07.彼女を見つけました
夕食は、断ろうと思った。
こんな心境で…。しかし、だからといって、部屋に篭っていたからといって、何かができる訳でもない。
こんこん、と控えめなノック。噛み締めた唇を、緩める。は、と息を吐いた。
陰鬱な気持ちで、部屋を出る。
「ヒナ様、どうなさいました」
「いえ…ただ、…少しだけ、頭が痛くて」
雛㮈は少しばかり、嘘を吐いた。それから、無理に頬筋を動かし、微笑んだみせる。
「でも、大丈夫です」
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大きな部屋で食事をするのは、初めてだ。いや、この家で、自室以外に入ってゆっくりすることすら、初めてか。
目の前に、食事が運ばれてくる。
「今の生活は、慣れたか」
「は、はい。おかげさまで」
「何か変わったことはあったか」
「特には…。あの、すみません、不思議な力も、何もなくて…」
精霊たちも、自分たちの存在は『普通』だと言っていた。ならば、あの幽霊の友人だって。それに、彼女のことを『不可思議な力』という括りにしたくは無かった。
それにしても、彼女はどうしてしまったというのか。カーダルの名に、ひどく反応していたように思う。
(だめ、だめ。今は考えない…)
ふるふると頭を振る。
「そういえば…私、外に出たいです。あの、お庭とかでもいいんですけど、ずっと部屋だと…身体が鈍ってしまって」
「駄目だ」
バッサリと断られる。まだ疑われているのだろうか。少しは、信用してきてもらえていると、思ったのだけれど。まあ確かに、カーダルとしては、『部屋に閉じ込めたら、素直に何も問題を起こさずにいる』というだけで、『外に出した時に信用できるかは別』なのだろうが。
雛㮈は俯きながら、「そうですか」と返した。ここで無理を通して、自分の立場を悪くすることは、怖かった。
シンと静まり返る部屋。
妙な沈黙を払拭しようと、雛㮈は更に口を開く。
「カーダルさんは、このお屋敷で一人で住んでいらっしゃるんですか?」
今、食事をとっているのは、カーダルと雛㮈の二人だけである。両親や、兄弟はいないのだろうか。
「なんでそんなことを、答えなきゃいけない」
カーダルの気配が、冷たくなった。
「あ、そ、そうです、よね。ご、ごめんなさい…」
雛㮈は慌てて謝罪した。
それにしても、と考える。何故彼は、雛㮈を食事に誘ったのだろう。この様子を見る限り、仲良くしたいようには見えない。
空気が重い。正直、一人の食事の方が、気が楽だ。
早く食べてしまおう、と食事のスピードを速めた。
「………両親は、五年前に死んだ」
「え」
「お前は知らないだろうが。五年前に、大きな事件があったんだ。多くの人が死んだ。父と母も、その被害者だ」
多くの人が死ぬ大きな事件、と復唱する。日本でいう、飛行機事故だとか…そういった、ものだろうか。だとしたら、彼は、急に大切な人を奪われたことになる。
それがどれだけ辛いことか、雛㮈には想像がつかない。
―――想像が、つかない?
本当に? だって自分も、つい数十日前に“家族・友人を全て失い”、“家族に自分を喪わせた”のに。
何故。
何故、そのことに、思い当たらなかったのだろう。寂しさも、悲しさも、何も感じずに。
どういうこと?
自分は、“そんなに非情になれるはずがないのに”。
「あ、ああぁ、あああああ…っ!」
「お、おい…! どうした…!?」
「あ、あぁ…う、ぁ…」
はっはっは、と荒い息遣いをすると、背中に手を当てられる。そうしたら、少し、落ち着いた。
きっと。
自分が非情なのではない。日本にいる宮古雛㮈と、この世界にいる宮古雛㮈は、同じようでいて、違うのだ。
雛㮈は自分にそう納得させた。またそれは、真実であるようにも思えた。宮古雛㮈は普通の人間だ。それ故、誰かを失って泣くことは、普通ならば持ち得る感情だ。
日本にいる宮古雛㮈は、“死んだ”。しかし、その死の恐怖すらも、もはや明確に思い出せない。
「ごめんなさい…もう、大丈夫です」
「…ああ、そうか。お前も、“そう”だったな。俺よりも、辛いか」
「いえ、私は…多分、きっと、何ひとつ、失っていないんです」
多分。失うことすら、できなくなってしまった。実際に失うことと、それはどちらが辛いだろうか。
「カーダルさんは、ご親族も…?」
「いや…妹が一人、いる」
少し、安堵する。そして、安堵できた自分に、安心した。
「妹さん、いらっしゃるんですね」
「ああ、ただ、五年前の事件に巻き込まれて…ずっと、目覚めないんだ」
「え…」
植物人間、というやつだろうか。それは、あまりにも、辛いのではないか。自分一人が生き残る、恐怖。絶望。
「五年前は、みんな一緒だった…」
すう、とカーダルの目が暖炉の上に移る。つられるように、雛㮈も目を移し、目を見張った。
そこにあったのは、写真だ。優しそうな妙齢の女性と、髭を蓄えた男性。今より幼さが見え、今では考えられないような満面の笑顔を浮かべるカーダル。そして、金とも茶ともとれる長い髪を持ち、翡翠の瞳を持つ幼い少女。この少女は知らない、でも―――もう少し成長した、よく似た少女を、知っている。
「こ、この子!」
起き上がった拍子に、カーダルとぶつかりかける。しかし、今の雛㮈には、それを気にしている余裕はなかった。
「この子、今、どこにいますか!?」