10.逆上せそうです 前編
執事とはすぐに会うことができた。というのも、部屋を出たところで控えていた召使いに声を掛けると、最高責任者まで連絡を取ってくれたためだ。
どうやら、雛㮈たちは、1日中あちらの世界にいたようだ。そんなに長居をしたつもりは無かったが、中と外では時の感じ方が違うのかもしれない。
事情を説明すると、まずフェルディナンが無事帰ってくると分かった途端に、それまで常時穏やかさを保っていた執事の瞳が輝き、またその直後に潤んだように見えた。
(………やっぱり)
戻る価値が無いなんて、そんなの嘘だ。
ここに、こんなにも、待ち望んでいる人がいるのに。
いつかまた会った時、伝えよう、と思う。いや、その時にはもう、気付いているか。きっと彼は、起きてすぐに知るはずだ。
温かい事実を受け止めて緩く笑ってから、湯浴みの許可を貰った。執事と共に部屋に戻る。
糸に巻き付かれた組は、自分の身が自由にならないことにいい加減嫌気が差したのか、げっそりとしていた。
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職人技だ、と思う。
男の子に見えるけれども女の子なニキと、性別不詳なラルクをつれて、湯に入る。………その前に。
召使いの女性が、ニキとラルクの身体についた糸を、しゅばばばっ、と勢いよく、かつ糸と当人を傷付けないように剥ぎ取っていく。
曰く、この糸は結構高価なものらしい。主に糸でぐるぐる巻きにされた上での生還率が非常に低いという意味で。
そんな恐ろしいものを心の中で飼うってどうなのかしら、と思わないでもない。ある意味とても、フェルディナンらしいチョイスだ。
綺麗に糸を剥いだ召使いの女性は、いい仕事をした、と言わんばかりの笑顔で、糸を片手に退室していった。後はどうぞお好きに、という意味らしい。
「肩の重りがなくなったー。ようやくゆっくりできるぜー」
ぐぐ、と伸びをしたニキは、にまにまと嬉しそうにしている。よほど糸巻かれ事件は、体力的にも、そして精神的にも、ダメージを与えたようだ。ラルクも同意見なのか、ぐったりしている。
「糸って重たいんですね」
「うん、死ぬ程な」
洒落にならない。
シャワーで汚れを落としてから、三人で横に並んで湯槽に浸かる。ふうう〜、と同時に息を吐いた。
「………ラルクさーん」
「ぬおっ、何をするかヒナ」
お湯に浸かってぺたんこになったラルクを、腕の中に閉じ込める。サイズ的には中(小が肩乗りバージョンで、大が雛㮈を乗せるバージョンだ)なので、ちょうどいい。
「いえ、何かを持っていたい衝動に駆られまして…」
「どんな衝動だ」
ニキが両肘を浴槽の縁に乗せながら、呆れたように言う。
「でも、途中はぐれた時は、ゾッとしましたぁ」
「お姉さんより俺らが焦ったよ。戻れねーしなぁ」
「でも結果的には、合流できたから、ヨシとするかのぉ」
のんびりー、と会話する。ともすれば眠気すら襲ってくる。合流した時は「よかった! いた!」と言えるような状態でもなかったのだが、それも過ぎてみればただの事象である。終わり良ければすべて良し。中間良ければ…なんて言葉は忘れた。
「そういえば、投擲ゾーンを抜けてからは、どんな感じだったんですか?」
「ん?………お姉さんたちは、密林だっけ」
微妙に、す、と目を逸らされた。きょとんとニキを見やれば、「いや…まあ…なあ?」などと煮え切らない。
根負けしたのは、雛㮈の腕の中にいるラルクだった。
「………何も無かったのじゃよ」
「え」
ラルクが観念したのを見て、ニキも仕方が無いと首を振る。
「あのな、あの道を抜けたすぐ後に階段があったんだ」
「はい」
「上ったら、城ん中だった」
「は………え!?」
裏があるのではないかとあれ程疑って抜け道を探していたのに、まさかの正規ルートが一番近いパターン。…途中の罠がなくなった結果かもしれないが。
それにしても、切ない。
密林の道は、険しかった。そう考えると、必然的に、別の記憶が呼び起こされる。
(あのフードの人は、結局誰だったんだろう)
そして。
(………………)
ぶくぶくぶくぶく。
「は!? どうしたんだよ、お姉さん!? まさか、逆上せた!?」
「そ、そんなこと、は決して、なく…いえ、でも…そう、かもしれません…はうう」
明らかに温かい湯の所為ではない、顔の熱さ。思い出すんじゃなかった、と後悔する。どんな顔で会えと。こんな赤面した顔で? いやいや、意識していることが丸分かりで、嫌だ。
「〜〜〜っ、もう出ます!」
「う、うん。逆上せたら大変だから、その方がいいと思うよ」
「我はもう少し湯に浸かりたいぞ」
「………」
湯を吸って重たくなったラルクを浴槽に戻し、雛㮈は一足先に出ることにした。
密林事件は、もう少し長引きそうな気がした。主に精神的な意味で。
「あー、あーあーあー、あああー!」
とりあえず声を発して、必死に誤魔化そうとする雛㮈さんの図。
「………っ!」
失敗した模様。




