」
ここからが本題だ。雛㮈は背筋を伸ばした。あまりにも緊張した面持ちに、カーダルが雛㮈の背中をポンと叩く。一瞬びくりと震えたが、外ではあまり見せることのない穏やかな表情に、雛㮈の緊張も多少解れた。
カーダルは、アイレイスの提案に関して、目的と背景を語った。
「ふうむ、精霊王の召喚か……」
「悪魔の次は精霊王?」
ミディアスが可笑しそうにしている。しばらくくつくつと笑ったミディアスは、急に真剣な顔になると、王へ向き直った。
「陛下、私は危険を冒してでも、やる価値があると思います。彼らの言う通り、もはやなんの危険も冒さず真実に迫ることはできない。待つことは、人命を失うことを意味します。ならば、全てが終わる前に、できる限りの行動を」
王は、自身の息子を一瞥した。「お主の意見は分かった」とミディアスの言葉を認めながら、しかし、と続ける。
「先の光眠り病も、精霊王召喚が引き金となっておる。危険を冒すのは、お主らだけではなく、この国の民、全員であることを忘れてはならん」
それは、そうだ。
精霊王の召喚、それ自体が危険なものであるのか。それは未だ分かっていない。雛㮈たちは押し黙った。それを証明する術は無い。国民に、眠る者を救うために我らに危険な目に遭えと言うのか、と詰られれば、それ以上強くは言えない。
ふ、と微かな笑い声が聞こえた。
「ディーさん?」
「……ああ、失礼。あまりにも、可笑しかったものですから」
ディーは未だにニヤニヤと笑っている。何がそんなに可笑しいのか、と雛㮈が眉を寄せた。こっちは、これでも真剣なのに、と。
「精霊王が、その身を現すだけで生命を奪うとは、あまりに荒唐無稽すぎて」
口元に軽く握った手を当てた悪魔は、くすくすと笑っている。流し目で不満そうな雛㮈を見た彼は、軽く首を傾げた。
「“私たち”はそれを知っているじゃないですか、我が主」
「…………え?」
どくん、と。心臓が鳴った。
知らない。知らない、はずだ。
けれど。
「ヒナ?」
縋るように、カーダルの腕を掴んだ。
雛㮈は、“記憶”から、その“知識”を取り出す。
「……精霊王は、奪わない。奪えない。ただ与える。傍に在る者たちに与える。そして、与えることは、時として奪うことにもなる……」
「ええ、そうです。それが我らが王の在り方。ほら、貴女は知っている」
一歩、彼が近付く。口元に、どこか歪な笑みを浮かべて。相手を嬲るような視線を向けて。
「私は、それを知っている……」
この宮古雛㮈の中には、元の世界の雛㮈の知らない記憶がある。普段は“知らない”から分からない。けれど意識さえすれば引っ張り出せる記憶。
これまで無意識下で“理解”したこと全てが、“そこ”に繋がる。
それは、ひどく恐ろしい感覚だった。
──“私”は、本当に“宮古雛㮈”なのか。
ガラガラと崩れそうになる世界で、……ふわり、と安心する香りが広がる。温もりが、全身を包んだ。頭に乗せられた大きな手に、知らずに擦り寄る。この場所は、他のどこよりも安心できた。
大きな謎は、あと三つ、でしょうか……。
終わりに向けて、ちゃんと繋げていきます。
雛㮈さんの不安定さは、最初ほどではないですが、まだぐらついています。




