16.向き合いましょう (5)
「くあーっ、よく寝た! 久々にしっかり寝た!」
「えっと…ごめん、ね?」
無理をさせたか、と大きく伸びをするニキに、手を合わせる。「や、好きでやってるからいーんだけどさ」と彼女はキッパリ言って笑った。
「我はまだ眠れるぞ」
「銀狼さんは寝過ぎだと思う」
ひょいっと雛㮈の頭に飛び乗ってだらけるラルクを、ニキが半眼で睨む。
「にしても、お姉さんなんか顔が曇ってるけど。………兄さんとなんかあった?」
「えっ!? な、な、なっんにも! 無いです!」
「あったな」
「あったようじゃのう」
分かりやすい動揺っぷりに、ニキとラルクは生温かい目を向けた。顔を赤くさせて、目をぐるぐると回す雛㮈を見ながら、ニキは肩を竦めた。
「兄さんとは何かあったけど、そっちでは無くて、別に心配事がある、と。お姉さんも忙しいね」
退屈しないようで何より、と嘯く。
「ま、何があっても手を貸すよ。面倒ごとは承知の上」
「っ、ニキさーん!」
「ちょっ、お姉さん歩きながら抱きつかないで危ない!」
「我も手を貸すぞ。だから我にブラッシングをするがよい」
前を歩いていたカーダルが、振り返る。何をしているんだ、と冷ややかな目を向けられるかと思ったが、存外温かい目をしていた。カア、と赤くなる。
(………あるべき場所。そこに胸を張っていられるように、頑張ってみよう。幸福に繋げられるように)
⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎
フェルディナンは、数日間の滞在のために用意された部屋で、ソファに身を預けていた。
今しがた自分が仕えるべき相手に、報告をしてきたばかりだ。
あの世界での、必然的な出来事を。
ひどく現実に則した世界は、長年城に勤めてきたフェルディナンには、動きやすい。なにせ、隠し通路すらも正確に再現されているのだ。
殿下という立場でなかったら、魔法使いとして名を馳せていただろう。
薄らと笑いながら、神経を尖らせる。
明確に“その相手”を捜していなければ、そしていることを前提にしていなければ見落とすであろう違和感を、全て辿っていく。
これだけ熱心に探っているのだ、相手も気付いているだろう。それでも逃げないのであれば、向こうは別に見つかってもいいと思っているのだ。
ならば、こちらの意思が勝つだろう。
事実、そうなった。
ワザトなのか、再会の場所は、よく二人で花見をした場所であった。
「ファンクス」
黒いフードを目深に被った男を、そう思ったのは、直感でしかない。生前は、特別お洒落でもない彼だったが、小綺麗な格好をしていた。少なくともこんな、黒一色で無地の不気味なフード付きローブを羽織るような男では、無かった。あるいはそれは、彼にとって、自分の罪に対する戒めか。
「フェルディナンか…よくもまあ、こんなところまで追ってきたね」
「君は何をしようとしている。何が目的だ」
単刀直入に訊ねる。彼は、フードの奥から、ちらりとフェルディナンを見やった。その瞳は、悪意にすら染まっていない。ただ恐ろしいほど真っ直ぐな決意が見て取れた。
それを見て、フェルディナンは悟った。この男を止めることなどできない、と。今更、誰が何を言ったところで、その覚悟を覆すことなど不可能だ。
「それを訊ねてどうする。僕を止めにでも来たのか?」
「そうだね。僕様としても、罪無き人々が死ぬことを黙って見ている訳にはいかない。可能ならば説得しようと思っていたんだがね………それは今、諦めた」
「賢明な判断だね」
困ったように眉を寄せ、ファンクスは苦笑してみせた。その表情を見る限り、何かを恨んでいるようにも、悔やんでいるようにも、まして狂っているようにも見えない。だからこそ、厄介なのだ。
「この、頑固者の阿呆がっ!」
「…や、ごめん、罵られたタイミングがよく分からない」
「僕様がそう思った時が、怒鳴るタイミングだよ、元・団長殿」
「………相変わらずだね、きみは」
一応は敵対関係であるはずの二人は、なんとも気の抜けた会話をしている。
「君、いま君がやろうとしていることは、何千人もの人間の命を奪うことより、大事なことなのか」
