05.最悪のチームワークです (5)
「ヒナ、大丈夫かの?」
「は、い!」
本音を言うと、怖かった。これまでにないスピードで飛ぶように走る。しかし、それを望んだのは雛㮈自身だ。
(早く…!)
瞬間的に浮かんだのは、フェルディナンの件と、それから、リリーシュの顔だった。護ると決めた気持ちは嘘ではないし、嘘にするつもりもない。
距離が近くなる程、肌がピリピリしてくる。警戒心か、恐怖心か。
「ここまで黒い気配を表に出してくるとは…」
ラルクの声からも、警戒の色を感じる。おそらく、これは誘われているのだ。なんらかの罠だ。ひゅ、と息を吐く。本音を零せば、怖い。
「屋敷が見えてきたぞ」
ハッと我に返って、先方を見た。一見、普段と変わらない。しかし黒の根源の気配が、屋敷の中からした。
「リリィちゃんの、部屋に!」
切れ切れの指示を聞き、ラルクはその場で跳躍した。ふわりと舞うように、バルコニーに降り立った。
「意外と早かったね」
中から、中性的な声が聞こえた。フレンドリーな割りに冷え冷えとした声に、ゾッとする。キイ、と音を立て、バルコニーのドアが開く。
声につられて視線を動かし、「うっ…」と呻いた。
『ヒナだ…』
『ヒなダー!』
『遊ぼウ』
『ボクたチと遊ぼ!』
『壊しテしまオウ!』
『壊シて遊ボうよ!』
不快な音が響きわたる。普段の跳ねるような音では無く、キンキンと響くような音に、雛㮈は堪らず片耳を塞いだ。
「はははっ! あんた、耐性無いんだ。いいね、俺、そーいうヤツ、大好きだよ。…早く壊れた時の顔が見たい」
本当に嬉しそうな声だった。
「ヒナ、気をしっかり持て!」
ラルクの呼び掛けに、なんとか答える。黒い精霊に覆われて、視界はひどく悪い。その中央に、一人の青年が立っている。焦げ茶のウルフヘアに、吊り目気味の紅の瞳。その瞳には、壊れたような残虐な光が灯っている。
彼の手には、ナイフが握られていた。そのナイフの切っ先に、リリーシュの細い首がある。笑った拍子に手元が狂ったのか、首から少量の血が流れている。しかし彼にそれを気にした様子は無い。リリーシュは顔を青褪めているが、それでも気丈に振る舞い、叫び出さないようにしている。
だからこそ、声を掛けようとした雛㮈は、それを堪えることができたのだ。
「…意外と早かったと仰いましたが、どういう意味ですか?」
「どういう意味だと思う?」
クスクス、と嫌な笑い声が響く。震える身体を押さえ、声を発する。自分の声が震えていないことを祈った。
「貴方の狙いは私、ですか」
「そうだよ、ヒナ」
勝手に名を呼ぶな、と叫びたくなる衝動を抑える。
「フェルディナンさんを襲ったのも、貴方?」
「ツテを使ってお願いしただけだよ。ちょっとはビビったでしょ?」
「ちょっと、って…」
雛㮈は絶句すると同時に、悟った。この男とは、価値観が違い過ぎる。話は合わないだろう。
それでも、言葉を続ける。まだ肝心なことを訊いていない。
「どうして、私を狙うんですか」
「あんたが幸せそうだからだよ。それに、精霊が見える」
何も理由になっていないように見えるが、男にとっては“それ”は動く理由に成り得るのだろう。
「黒い精霊に魅入られたか…」
ぼそりとラルクが零した。
「それなら、私を直接狙えばいいじゃないですかっ」
「だって、周りが自分の所為で傷つく方が、嫌だろう? 僕はそうでもないけど、幸せそうな奴はみんなそうだ」
それに、と男は続けた。
「安心してよ。あんた自身を傷つけるのは、これからなんだから。たっぷり傷ついて、絶望しろ」
訳がわからない。だからこそ、ひどく怖い。無意識に、一歩後退り、両手で自分の身体を掻き抱く。
「いいの?」
ナイフがリリーシュの首に食い込む。
「ヒナちゃんっ、私はいいから逃げてくださ―――っ、ぃ…」
黙れ、と言わんばかりに、刃がリリーシュの首を流れ、血を流した。その光景に、雛㮈は我に返る。自分は逃げるためにここに来たのではないのだ。
「リリィちゃんを離してください」
「なんであんたに命令されなきゃならないのかなあ」
言いながらも、男は嬉しそうに笑う。不気味だ。
「わ、私が狙いなんですよね。なら、私を連れて行ってください」
「ヒナ!? 何を言っておる!」
「今に人が来ます。すごく強い人が。貴方じゃ、敵いません。絶対にです。ここで欲張って台無しにしては、元も子もないですよね」
男は、目を細めた。「僕より強い人、ねえ」と嗤うと、「まあいいや」と肩を竦めた。
「メインは、確かにここじゃない」
来い、と命じられた通りに、男に近付く。ラルクがグルルル、と唸っている。
男は雛㮈の腕を掴むと、リリーシュからナイフを退けた。それから彼女に軽薄に笑い掛ける。
「残念。デートは終了だ。追い縋ってくるなよ? 友人の目の前で殺されたくなければ」
「っ、く…」
片手に何かを隠し持っていた様子のリリーシュは、それを聞き、憎々しげに反撃を断念した。
「そっちの犬っころも大人しくしてな」
「我は犬ではないわ、無礼者が!」
「そうなのか。ま、どっちでもいいだろ」
興味が無さそうに、男は吐き捨てた。
雛㮈の腕を引きバルコニーまで出た彼は、「ヒナの助言通り、面倒なのが来ないうちに退散するかな」と笑い、雛㮈の首の後ろをトンと叩いた。その衝撃で、一気に意識が遠退く。
「じゃあな。追ってくるなよ」
男は雛㮈の身体を抱えると、その場から逃走した。
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馬車を飛ばしてきたカーダル達が屋敷に戻ったのは、その十数分後のことである。
血の臭いが漂う屋敷で、喉を掻き切られて死んでいる護衛に目をやりながら突き進んだ先で、彼は大切な人が連れ去られたことを知った。
二度ある事は三度ある。←待て
雛㮈さんファイト!作者は血が苦手なので逃げます…。
あと、意外とリリーシュさんは、図太いです。




