08.説得します 前編
殺伐とした空気が、二人の間に漂っている。カーダルは、捕虜に対する時のように、フェルディナンを扱っている。剣を収める気は無いようだ。
雛㮈はどうしたものかと悩み、とりあえずは、フェルディナンのご機嫌を取ってみることにした。
「えええっと、お二人はその、仲良しなのですね」
少なくとも、なんだかんだいっても、そうは見える。カーダルは心を許していなければ、きっとこんな戯れ(?)すらしないだろう。
たとえ、言葉を受け、心底嫌そうな顔をしようと。
対照的に、フェルディナンの顔はパアッと輝く。
「そうなんだよ! 分かっているね、君! それでこそ我がカーダル君の想いび―――」
「喉をかっ斬られたいか」
「おー。黙ります、今すぐに」
見間違いじゃなければ、剣先が、確実に喉に当たっているように見える。
より悪化させてしまったか…?
雛㮈はだらだらと冷や汗を流した。
しかし、フェルディナンは強かった。つい先程、黙る、と言ったことなど忘れたように、明るい顔でペラペラと喋り始める。
「しかしだね、僕様にも言い訳をさせておくれ! 君たちはあの遺跡をあまり苦労も無く抜けてしまって、僕様としては非常に、誠に、この上なく残念なのだけれどもね、あれは別に僕様の実力不足というわけでもないのだよ! 魔力不足で多くの仕掛けやルートを撤去せざるを得なかったんだよ! この苦しみ、挫折が君には分かるかい? ああ、我が子のように可愛い僕様の道具たちが………!」
よくもまあ、口が回るものだ。
カーダルは、冷ややかな目で彼を見て、「お前は魔力が多少不足している方が、周りの被害が減るんだな。よーく分かった」と吐き捨てた。
「まっさか。娯楽を提供しているのだよ。それを被害だなんて」
「主にはお前の娯楽だろうが」
その言葉に、フェルディナンは何も答えなかった。
「そうだ、カーダル君。君の連れだという獣も、ここに来たんだけどね」
「ニキさんとラルクさんですね!」
「…ああ、そんな名前だったかな」
こてん、とフェルディナンは小首を傾げた。憶えていない様子だった。特に興味が無いのか、パラパラと手元の本を捲りながら、続ける。
「君が来るまで待ちたいと言ったから、隣の部屋に放り込んでおいたんだけど」
「…隣の部屋は、何がいる?」
「んん、なんだったっけなあ」
チッ、と舌打ちしたカーダルは、斬る対象をフェルディナンから外すと、隣に続く扉を蹴り破った。
直後に防御魔法を扉とカーダルに張ったのは、咄嗟の判断だった。ビュッと飛び出てきた白く粘着性のあるものが、防御の壁に当たる。
「ほおう」
フェルディナンが、“初めて”雛㮈に目をやった。
「なかなかのモンだね、君」
「…ありがとう、ございます?」
褒められたのだろう、と辛うじて判断して礼を返す。それから再びフェルディナンから視線を外し、隣の部屋に続く扉を見やった。
「カーダルさん」
「…大蜘蛛の糸だな」
じろ、とフェルディナンを見据え、なんてものを飼ってやがる、という顔をする。フェルディナンはといえば、いやん照れちゃう、と言わんばかりにテヘッと笑っている。温度差が激しい。
「防御魔法の対象を俺にできるか?」
「はい、任せてください!」
初めてカーダルから、何かしらを頼まれた気がする。気分が高揚した状態で、カーダルに対して魔法を掛ける。調子に乗って、攻撃力と移動速度向上の補助魔法も付与した。…繰り返すようだが、調子に乗っていたのだ。
掛けられた本人も、自身の変化に気付いたらしい。不思議そうに剣を一振りしたが、まあいい、と思ったのか、隣の部屋へ乱入した。
ギーッ、やらなんやらの叫び声。
大蜘蛛というのは、どのくらい大きな蜘蛛なのか、扉から垣間見た脚は、少なく見積もっても雛㮈の身長以上はあるように思う。蜘蛛を特別怖がる性格ではなかったが、アレは流石に…見たくない。
ここはカーダルに任せよう。そうしよう。うん。
『あ、ひなだー』
『ほんとだ、ひなだー』
ぽぽんっ、と精霊が現れた。やはりと言うべきか、心の主の近くにいたらしい。
「こんにちは、精霊さん。あなたたちに用があったんだけど、二匹で全員?」
『違うよー』
『もっといるよー』
『ひなは、みんなと会いたい?』
『ひなが会いたいなら連れてくる』
『みんなもひなに会いたいもの』
二匹は歌うように言って、その場でくるくると回り始めた。すると、ぽんぽんと精霊が出現する。あの動きは、仲間を呼ぶ動きなのだろうか。
集まったのは、結構な数だった。
「君は、精霊使いなのか」
フェルディナンには見えていないのか、視線は精霊がいるであろう方向をふわふわ動いている。
「はい。あなたの中にいる精霊に魔力を与えるために来ました」
「ああ、僕様を目覚めさせたい訳か」
ふむ、と頷く。彼自身、“魔力不足”だと自覚しているようだった。起きられない理由も、大体分かっているのだろう。
「…時に、ご令嬢」
はい、と返事をして向き直り、目を見開く。唯我独尊を地で行くようなふてぶてしい表情はなりを潜め、ただ虚空を見つめるかのような、感情の抜け落ちた表情を、フェルディナンはしていた。
「ララは…カーダルのご両親は、ご存命かな?」
「…いえ、五年前に、亡くなった、と」
「………そう」
空耳で無ければ、ポツリ、と。「それなら、起きる理由が無いな」という呟きが、聞こえた気がした。それが気のせいではないことを示すように、フェルディナンは続ける。
「ここでの暮らしは悪くないしね。罠に引っ掛かってくれる人はいないが、考えるだけでも楽しいことだ。何も不自由は無い訳だし、無理に僕様が起きる理由は無いと思わないかい?」
「…フェルディナンさんは、先程、ご自分の遺跡すら保てない、と仰いました。その状態では、“考える”こともままならないのでは。それに、私たちをもう一度入り口に戻したいと思う程、退屈しているようにも…」
控えめに意見してみると、フェルディナンは雛㮈を一瞥した。
「でも僕様はね」
「フェルディナンさんは、カーダルさんのご両親が好きだったんですか?」
言葉を遮って被せると、多少面食らったような顔をされた。視線を泳がせると、「…そうだね、僕様にとって、非常に大事な人だよ」と答えがあった。
「彼らがいない世界なんて、僕様にとって、なんの価値も無い。だから戻る必要が無い」
ちなみに、雛㮈さんの目測通り、大蜘蛛さんは本当に大きいです。
脚の長さはおそらく雛㮈さんの2倍。高さは1.5倍。
本体も、多分雛㮈さん一人なら丸呑みにできる程度には大きいです。




