10.貴方の気持ちを教えてください 後編
「五年前の大事件の前に、俺はファンクスと話したんだ。ああ、ヒナは知らないか。五年前、大精霊を強制召喚したのが、当時の魔法団長を勤めていたファンクスだ。これ、一応国家機密。だから内緒、な」
しー、と人差し指を唇に当て、ミディアスが告げた。
禁術に手を出したという人物。アイレイスが顔を曇らせた人物。
「俺は、あいつとは親しかったからな、よく話をしていた。でも…肝心なことは聞けなかった」
苦しんでいたことは、分かっていたのに。それは、確かな後悔だった。
追憶するように、どこか虚空を睨みながら、ミディアスは当時のことを語った。
「時折、怖いくらい真剣な顔で、悩んでいた。俺が話し掛けると、すぐに笑ったから、………時が来れば、話してくれるだろう、と。俺は放置した」
結果的に、彼は罪を犯した。多くの命を奪って。
「アレは、思慮深く、優しい男だった。あいつが、あんなことをするなんて、俺は今でも信じられないくらいだ。あんなことを平気でできるやつじゃないんだ。…悩んでいるなら、聞いてやれば良かった。無理にでも聞き出せばよかった。せめて、心配していると一言声を掛ければ良かった。俺の判断ミスで、あんなことをさせてしまった」
苦悶に顔を歪めるミディアスを見て、不意にアイレイスの吐き捨てるような言葉を思い出す。
『罪を犯した男は、魔力量が低かった。追い込まれていた。…結果を出したかったのね。だから、闇に飲まれた。誘惑に負けたの。彼からしたら、生死を賭けた大博打、ってところかしら』
………本当に、そうなのだろうか。
アイレイスが告げた男と、ミディアスの語るファンクスの人物像が重ならない。
「ファンクスさんは…どうして、大精霊を?」
「それは、今でも分からない。裏ではアースの高い魔力に焦って、なんて言われているが、俺は、それだけは無いと思っている」
ではアイレイスは、その噂を信じたのか。いや、しかし…。
釈然としないものを感じたが、今は蓋をする。ミディアスに真正面から向き合わないことには、アイレイスにその疑問をぶつけることすら叶わない。
徐々に強まる雨足が、雛㮈たちを濡らしていくが、誰も店に入ろうとは言わなかった。
カーダルが、勢いを無理やり押し殺したような、低く小さい声で言った。
「お前が罪悪感を覚えているのはよく分かった。だが、それが何故、お前が王にならない…なれない、という理由に繋がるんだ」
「………人を」
罪を告白するように、彼は言葉を絞り出す。
「どこまで、信じていいのか。分からなくなった。怖くなった」
途方に暮れたような、心底困ったような、それでいてどこか諦めきれないような、様々な色が混ざり合った声。
「あいつは、あんなことをするような人間じゃない。でも、実際は罪を犯した。俺に一言も言わずに。…分かっているんだ、俺を巻き込まないためだと。だけど、それでも俺は、言って欲しかった。俺は、―――あいつとなら、国を、民を守っていけるんじゃないかって、思っていたのに」
焦点の合わなかった視線が、雛㮈とカーダルに向けられる。縋るようでいて突き放す瞳が、叫ぶように訴えかけてくる。
「あいつ程の男が俺を裏切り罪を犯すなら、他の誰を信じられるっていうんだ」
きっと。
それが、最終的に彼の中に残ったものなのだろう。
「人を信じられない王に、誰がついていくというんだ。人を信じられない王が、誰を幸せにできるというんだ」
理想。その形が。
自分自身を否定する。
「俺は、俺の手で国を駄目にしてしまいたくないんだ」
望むのは、国の繁栄。民の幸福。その最終目標は変わらない。変わらないからこそ、自身がそれを阻害するなら、自身の存在さえ否定する。
その在り方を、雛㮈はもどかしく思った。こんなにも国を想い苦しむ人が、本当に王に相応しくないのか。
ザッ、とカーダルが一歩踏み出す。
「カーダルさん…?」
「これ、持ってろ」
放り投げられた剣を慌ててキャッチする。重い。こんなものよく振り回しているな、と思わず考えた。
それと、同時に。
ドスッ、と重い拳の音が響いた。
「ぐっ…ごっほ、げほっ、おまっ、ぐ、今、ほん、っきで殴った…ろ!?」
「馬鹿にはちょうどいいだろ」
「あら、ちょ、だ、けほっ…ダルお前マジでキレてね…?」
手をぶらぶらと動かしながら、やけに据わった目をしているカーダルに、ミディアスが引き攣った笑みを浮かべる。
ギロ、と睨む目は、確かに本気だ。
「何が、俺が国を駄目にする、だ…。結局、そんな言い訳を並べ立てて、殻に閉じ籠ってるだけじゃねーか」
「言い訳って、お前、俺は」
「言い訳だろ。じゃあ“運良く”光眠り病に罹らなかったら、何してたんだよ、お前。今みたいに逃げてたか? お前が“不貞寝”してる間に、陛下がどれだけ心を痛めたと思ってんだ」
カーダルはカーダルで、ここ五年、溜まっていた想いがあったのだろう。反論する時間すら与えずに、捲し立てている。どうどうどうどう、とミディアスが落ち着け落ち着けと腕を動かすが、その腕を斬り捨てる程の眼力で退かせた。
「あとな、俺も迷惑してんだよ。ここ数年、人が大変だって時に昼夜問わずわさわさと押し掛けてくる暗殺者の相手して…。お前、シリアス決め込む暇があるなら、仕事しろよ」
「あ、や…その件に関しては申し訳ないかな〜、っと、ちょっと思ってたんだぜ?」
「はあ?」
謝って済むなら警察は要らないんだよ、と言わんばかりの剣幕である。この世界では警察という機関は無いので、実際は別の意味合いがこもっているはずだが。
「大体が、誰もお前に完璧なんて求めて無いんだよ。ファンクスさんの件だって、あの人が決めたことだ。後悔は結構だが、足取られて立ち止まってんなよ」
それは、崩れ落ちることすら許されなかった、カーダルだからこそ言えるのかもしれない。俺は立ち止まれなかったのに、という恨みが、そこに一切入っていないとは言えないだろう。それでも、それ以上に、込められている別の想いがある。
「俺には、国は動かせない。でも、お前なら、動かせる。そう思う。今は無理でも。そのためなら、肩でも、腕でも、なんでも貸してやる」
一瞬、瞬きすら忘れたミディアスは、すぐにケラケラ笑った。
「うっわ、熱烈な告白」
「本気だぞ」
「勘弁してくれ。俺にその気は無い」
茶化すように誤魔化して、ミディアスは顔を背けた。彼には、カーダルの言葉は届かなかったのか。ゆっくりと、その身体から手を離す。
雛㮈は、言葉を挟めなかった。雨が上がっていく。それは、ミディアスの変化でもある。
しかし。
―――ドオオオォォーーーンッ
直後、激しい、立っていられない程の横揺れが雛㮈たちを襲った。
男は拳で語る。…一方的に。
ミディアスさんは、魔法の実力はピカイチですが、剣技の方は程々です。弱いわけじゃないけれど、特別強くもない。
対するカーダルさんは、身体能力は常人以上で、剣はとても強いです。
何が言いたいかというと…カーダルさんに殴られるとかなり痛いです。御愁傷様です。




