01.彼を信じています (1)
無事――おそらく、無事――に終わった“仲直り”の後、アイレイスは気を取り直したように言った。
「あともう一つ、話したいことがあるのよ」
強い意志を感じる瞳に、雛㮈は思わずピンと背筋を伸ばした。
「……他の者は?」
呼びますか、と問われ、刹那彷徨った視線は、すぐにまた真っ直ぐに前を向き、「お願い致しますわ」と毅然と言い放った。
カーダルが立ち上がる。扉へとツカツカと歩いていく背中を見送り、雛㮈はアイレイスに話し掛けた。
「アイレイスさん、大丈夫ですか?」
「なんですの、突然に」
「いえ、その……」
少し躊躇ってから、恐る恐る口を開く。
「大事なことを話すのって、……神経使いますから。続け様で、アイレイスさんの負担にならないか、と」
アイレイスは、心配そうな顔色の雛㮈をチラリと見た。
「負担よ」
キッパリと告げる。
「でも、言うと決めたのだもの」
――だから、貴女もしっかり覚悟して聞きなさい。
アイレイスは、辛そうに笑いながら言った。その顔をどこかで見たことがある、と思った。どこだったか。
扉の向こうからニキたちが入ってくる。どことなく、退室した時よりも溝が深まっているように見えるのは、果たして気のせいか。
やがて彼らが席に着き、「大事な話がありますの」とアイレイスが切り出した時、雛㮈はようやく思い出した。
(五年前の事件に触れた時の顔だ)
それが正解だと示すように、彼女は言った。
「五年前の大事件の罪人、ファンクス=ダルメンについて、あたくしの知ることを話しましょう」
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アイレイスが、ファンクスと出会ったのは、彼女が12歳、彼が17歳の頃だった。
元々、ファンクスは、一般階級から王宮にあがった人間だ。学校には中等部まで通った。しかしそれ以上は経済的な事情で通うことができなかった。
その彼が王宮勤めになったのは、アイレイスの父方の親戚のバックアップがあったからだ。彼の魔法の素質を見込んでのことだった。
父方の家は、代々有能な魔法使いを輩出しており、また魔法使いの育成、魔法の発展を使命としている。ファンクスが引き抜かれたのは、その“事業”の一環だった。
引き取られて、二年。彼は、王宮の魔法使いとして名を上げ始めていた。
「貴女も、その内会うことになるでしょうね。貴女のお父様と同じ、藍色の髪なのよ。眼差しも少しお父様と似てるわ」
アイレイスの母はそう言い、笑った。金色の髪がサラリと揺れる。金は、王家の血を継ぐ証だ。
父は、アイレイスが生まれる前に死んだ。だから、アイレイスは自分の父親を肖像画でしか見たことが無い。それでも、子供心に母には父だけを見て欲しかった。
「浮気はよろしくないのですのよー!」
「あらまあ」
母は、口を尖らせている娘の姿に目を丸くした後、くすくす笑った。
「まあまあまあ、安心なさい。わたくしの夫は、生涯、貴女のお父様だけよ」
「! べ、つに! お母様が、その、どうしても、す、好きな人なら、あたくしだって、我慢できますわ!」
「あらあらあら、ありがとうね、アースちゃん」
ぽんぽんと頭を撫でられ、むう、とアイレイスは口を尖らせた。母の幸せを願う気持ちは本当だ。しかし、しかしである。聞けばそのファンクスとやらは、17歳だという。17歳の父など、認めない。断じて認めない。そんな子供に何故大事な母をやらねばならないのか。
17歳が子供ならば、自分はもっと子供だということには、目を瞑る。ファンクスがアイレイスの母に懸想しているなどとは誰も言っていないという事実にも。
「お母様!」
「何かしら、アークちゃん」
のんびりしている母を護れるのは自分だけなのだという使命感に駆られて、アイレイスは母に告げた。
「あたくし、そのファンクスとやらに会いたいですわ!」
母の相手として相応しくないことを、分からせてやるのだ。
ふん、と鼻息を荒くする娘に、あらあら、と母はのんびり呟いた。
そうして、アイレイスとファンクスは出会った。
「お初にお目に掛かります、ファンクス=ダルメンと申します」
「………………」
「あ、あの……?」
話に聞いていた通りの藍色の髪に、優しそうな瞳。その瞳は今、初対面のお嬢様から向けられる謎の敵意を前に、困惑し揺れている。
第一印象は、全く、非は見当たらず。見当たらない所為で、何も文句が言えない。歯痒い。
「お嬢様?」
どうかいたしましたか、と訊ねられ、ハッと我に返る。
「お嬢様って呼ばないでくださる!?」
反射的に、なんでもいいからと、飛びついてしまった。ファンクスは困惑したまま、「ではなんとお呼びしましょう」と訊き返す。
(……考えてなかったわ)
なんでもいいからと文句を言うのではなかった。アイレイスは目を泳がせながら、必死に考える。
「だから、その……、えっと、……特別に名を呼ぶことを許すわ」
遠ざけるどころか、近付けている気がする。
「名前、ですか。いえ、私などがそのようなこと……畏れ多いですので」
「煩いですわ! あたくしが良いと言っているの!」
「ですが……」
なおも言い募ろうとするファンクスを、ギッと睨むと、彼はぴたりと止まった。彼はどうも、自分に対して、過剰に気を遣っているようだった。
「それでは、……アイレイス様、この度は私にどのような御用でしょうか」
自分が名乗らずとも、相手はアイレイスの名前を知っているようだった。そのことに驚いていると、再度名を呼ばれる。戸惑いを含んだ声は艶があり、どことなく甘く響いて、胸がドキドキしてくる。
(ドキドキ? い、いやいやいやいや、違いますのよ!)
あたくしはそんなに安い女じゃありませんもの!
ブンブンと顔を左右に振り、アイレイスはなんとか正気に戻ろうとした。
第7章は、アイレイスさんの過去編からスタートです。
視点が変わると、不思議と書き方がかわります……。なぜだろう。




