01.おかえりなさい 前編
名を呼ばれた気がした。
雛㮈は、パチリ、と目を開く。カーテンを開き、朝日を浴びると、身体をウンと伸ばす。
今日はまだ、休日だということに思い当たる。七日目の朝。年末年始、あるいはお盆休みのようだ。むしろそちらの方が短いくらいかもしれない。城に勤める前まではこれが普通だったが、今同じ生活をしようとすると、違和感しか無い。それほど日数は経っていないというのに。
今日は何をしよう。ニキの着せ替えは、連日だと彼女が疲れてしまうだろうし。庭の散策は、カーダルから許可を取らなくてはならない。大人しく本を読んでいようか、とつらつら考えていると、また呼ばれた気がした。
「誰…?」
『だれー?』
『だれだれー?』
ぽん、ぽぽんっ、と精霊が姿を見せる。くるくると雛㮈の周りを回る彼らは楽しげだ。
『よんだー?』
『ひな、おはよー』
『ぼくたちよばれたのー?』
『およばれだー』
『ぱーてぃーだー』
『ごはんだー』
『魔力ちょうだいー』
きゃあきゃあと勝手なことを騒ぐ精霊に、はいはい、と適当に返事をして、その頭を撫でる。この対応でもある程度満足してくれることに、ここ最近気付いたのだ。
『ずるーい!』
『ぼくも! ぼくもーっ!』
「順番ですよー。横入りは禁止!」
はい整列ー、と並べた精霊を順に相手しながら、雛㮈はだいぶ住み慣れた部屋の窓から、外を眺めた。ベッドの上にはモフモフ動物ことフウモの巨大ぬいぐるみ。片手でもふっと掴む。
「………」
やはり、どうしても気になる。
雛㮈はクローゼットを開け、自分で服を選んだ。初めは一人で着ることすら困難だった服も、今では一人で着ることができる。
『ひなー?』
『おしまい? おしまい?』
「うん、今日は終わり!」
えええ、と上がる落胆の声をスルーして、雛㮈は着替えを終えると、部屋を出た。“なんとなくこちらだ”と思う方へ向かっていく。階段を降り、渡り廊下を進み、また階段を登り、そうしている内に、リリーシュの部屋へ向かっているのだ、と唐突に気付いた。
一日に一度は顔を見せに行く彼女の下へ。
自然と、足が急く。
呼ばれた気がした。それはきっと、気のせいなんかではない。
悲しくはなかった。
だからきっと。
ノック。返事は無い。扉を、そっと開ける。金と茶の間の色をした、長いサラサラとした、髪。その先端は、ベッドに広がっている。開いた窓から入り込んだ風が“彼女”の髪を一房攫う。
白い手で、その髪を押さえながら、彼女は振り返った。
「………ヒナちゃん?」
「―――リリーシュさん!」
つんのめるように前に踏み出した。まるで背中を押されるように、一歩一歩、前に踏み出す。伸ばした指先が彼女の手に触れ、その温かさにどうしようもなく嬉しくなって、手を握りしめる。
「リリーシュさん、なんて他人行儀で嫌よ。リリィがいいな」
「うん…っ」
こくこくと頷く。口から、自然に言葉が零れた。
「またお喋りできて、良かった」
心の底から、思う。
「大丈夫って思ってたけど、でももし起きなかったらって…」
フェルディナンが二日で目覚めたと聞いて。喜びと共に、目覚めぬリリーシュのことが浮かんだ。魔力量の差だ。そう思ったけれど、それでも消えない不安感。
リリーシュはにこりと微笑んだ。
「―――ただいま戻りました」
「っ、おかえりなさい!」
つられるように、雛㮈も笑う。
二人で、えへへ、と笑い合っていると、背後からガタガタッと音がした。
振り返ると、セパスが目を丸くさせ、立っていた。手には水桶と布。おそらく毎朝の身支度を済ませに来たのだろう。
彼女は、しばし言葉を失った後に、わっと泣き出した。
「ああ、リリィお嬢様! お目覚めになったのですね、ああ、なんという…今日はなんて素晴らしい日なのかしら…!」
「セパスには心配をお掛けしました。ごめんなさい」
「とんでもございませんっ!」
いつもにこやかな彼女が、いつも以上に、嬉しそうに笑っている。ああいけない、と彼女は呟いた。
「ともあれまず、お医者様に伝えなくては。それからカーダル坊ちゃんにも」
この時間だと、まだ朝食を食べている頃だろう。そういえば、朝食をすっぽかしていたことを思い出す。セパスも同じタイミングで思い出したようだ。
「お嬢様もご朝食を取らなければ」
「あ、はい、でも」
「でも、じゃあございませんわ! 食事はきっちり取って頂かないと!」
セパスが目尻を吊り上げて、胸を張る。その様子に、リリーシュがくすくす笑った。「懐かしい…」と柔らかく呟く声。その声は、微かに潤んでいるように聞こえた。
「私、まだここにいたい、です」
「私もヒナちゃんとお喋りしたいわ…」
二人揃っておずおずと訴えると、普段あまり意見を言わないからなのか、セパスは微かに目を開いた。
「…かしこまりましたわ。では、お食事をここにお持ちします。リリィお嬢様にも、何か軽く食べられるものを」
雛㮈とリリーシュは手を取って喜ぶ。そんな彼女たちを、セパスは温かく見守った。
第5章は、リリィさんの目覚めからのスタートです。
…あれ、でも何気に精霊さんの合唱(?)も久々な気がしないでも…。




