12.種明かしします (3)
泣きそうな目をしながら、口を尖らせている上司(そういえば、この人は自分の上司だった)に、ふと言いたいことがあったのを思い出し、「あ!」と声を上げる。
「アイレイスさん、私、カーダルさんと仲直りしてもらうのだけは、まだ諦めていないんですから!」
ぐっと身体を起こして詰め寄る体勢を取ったら、捻った拍子に、腹部にツキンと痛みが走った。「痛っ」と悲鳴を上げて、腹部を撫でる。アイレイスは呆れと心配をどちらも含ませた視線を雛㮈に向けてから、「分かってるわよ」と言った。
「それも含めて、話をするつもりよ」
「……へ」
思い掛けず前向きな発言に、雛㮈はぽかんとする。助けを求めるようにニキを見ると、「お姉さんがいない間に、ちょっとね」と彼女は答えた。ちょっと、とは、具体的にはなんだろう。首を傾げたが、どうやら教えてくれる人はいないらしい。
「ただまあ、そのことを話す前に、今回の件を、キッパリ終わらせないといけないわね」
アイレイスの言葉で、雛㮈はディーから首謀者たる彼の状態を聞き逃していたことを思い出した。
「そうだ。あの人、えっと、エヴィン……さん、でしたっけ。どうなったんですか? あと、あの人、闇市に関わっていた人で、それで――」
「落ち着きなさいな、ヒナ。あの男は、拘束した上で牢屋にいるわ。闇市に関わっていることも、“闇堕ち”していることも、既に分かってる。念の為に貴女からも話を聞きたいところだけど」
アイレイスに言われ、雛㮈は連れ去られてから起こったこと、男と話した内容について、伝えた。全て聞き終えたアイレイスは、「大体、こちらが握っている情報と同じね」と頷いた。
「そういえば、こっちの情報源のひとつに、貴女の知り合いがいるわよ」
「え?」
「あの商人の兄さん達だよ。エヴィンとかいう人が怪しいって、知らせてくれたんだよ」
ニキによる追加情報に、目を瞬かせた。商人の兄さん、というと、ハイキー達のことか。本人は、既にここにはいないようだ。「残念なから、仕事があるとかで、お姉さんが救出されたことを確認したら行っちゃったけどさ」とのことだ
。商売人も大変だ。
しかし、一度会ったきりの彼らが、わざわざ自分のことを心配して来てくれたという事実に、雛㮈はむにゅむにゅと口元を動かした。嬉しい、気がする。
逆に、アイレイスから男の素性について聞く。“闇堕ち”の意味についても、そこで知った。
「堕ちる程辛い過去があったんでしょうけど、同情する必要は無いわよ。何があったにせよ、自分で選んだのだもの」
「そう、ですね……」
雛㮈としても、手まで刺された上で男を許せる程、広い心は持てなかった。死を望む程ではないにせよ、友人になりましょう、などとは間違っても言えない。
言えないのだが。
「あの、会うことはできるんですか?」
シン、と静まり返った。
アイレイスは、馬鹿なの、と言いたげな目で雛㮈を見ている。カーダルはというと、はっきりと「駄目だ」と言い切った。ニキとラルクも同意見のようだ。ディーと子ドラゴンは特に反応を示さないが、あれはそもそも、こちらの話になど耳を傾けていない。未だに睨み合っている。
「大体、お前が会ってどうする」
問われ、雛㮈は視線を彷徨わせた。
「話をしたい、というか、……宣言、したいんです」
馬鹿馬鹿しいことであるのは、承知の上だ。何の意味も無い、ただの自己満足であることも、分かりきっている。
彼と自分では、向いている方向が違うのだ。分かり合えるはずがない。
だからこそ。
「私は、闇に堕ちたりしない、って。貴方とは違う道を選ぶんだ、って」
線引きするのだ。
宣戦布告に似た気持ちを、雛㮈は抱いていた。
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雛㮈は、カーダルに付き添われて、エヴィンが拘束されているという牢屋に足を踏み入れた。
