01.休暇の始まり 前編
「ご苦労様でしたわ」
アイレイスは、椅子に腰掛けながら、ふふんと笑った。私物なのか、なんなのか、羽のついた扇で優雅に風を起こしている。似合っているところが、また素晴らしい。
測定器を渡しながら、アイレイスさんらしいなー、と雛㮈は何故か微笑ましい感覚でそれを見た。
「…なんなんですの」
視線に気付いたアイレイスが、柳眉を寄せた。美人は、怒ると怖い。整っている分、余計に“怒っている”という表情が綺麗に出るのだ。
なんでもないですよ、と必死に誤魔化していたら、アイレイスも自分以上にしつこく否定する雛㮈の姿に、憐れみを抱いたのか、追及をやめてくれた。
「とにかくこれで一歩前進―――ああ、そうだわ、ヒナ。どーっでもいいことですので、伝え忘れていたのですけど」
どうでもいい、と言いながら、アイレイスは微かに笑っている。
「昨日、フェルディナンが起きたそうよ」
「ほんとですか!」
雛㮈の顔が、驚きに染まる。リリーシュが未だに目覚めない今、いくら精霊に魔力を渡したとしても、目覚めるに至るまでは遅いのだろうと思っていた。魔力の枯渇が原因になっている現象である。魔力量が関わっているのかもしれない。
「フェルディナンさん、お元気ですか? もう動けるんですか?」
「もう、また敬語! まあ、いいわ。そうね、流石に5年間寝たきりだったから、激しい運動はまだできないようですけど、………とても、元気ですわ」
す、と目を逸らされる。彼は早速、何かをやらかしたのか。「近いうち陛下に直接ご挨拶をと言っていたから、そのうちここに来るのではないかしら」と続けている間、アイレイスの目は決して合わない。
「ああでも、すぐに連絡が取れて良かったで、す…じゃ、なくて、よ、良かったね!」
慌てて言い直すと、アイレイスは仕方なさそうに、はあ、とため息を吐き、「もう喋りやすい話し方でいいですわ」と言った。申し訳ないと思うと同時に、助かった、とも思う。正直、上司・年上という二つの札を持つ相手に、敬語無しというのは、恐れ多くて胃が痛くなる。
「とりあえず、実験データは受け取ったなら、これを基にして調査するわ。貴女は、しばらくお休みでよろしいですわよ」
「休み、ですか」
新人研修を終えてすぐに外に出され、おまけに帰った途端に長期休み。…どことなく、不安になってくる。青褪める雛㮈に、アイレイスが「なんて顔をしていますの」と笑う。
「安心なさい。調査が終わり次第、こき使ってやりますわ! まあ、万が一にも、調査終了前に容体が悪化するかもしれないから…その時には、すぐに呼ぶわ。だから、離れた地への旅行は控えてちょうだい」
「あ、はい」
反射的に返事をしてから、誰の容体だろう、と首を捻る。自分が関わっているとしたら、光眠り病くらいだが、何かあるのだろうか。
物言いたげな雛㮈の視線にも気付いているだろうに、アイレイスは、その疑問に答えようとはしなかった。
「とにかく、貴女は休みを満喫していればいいわ!」
(言いたく…ないのかな)
雛㮈は、とにかく頑なになっているアイレイスの様子に、小首を傾げた。別に自分が知るべきことでなければ、それはそれでいいのだけれども。
とにかく。
クビにされないようなので、ひとまずホッとする。
「今日のところは、堅物騎士が来るまで、ゆっくりして―――」
アイレイスの言葉が、不自然に途切れた。え、と視線を向けると、頭を置いた片手から、ズルズルと崩れ落ちていく。
「アイレイスさん!」
駆け寄ってその身体を支える。やけに冷たいその身体に、驚く。細いため、余計に怖くなる。
「アイレイスさん、大丈夫ですか? アイレイスさんっ?」
肩を叩いて話し掛けるが、ぐったりしたまま、返答が無い。次第に雛㮈自身の声が大きくなっていく。部屋の中の異常に気付いたのか、ドアがノックされた。
「アイレイス様? ヒナさん? どうかされましたか?」
「ルークさん! すみません、来てください! アイレイスさんが…!」
声を掛けるとすぐにルークが飛び込んできた。机に突っ伏したアイレイスを見ると、もう一人の騎士に向かって、「医師を!」と指示する。
やがてやってきた医師の指示で、彼女は医務室に運ばれることとなった。
夏休みが恋しいと思いつつも、長期の休みをもらうと持て余してしまいますよね。
いやまあ、長期といっても、年末年始の数日ですけども。




