05.わんわん泣きました
流石に悲鳴が聞こえては、放置しておくわけにはいかなかったのだろう。
扉を叩く音がする。
「お嬢さん、どうなさいましたか!」
続いて、ガチャガチャとドアノブを回す音が聞こえたが、扉が開くことはない。頭の中の冷静な部分が、“鍵は外についているのに”、どうして開かないのだろう、と首を捻っている。
しかし、なんといっても頭の大半を占めているのは、精霊が連れてきた目の前の少女だ。これは、つまり、つまるところ、所謂、幽霊というもの? 雛㮈はゴクリと息を飲んだ。
『ごめんなさい…驚かせるつもりはなかったの』
鈴が転がるような、透き通った綺麗な声で、少女は謝罪した。そうすると、悲鳴を上げてしまった自分の方が悪いような気がしてくる。確かに少女は、何もしていない。ただ、“唐突に現れただけ”だ。
「あ、わ、私こそごめんなさい…。その、せっかく、来てくれたのに」
『いいえ、いいえ! 突然押し掛けたのは、私ですもの。人から何かを求められることなんて、ここ数年無くて、つい嬉しくなってしまって…』
頬を染める少女は、決して悪いものには見えなかった。少女が、花も恥じらう程の美少女だった、というのも大きな理由のひとつだが。金とも茶とも取れる腰まで届く長い髪は、癖ひとつなく、まるで絹糸のようだ。翡翠色の瞳も、透き通るように綺麗。この歳でこれだけ綺麗なら、大人になった時には周りが放っておかないだろう。いや、今でもそうかもしれない。…その前に、彼女が幽霊でなければ、の話だが。
『貴女が、何かを知りたがっている、と聞いたの。でも今は、あまりお喋りしている時間は無さそうだわ。ねえ、また後でお邪魔してもいいかしら』
雛㮈が知りたがっていること。確かに、彼女ならば、知っているかもしれない。どんな存在なのかは不明だが、この世界のことに関しては、少なくとも雛㮈より詳しい可能性が高い。
「ぜ、是非!」
雛㮈が勢いをつけて返事をすると、少女はふわりと笑った。
『では、また後で…』
そう言うと、すう、と消えていった。精霊たちも、同じタイミングで消えた。少女と違って、ぽんっ、と音を立てて消える。同じ“消える”でも違うんだな、と呑気に思ったその瞬間、扉が轟音と共に蹴り開けられた。
「ひ…っ!?」
思わず、短く悲鳴を上げる。
ズカズカと、大股で近寄る足音。それが誰なのかは、認識する前に理解していた。窓際でへたり込んでいた雛㮈の両肩を、大きな手ががっしりと掴んだ。
「おい、どうした!? 何があった!」
雛㮈に対しては非情だった彼が、この時ばかりは心配そうに大きな声を出した。思い掛けずに真正面から絡まった視線を見た瞬間、雛㮈の中で、何かが崩壊した。
「う…」
「う?」
「うわああああああああんっ!」
あーんあーん、と大声で、子供のように大口を開けながら、泣いた。涙はとめどなく流れ、カーダルの手すら濡らす。
「なっ、ちょっ…なんで泣く!?」
「うっ、ふぇっ、ふぇええええ!」
堰き止めていたものが外れ崩壊した涙腺は、なかなか涙を零すことを止められない。肩に置かれた手から、動揺が伝わってくる。
「なっ、あ、う…」
「ああもう、仕方ないお坊ちゃんですこと! 退いてくださいまし!」
カーダルの身体が、強引に押し退けられた。毛布に、ふわりと身体を包まれる。もう大丈夫ですよ、と声を掛けられる。優しい声だ。ちらり、と見ると、ふくよかな中年の女性がいた。
「さあさあ、暖まって。―――男連中はさっさと出て行きなさい!」
怒鳴り声を浴びせられ、カーダル含む男性陣はそそくさと退散した。
「お嬢様。何があったんです?」
優しい声に誘われるように、声を発する。
「ち、違うんです。こわ、怖くて泣いたんじゃ、なくて。さっきの悲鳴も…その、部屋に人が立って…る、ように見えて…ビックリしちゃっただけで」
そうなのね、と頭を撫でられる。子供扱いだな、と思いながらも、久々の人肌で離し難かった。
「な、泣いたのは…あの、自分でもよく分からなくて」
「うんうん、そういうこともあるわよねえ」
女性の優しい声で、ますます、泣いた。泣いていいのよ、と彼女は言った。
脱ぼっちな雛㮈さん、の巻。
なかなか笑顔シーンが書けないですが、
…書きたいなあ、笑顔。
頑張って書き進めます!