牢屋の中央に、彼はいた。椅子に座った状態で、動けないように後ろ手に縛られている。怠そうな顔をしている彼の周囲には、変わらず、黒い精霊がふわふわと泳いでいた。
「やあ。まさかあんたが来るとは思わなかったよ、ヒナ。怪我は……良好そう、だね?」
隣に立つカーダルに挑戦的な視線を送り、せせら笑う。わざわざ人の神経を逆撫でしたがっているような態度に眉を顰めながら、雛㮈は「貴方に話があって来ました」と震えを抑えながらそう口にして、前に立つ。
『ひなー、ひナ……』
『どうシて? ドウしテ一緒にイテくれなイの?』
悲痛な声を出す精霊を、ちらりと窺う。どうして、どうして、と何度も問う彼らに対する答えと共に、雛㮈は宣言する。
「私は、貴方が思う通りにはなりません。堕ちません」
「――そうやって、俺を見下しにでも来たの?」
殺気よりも鋭い憎悪に、しかし雛㮈は怯まなかった。それがますます気に食わなかったのだろう、エヴィンは不機嫌そうに、椅子をガタリと揺らした。
「俺は牢屋に入っていて、あんたには手を出せないもんな? 安心して言えるって訳だ。今だって、そうやって他人と一緒でないと、吠えることもできないくせに。なにが、堕ちません、だよ。あんたみたいな弱いのが、自信持って言えるもんじゃないくせに」
傷付けばいい。傷付けてやるのだ。
その瞳が、そう言っていた。
雛㮈は静かに、その瞳を見つめ返す。自分を支えるカーダルの腕に、力がこもった。
「貴方の言う通りです」
「は……?」
「私は、一人じゃ吠えることもできません。誰かが一緒だから、私は強気でいられます。彼らを信じているから、そして信じてもらっているから、私は堕ちる訳にはいきません」
白けた目をする彼とは、やはり、分かり合えないのだと思う。
「ほんと、羨ましい程、平和な頭だね。仲間がいるから? そんなの、最終的には裏切るし、裏切られるんだよ」
一人で生きられない奴の戯言だ。
吐き捨てた彼との、平行線のやり取り。
言葉は届かない。お互いに。それも、致し方ないことだ。雛㮈に雛㮈の人生があるように、彼には彼の人生がある。どちらが正しいとも、正しくないとも、言えない。
雛㮈は、自分が正しいと主張するつもりもなかった。ただ、気を失ってしまったことであの時に答えられなかった、どうして、という言葉に、自分の抱く答えを伝えに来ただけだ。
そうでないと、後悔しそうな気がしたから。
「平和ボケしているあんたが“ここ”に来ることを、楽しみにしてるよ」
くつくつと嗤う声に、強い眼差しで答えた。
「ヒナ、もういいだろう」
「……はい」
腹部を庇いながら、雛㮈はカーダルと共に、エヴィンに背を向ける。
「あんたは裏切られるよ」
攻撃的な声が、背後から投げつけられる。
「だって、“アレ”は、俺よりもずっと、ずっと! 呪われているのに!」
ガコン、と重厚な音がして、背後で扉が閉ざされた。どういう意味だろう。思わず肩越しに振り向いた雛㮈の目に映るのは、物言わぬ扉のみだ。
「ヒナ」
ぐい、と肩を引かれ、たたらを踏む。
「あいつから聞くことじゃない。いつか、必ず話すから」
「カーダルさんは、ご存知なんですか?」
雛㮈の問い掛けに、カーダルは無言によって答えた。前のみを見る、その真剣な眼差しに、雛㮈は静かに息を吸い、笑ってみせた。
「待ちます。その時まで。……でも、私が堕ちない自信は、話を聞いても聞かなくても変わりせん」
ちらり、とカーダルの視線が雛㮈に向けられる。彼も、柔らかく笑った。
「知ってるよ」
「それにしても……」
雛㮈は、お腹をさすり、「痛いです」と項垂れた。
「そんなに痛いのか? それなりに、しっかり治療はしたつもりだったが」
「あ、いえ……」
そうではなく。
心の底から心配そうに自分を見て、更に戻ったら回復魔法をお願いした方がいいかとブツブツ言っているカーダルを前に、雛㮈は、ふ、と遠い目をした。
(……緊張によるストレスです、とは言いにくい……)
最初に特に大きな理由も無く黙ってしまって、その結果後ほど言い出せなくなったパターン。




