02.休暇の始まり 後編
こんなに、城は静かだっただろうか。
ぼんやりした頭で、考える。
窓からは、木漏れ日が入り、こんな時でなければ心穏やかにいられただろう。今の雛㮈は、膝の上で手を握り締め、医務室の扉をジッと見つめることで精一杯だ。
時が経つのが、やたらと長く感じる。
ガチャ、と音がした。慌てて立ち上がる。中から出てきたのは、駆け付けてくれた医師だった。
「あの…!」
「ああ、きみは…アイレイス殿と一緒にいた…」
医師の方は、雛㮈を憶えていたらしい。ぽむ、と手を打つと、彼女の容体を教えてくれた。
「ま、なんというか、あれだね、…過労、というやつかな」
「過労…」
「うん、まあ、そうだね。だからまあ、しばらくしたら、うん、起きると思うから、うん」
うんうん、うんうんと言いながら、医師はにっこり笑った。不思議とその笑顔に、心が落ち着いていく。強張っていた身体から、不必要な力が抜けていく。
「もう入っても大丈夫だから、うん、起きるまで傍にいてあげてくれるかな」
「は、はい!」
「僕は外にいるから、何かあれば呼んでね」
医師の後ろから、ルークもひょっこりと顔を出し、にこりと笑う。段々と落ち着いてきた雛㮈は、ようやく笑顔を浮かべることができた。
中に入ると、白いベッドに寝かされたアイレイスがいた。
透き通るような金の髪が、ベッドを飾っている。疲れが溜まっていた所為なのだろうか、血色はあまり良くない。いつもは瑞々しい唇も、今日はどこか、青かった。
「過労って」
椅子に座りながら、眉尻を下げる。
「無理しすぎですよー」
本当に心配したんですから、と唇を尖らせた。
それから、どれだけ経っただろうか。ただぼんやり過ぎるだけの時。
「ぅ、ん………」
「アイレイスさん?」
人形のようだったその顔が、歪められる。それすら、彼女が無事な証に思えて、嬉しくなる。
「目、覚めました?」
「…ええ。ここは…医務室、かしら」
「そうですよ! 急に倒れて、本当に心配したんですから! あ、待ってください。お医者さん呼びますから」
ぱたぱたと扉の向こうに駆けていく雛㮈を見送って、アイレイスは、手を顔の前に掲げた。少し寒い気がするが、他には何の変哲もない身体。彼女は、自身の指先をただ見つめた。
医師を呼んで戻ってきた雛㮈は、「迷惑を掛けたわね」と声を掛けられた。素直な言葉を聞き、意外だなと思って、笑う。
「なんですの」
「や、なんでもないですよ!」
慌てて取り繕ってから、「でもなんともなくて良かったです」と破顔する。
「あ、過労は良くないですけどね! 無理しすぎゃ駄目ですよ!」
腰に手を当てて、怒ったような顔をする。
「分かっているわよ」
にーっこり、とアイレイスは笑った。本当だろうか。怒らずに笑うあたりで、裏がありそうで怖い。彼女はチラリと外を見た。
「さあ、もうそろそろ堅物騎士が迎えに来る頃じゃないかしら」
「でも…」
「さっさと行きなさいな」
アイレイスからは、拒絶の意思が見られた。これ以上、踏み込んでくれるな、と。それは致し方ないことだと思いながらも、寂しくなる。
ふ、と息を吐いてから立ち上がる。
「お大事になさってくださいね。早く元気になって、こき使ってください」
「言いましたわね。その言葉、あたくし、忘れませんわよ」
ふふふ、とアイレイスは笑う。仕方なさそうに、雛㮈も笑う。
医師が部屋に入ってきた。彼はにこっと笑うと、雛㮈に会釈をする。それからアイレイスに向き直った。
「また貴女は無理をなさる」
どうやら、アイレイスとは知り合いのようだった。それから、頭痛はするか、など診察を始める。手持ち無沙汰となった雛㮈は、そのまま下がり、部屋の扉に手をかける。
「よい休日を」
背後からアイレイスの声がした。肩越しに振り返り、微笑む。
「はい。ゆっくり休みます」
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「アイレイス殿、もうそろそろ、ご療養をね、うん、した方がいいんじゃないかな、うん」
「不要ですわ」
異界の少女が去った瞬間に、顔を歪めて頭に手を当てた。ふう、と吐かれる息は、少し辛そうだ。
「あたくしには、休んでいる時間なんて無いのよ…」
すう、と細められた瞳には、確かな決意が見えた。
「うん、あれだね、なんというか、君も相当頑固者だね。まあ、うん、分かってたことだけどね」
「…喧嘩を売ってますの?」
うんうん、うんうん、と笑いながらのお医者様攻撃。
アイレイスさんはイライラしている!




