08.黒と対峙します (3)
雛㮈は相変わらずやることが無かった。魔法は使えないし、男は強そうなので逃げることもできない。
それでも一度だけ隙を突いて逃げ出そうとはしたのだが、その時の絶対零度の眼差しが忘れられない。無論、悪い意味で。あっさりと雛㮈の脱走を防いだ男は「あんまり勝手な行動してると、あんたの仲間が見つけるのは、屍体になるよ」と言った。暗に二度目は無いと言っている。
それにしても、あの男の目的はなんなのだろうか。“準備”と言っていたが、何の準備か。雛㮈の仲間を待つ姿勢も恐ろしかった。いったい何を企んでいるのか。
食事は、特に不便の無い。それが逆に怖い。
「“途中”で本当に死なれても困るから」
男はそう言った。途中=仲間を待つ間、では無い気がしている。
カーダル達に助けに来て欲しい。同時にひどく不安だ。彼らが罠に掛かるくらいなら、と思う気持ちもある。
「うん、それでいい。不安感を募らせておけばいいんだ」
男は嬉しそうに笑った。
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三日目。「そろそろか」と男は言った。
「まあ、来なかったら仕方が無い。所詮その程度の実力だったというだけだな」
一人でぶつぶつ言いながら、雛㮈の腕を引っ張り上げた。たたらを踏んで立ち上がった雛㮈を気にもせず、ぐいぐいと引っ張る。
部屋を出た。どこに行く気なのだろう。視線を泳がす。窓は無い。ということは、地下なのか。いや、まだそうと決まった訳ではない。
「さあどうぞ、お姫様」
嫌味たっぷりな言葉に、男を睨みながら、雛㮈は渋々示された部屋に入った。
雛㮈の部屋よりも数倍広いが、何一つ物が置いていない空間が広がっている。
「進め」
命じられて、部屋の中央まで歩く。
「ここに座って。前に両手をつけ」
両手を床につけた瞬間、身体から力が抜けた。魔力が吸い取られているだ。おまけに、両手の自由が利かない。
「な…に………?」
身体がガクガクと震える。魔力を注ぐつもりではなくても、これだけ“勝手に”魔力を吸収されるなんて、普通ではあり得ない。ぽう、と雛㮈を中心に床が光っていく。魔法陣の一部のように見えた。
自分は何の魔法を発動させられそうになっているのか。
「どういう、つも、り…ですか…?」
「あはは、“それ”で喋れるんだ」
にやにやと笑う男は、雛㮈の質問は一切無して、入り口を見やる。
「さあ、パーティの始まりだ。ちょうど来賓もいらっしゃったようだしね?」
ドアを破壊して現れたのは、巨大化したラルクだった。続いて、他のメンバーも突入してくる。
広い部屋の中で、男と仲間達が対峙する。
「間に合ってよかったね」
男は高らかに言う。
「今ならこの魔法を止められるよ。…彼女を殺せば」
「何を…」
カーダルが眉を寄せた。
「…禁術? 悪魔召喚かしら」
アイレイスの顔が青褪めた。その言葉を聞き、自分の周りに広がる魔法陣を見下ろす。召喚、契約、悪魔………確かに構成される要素から、それらの単語が読み取れた。
五年前の事件と同じ系統に手を出そうとしているのだ。そしてそれは、雛㮈の魔力を使って行われようとしている。
雛㮈は必死にアイレイスの部屋で読んだ禁術書の内容を思い出す。悪魔召喚は、精霊王召喚の次に危険度の高い術だ。また悪魔の気性により、精霊王より性質が悪いと言われている。
強く腕を引いたが、ぴくりとも動かない。
「殺せる訳ないだろ!」
ニキが怒鳴った。男は気にかけた様子もなく、「それは総意かな?」と訊ねた。
「当然ですわ」
間髪入れずに答えたアイレイスに目をやり、それから同じ眼差しをしている面々を見て「それなら仕方ない」と肩を竦めた。
「彼女を助ける方向で行くなら、…あんた達には死んで役に立ってもらうしか無いか」
男は懐からナイフを取り出すと、無造作に雛㮈の右手に突き刺した。
「あ…」
一拍遅れて、気が狂いそうになる程の激痛が広がる。
「あああああぁああぁッ!?」
じゅるり、と。
雛㮈の魔力がこもった血液が、魔法陣に沿って床を這っていく。急速に広がる魔法陣の中心たる雛㮈の隣で、男は命じた。
「“来い”」
短い言葉により、暴風が起きる。風が止んだ時、その中央にはひつじのような耳を持つ、黒尽くめの男が立っていた。人間であれば耳があるはずの位置に、尖った長い耳と、羊の角がある。
「命令だ。“そいつらをいたぶれ”」
「………」
悪魔は無言で、手を振り上げた。あり得ない程の“力”の塊が生み出される。あれは、おそらく精霊風と同種のものだろう。高い魔力が感じ取れる。それはある程度の大きさを形成すると、弾丸のようにカーダル達を襲った。
アイレイスが反射的に展開した高度の防御魔法を容易く破る。その音で場所を把握したカーダルは、横に跳んだことで難を逃れた。続けざまに、魔法の嵐が襲う。黒々とした魔力がその場を支配していく。
「くっそウゼぇ」
視界さえも奪おうとする霧状の魔力に、カーダルが腹立たしげに吐き捨てる。アイレイスが異常状態防止の魔法を掛けた。光の魔法を放った。
「王国一の魔法使いに、魔法で喧嘩を売ったこと、後悔なさいな!」
光の槍を目の前に、初めて悪魔がその場から動く。彼は、自身の隣に出現させた黒い渦から、真っ黒い大剣を引き抜くと、魔法を一刀両断した。
「なっ…何よあの剣!」
触れた瞬間に魔法を無効化したのだ。いくら元々の魔法が強かろうが、ただの槍になってしまえば、意味は無い。
怯んだアイレイスに、お返しとばかりに闇の矢が放たれる。
「くっ…」
炎を舞わせて、矢を撃ち落としながら、強化魔法。スピードと力が増したラルクが悪魔に襲い掛かった。
爪で斬りつけながら、至近距離でブレスを放つ。真正面から受けざるを得なかった悪魔は、しかし冷静な顔のまま大剣でブレスを受け止めた。一歩だけ後ろに下がったが、それだけだ。
最後に大剣を振るった悪魔の左右から、カーダルとニキが各々の得物を手に勝負を仕掛ける。悪魔はチラリと両者を見ると、カーダルの剣を片手で持った大剣で止め、ニキの蹴りは素手で足を掴んで無理に止めた。剣による追撃をするカーダルの相手をしながら、小柄なニキの身体を振り回すと、そのまま部屋の端へ投げ飛ばす。
「っ、痛…」
なんとか無事に着地したニキは、しかし顔を顰めている。みると、掴まれた場所が青紫に変色していた。
「なんだよあの馬鹿力…」
ニキとあの悪魔では、相性が悪いようだ。あるいは、純粋なる実力差か。ともかく、正攻法では駄目だということはよく分かった。アイレイスが回復魔法を掛けると、ニキは距離を開けながら、じりじりと近付く。
カーダルは未だに攻防を繰り返しているが、相手の涼しげな表情は変わらない。それどころか、重い攻撃を前に、カーダルの方が押され気味になっている。大剣相手では、相当の実力差が無い限り、パワーで押し負けるのは必然だ。
「ちっ―――」
思わず舌打ちをすると、一度距離を取った。どこぞのゴーレム並みにやり難い。いや、ゴーレムの方が余程やり易かった。
痛い展開、もう少し続きます…。(ガクブル)