一拍置いた後に打ち込んだ言葉に、ファンクスは纏う空気すら変えないまま、ただ静かに、そして迷い無く答える。
「愚問だな。でなければ、こんなことはしないよ。世間的には、何千人の命の方が大事だろう。何故なら、彼らにはなんの罪も無い。犠牲にならなければならない理由など無い。―――それでも、僕はやらなければならない」
「なんのために」
「…堂々巡りだね」
答える気は無いようだ。一回目、二回目とはぐらかされ、フェルディナンは押し黙った。それから、探るように言う。
「君が執着するものは、少ない」
「…どうだろう。権力や力が欲しくなったのかも」
「それならば、他の手段を採るだろう。君にはそれができる程の実力がある。この僕様が認めてやっているのだ、無いとは言わせんぞ」
今度は、押し黙ったのはファンクスの方だ。彼は、しばらくしてから、「きみが本当に扱い難い部下だったことを、改めてしみじみと実感したよ」と文句を言った。「君に与えられた枠に嵌らないということかい? それは光栄だ」とフェルディナンは笑う。
「君が他人の命さえも使い、執着するもの。僕様が知る限り、それはあの娘くらいしか知らないね」
それに対する答えは、無だった。
ファンクスはフードに手をやりしっかりと被り直すと、背を向けた。
「僕は止めても止まらない。だが、きみたちが何千人の命を救おうとするなら、その意思は止めない。しかし、僕の目的がそれによって妨げられるなら、僕はきみたちを止める」
これ以上に話すべきことは何も無い。
向けられた背中は、そう語っていた。即座にスピード力のある雷の魔法を放つが、ファンクスに届く直前に、防御魔法に弾かれる。
「ハッ、さすがだな。発動さえ悟らせないか。腕は落ちてないと見える」
「フェルディナン、ここで争うことはおすすめしない。殿下の深層世界だよ」
「まあまあ、少し付き合いたまえよ」
無数の炎の弾を飛ばす。かなりのスピードがあったにも関わらず、ファンクスは肩越しに振り返った状態で風の魔法を使い、正確に、軌道の先に自分がいるものだけを撃ち落とした。
「生憎と、僕も忙しい」
くん、と指先を動かす。雷の魔法。視線すらまともに向けていないはずなのにフェルディナンの急所のみを狙った複数の雷に、防御魔法で対処する。一寸のブレもなく同時に防御魔法に当たった雷により、一瞬、視界が白く染まった。
「っ、そろそろこっちを向いたらどうだい」
防御の傍らで構築していた大きな炎の渦で、一気に仕掛け―――バキバキッと嫌な音が響いた。その視界が、大木に遮られる。放った炎は、大木に当たり、一気に燃え上がった。
「………柄にもなく熱くなってしまったことが敗因かな」
燃え尽きた大木の向こうに、ファンクスの姿は既に無い。大木の根元を見ると、焼き切れたような跡が残っている。おそらく、雷の魔法によるものだろう。急所を狙った攻撃は、ファンクスを戦闘不能にするためではなく、大木を倒すための目眩ましだったのだ。
昔から細かい作業が得意なやつだったが、嫌なところで使ってくる。
フェルディナンは、心の中で吐き捨て、踵を返した。
「………やれやれ、困った上司殿だ」
ふう、と自分のことは棚上げして、フェルディナンはため息を吐く。
「あー、面倒になってきた。大体、あの男は頑固すぎるのだよ。…ヒナ君に任せようか」
目を閉じて、息を吐きながら一言。
「面識もあるのだしね」
これにて、第5章、閉幕です!
読んで頂き、ありがとうございます!
本章では、カーダルさんと雛㮈さんの傷、また“五年前の大事件”による傷に焦点を当てました。伝わっていなかったら、私の文章能力の問題です…!精進します…!
たくさんの人が、大事なものを失いました。悲しい想いをしました。それは、大切な人の命だったり、信じていた人の“裏切り”だったり…。
この先の章では、ようやっと五年前の事件に本腰を入れていきます。
(と言いつつ、脱線してくんですけどね!)
どうか最後まで、お付き合いくださると嬉しく思います。
P.S.フェルディナンさんは、交渉下手です。というか、交渉嫌いです。“自分”が前に出てしまうので…。




