06.黒と対峙します (1)
「う…」
呻き声を上げ、ゆるゆると瞼を上げる。ぼんやりと焦点が合うと、見慣れぬ天井が見えた。石造りの、冷たそうな天井だ。
このパターンは、三度目だ。
あと何度あるのだろう、と現実逃避気味に考える。とりあえず、今回も無事に切り抜けられるといいが。
「…カーダルさん」
ぽつりと、その名を呟いてみる。
シンと静まり返った部屋に響き渡って、寂しく消えていく。
上半身を起こす。首に違和感を覚え、ソッと触れる。指先が、固いものに触れた。首輪だ。首輪が嵌っている。鏡が無いので、どういう形状のものかはわからないが、嫌な感じがする。
外そうとするが、当然、上手くはいかない。それ以外の拘束は無いようだ。鎖に繋がれている訳でもない。ただ首輪を嵌められ、石造りの部屋にある固いベッドに寝かされている。逆に、不気味である。
今度は、本当に自分一人のようだった。泣きそうになってくるが、泣くわけにはいかない。唇を噛み締める。
リリーシュは大丈夫だっただろうか。綺麗な首についた、赤い筋を思い出す。傷は浅いはずだ。すぐに手当てすれば、大事には至らないだろう。
ふう、と息を吐く。それから、意を決して立ち上がった。
四面が全て石造りの部屋は、ここが地上なのか、地下なのかも分からない。何かの砦なのか、それともどこかの建物なのか。それさえ不明だ。自分がどれだけ気を失っていたのかも分からなかったが、腹の空き具合から見ても、そう遠くは無いはずだ。
どうにか自力で脱出できればいいのだが。
壁伝いにぐるりと一周する。天井には空気穴があるが、小さい。あそこからではとても抜けられない。ドアには取っ手がついているが、しっかり鍵が掛かっていた。
(ど、どうしよう…)
何も有効な手段が思いつかない。
斯くなる上は、強硬手段であの男を倒して突破するしか無さそうだが、どうにも怖い。…あの目が、怖いのだ。
(…怖くても、それしか無いなら、やらないと)
人攫いに連れ去られた時のことを思い出す。下手に待っていると、体力を奪われて反抗すらできなくなる。
だが、一日は、いや二日は、待とう。カーダル達は、少ない手掛かりからここを特定してくれるかもしれない。あの男が放つ黒い気配は異常だから、ラルクが追って来れるかもしれない。
それ以上待っても来なければ、なんらかの理由でこの場所を特定できないのだろう。
それまでは大人しくしておいた方がいい。焦る気持ちを押し殺すために、手をぎゅっと握り締める。手汗が気持ち悪い。平常心になんて、なれっこない。
ベッドに腰を下ろすと、ガコン、と音がした。ひっ、と小さく悲鳴を上げる。
「あれ、起きてんじゃん」
昏い目をした男が立っていた。ドッ、と冷や汗が流れる。近寄る男に、まだ反抗はしてはいけないと思っているのに、反射的に魔法を唱える。
「―――え…?」
魔法は、発動しなかった。
戸惑う雛㮈に、男は笑う。
「あんた、あの檻も壊しちゃうくらい、馬鹿力だったからな。わざわざ最上級のモノを取り寄せてやったんだぜ?」
トン、と男が指先で、自分の首を示した。その動作で理解する。この首輪は、どうやら雛㮈の魔法の一切を封じてしまうらしい。
そして。
「檻…」
自分と彼の繋がりを知る。
「そうだよ。あんたが潰した、闇市。アレ、俺も噛んでんだよね。ま、アレ自体に執着なんて無かったから、潰れたこと自体はどーでもいいんだけどさぁ。でも、せっかくアレで友達ができるはずだったのに、あんたの所為で、台無しだ」
男の言っていることは不可解だったが、確かに彼が他人の復讐のために動くようには見えなかった。動くなら、自分の私利私欲のためだろう。
「でもまあ、いいこともあったからチャラかな」
「…チャラなら、私を連れ去らなくてもいいのでは?」
思わず口を挟んだ雛㮈を、男は一瞥する。
「意外と図太いな、あんた」
「な…」
どういう意味だ、それは。
その瞬間、顔が引き攣っている自覚があった。それを見た男から、不細工な顔、と言われ、ちょっと腹が立つ。少なくともこの男に言われる筋合いは無い。
「ま、“準備”が終わるまで、せいぜい大人しくしてなよ。楽しいパーティはその後だ」
「準備…?」
雛㮈は眉を寄せた。男はそれには答えず、ニヤリと笑う。
「“王子様”が助けに来てくれるといいね」
心底楽しげな声に、雛㮈は背筋が凍った。
「その方が、おもしろい―――」
目を見開く雛㮈の前で、ガコン、と扉が閉まった。
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男を追尾することは、簡単かに思われた。あの異様な気配は、どうあっても目立つ。しかしその予想に、ラルクは首を振った。
「あの黒い気配が完全に消えておる。おそらく、ある程度は自力でコントロールできるのじゃろう」
それはつまり、やはり今回の件は、“精霊使い”が目的の襲撃事件だったのだろう。誘い込まれたのだ。
「くそっ」
カーダルは悪態をついた。
「ごめんなさい、ダルお兄様、私…」
「…リリィ、お前の所為じゃない」
「でもヒナちゃんは、私が危険じゃなかったら、あんな風に急いで戻ってきたりはしなかったわ」
それも想定の上でのことなのだろう。しかし、カーダルやアイレイスがついていなかったのは、向こうにとっての幸運で、こちらにとっての不運だ。
こんなことなら、という言葉は、あまりにも今更だ。
「すまぬ、我にも責がある…」
「いや」
言葉はそこで止まる。それ以上は、口には出せなかった。黙って首を横に振る。何度も、何度も。
重い空気が、その場を支配した。
のは、一瞬だった。
「あーっ、もう!」
獣耳の少女(少年にも見える)が、吼えた。
「責任責任言ってる前に、やることがあるだろ!?」
まだ死んだ訳ではないのだ。
「お姉さん、諦めてついてった訳じゃないんだろ。それなのに、オレたちが諦めてどうすんだよ」
腰に手を当てて牙を剥くニキの言葉に対して、一拍おいた後、「その通りだ」とカーダルが低く呟いた。
「助ける。絶対に」
それ以外の未来なんて、全て叩き壊してやる。
そんな迫力のある顔だった。なんとか立ち直ったらしい。ニキは、ふう、と息を吐く。まったく、世話のかかる。
こっちだって、怖いというのに。
「カーダル様」
執事の声が、扉越しに響いた。
「こんな時ですが…お客様です」
「客?」
五年前の事件以来、この屋敷に訪れる者など、そうそういないはずなのだが。
名は、と訊ねたカーダルに、執事は落ち着いた調子で返した。
「行商人のハイキー様、チク様、タク様の三名でございます」
しばらくぶりの名に、彼らを知る者は顔を見合わせ、彼らを知らないリリーシュは、どなたかしら、とこてんと首を傾げた。
久しぶりのお三方の登場です!
「忘られとるんじゃね?」
「うっわ悲し!」
「でもありそうじゃんね」
地元の方言、分からぬ点がありましたら、お教えください。
なにぶん、言ってる本人は気付いていないものですから…。




