06.これはただの警告です
「ん…っ」
力を入れ、抜け出そうとしてみるが、まるで意味が無い。
大樹の枝はまるで意思を持つように、雛㮈の身体にまとわりつき、四肢の自由を奪った。両腕は頭の上で留められているため、心臓や喉、頭などの急所を守るものは何一つ無い。
山火事。炎の魔法。
反射的に魔法を展開しようとして、「あぐ…っ」と呻く。枝のひとつが、雛㮈の首に周り、圧迫している。
「今、きみの命は僕が握っていると考えて、いい。実際、そうだ。だから、大人しくしていることだよ。死にたくなければね」
これは、偶発的な危機ではない。
「あ、なたは…だれ、ですか?」
フェルディナンではないという予感が、どこかにあった。
雛㮈の防御魔法を掻い潜り、目の前に立った男を見上げる。フードを目深に被っているため、顔はわからないが、声と体格からすると、男性だろう。
「参ったな。警戒させてしまった?」
そりゃ、するだろう。能天気な言葉に、キッと睨みつける。それを見て、フードの男はくすくすと笑った。
「きみはどことなく、“彼女”に似ている。いや、全然違うんだけどね。でも似ている。やっぱり、―――――だからかな」
「な、に…っ」
聞こえなかった。あえて、聞かせなかったのか。喉が苦しい。息ができない。
「ああ、ごめんごめん。それじゃあ苦しいよね」
男の顔がぐっと近付く。思い掛けない近さに身を捩って逃げようとするが、自由を奪われている身ではどうしようもない。男がトン、と首元の枝を叩くと、しゅるりと拘束が緩くなる。
「っ、は…」
ようやく息が楽にできるようになった。
「僕はね、ヒナさん、きみの敵では無いんだよ。少なくとも、現時点では」
「…なんで、名前、知ってるんです?」
問い掛けながら、雛㮈は男の周りを飛び交う不思議な精霊の存在に気付いた。普段見ているものとは違う、存在感。
「精霊も、きみの名を知っている。そうだろう? きみは、それを不思議には思わなかったはずだ。“そういうこと”だよ」
フードから見える目は、思い掛けず優しいものだった。いつぞやの人攫いの、表面的なものとも違う。それに少々、面食らう。
「あなたは…」
「今日のところは、顔を見に来ただけ。きみがいい子で、安心したよ」
男はスッと立ち上がった。
自分が、誰にとって“いい子”に見えて、そうであった場合、誰にとって、どう、“安心”なのか。
それを訊ねる前に、男は「それじゃ、また機会があれば会おう」とその場を去ろうとする。雛㮈は「待ってください!」と慌てて呼び止めた。
「あの…」
訊きたいことは、たくさんあった。しかし、今、最も優先するべきことは、別にあった。
「この枝…外してください」
こんなところに繋がれていたら、カーダルの信頼がマイナスになる。
それだけは、避けたかった(たとえ後で事の経緯を語ることになろうとも)。
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「跡が…ついた…」
暴れたことで余計に擦れたのだろう。手首には、「縛られていました!」と主張している跡がついている。
ずーん、と沈む雛㮈を置いて、「僕、鉢合わせしたくないから」とフードの男は去って行った。薄情だ。いや、枝を取ってくれただけ、良心的だけれども。
袖を引っ張り、隠そうとしてみたが、腕を動かすと見えてしまう。かといって、腕を動かさないのは、無理に等しい。
「どうしよう…」
試しに、回復魔法を掛けてみる。消えない。いや、擦り傷は治ったけれども。
包帯で隠す? いやいや、包帯なんて持っていないし、なんでそんなの付けているのか、と訊ねられたら、アウトだ。
頭を悩ませる雛㮈の耳に、パキ、と枝を踏む音が聞こえた。顔を上げると、カーダルが戻ってくるところだった。
さささ、と袖を引っ張り、隠してみる。苦し紛れだ。
「お、お疲れ様です! 早かったです、ね!」
「………? そうか?」
えへへへへ、と笑う雛㮈に、訝しげな顔をするカーダル。
「何か分かりました?」
「ああ、まあ…」
「さ、流石カーダルさん! です!」
動悸がする。嘘を吐くのは苦手だ。嘘を吐いています、と顔に書かれていたのだろう。カーダルが半眼で雛㮈の身体を上から下へ、見た。
す、と手が伸びてくる。反射的に身体をビクつかせる。カーダルの手は、真っ直ぐに雛㮈の手に向かった。そうして、そこに、自分が出て行く前には確かになかったモノを見て、顔を雛㮈に向けた。
口元だけが笑っている。怖い。
「何があった?」
黙っている度胸は無かった。
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「と、いうわけで。特に何もされなかった…ん、です、よ?」
ちら、と窺うようにカーダルを見る。
「そうだな、たまたま、偶然、な」
(ああ、怒ってらっしゃる…!)
せっかく枝を外してもらったのに…。いや、あの状態のままだったら、もっと酷かったはずだ。多分。
フードの男も、カーダルがいる時に来てくれればよかったのに。
「前の時といい…どのくらい危なかったか、分かってるのか、お前」
「あの時はニキさんたちもいましたし」
「その時じゃない」
では、どの時か。
んんん、と首を捻る。こうして考えてみると、いろいろ危ないことをしてしまっているのだなあ、としみじみ思う。元いた世界では、平和的に生きていたのに。
それはそれとして。
「どの時、です………か?」
影が顔にかかる。え、と声を発した時には、大樹の幹を背に、押さえつけられていた。両手は、カーダルの片手で“あの枝のように”まとめて固定されている。もう片方の手で顎を掴まれ、無理やりに視線が絡み合う。
「え…」
「要するに」
カーダルの顔は、あくまで冷静だ。色恋に流されている様子は見られない。
「この状態から、逃げられると思ってんのか、って話」
試しに、腕を動かしてみる。無理。顔も駄目。ならば、と足でカーダルの腹部を狙ってみたが、顎の手が外れ、やすやすと掴まれる。―――簡単に詰んだ。
「………」
「………」
なんとも言えない空気だ。
「で、でも!」
苦し紛れに叫ぶ。
「カーダルさんは、私に何もしませ―――」
柔らかいものが、唇に触れた。
ピキーン、と固まる雛㮈の前、息が掛かる程近くで、カーダルが囁く。
「あんまり大人を舐めてると、痛い目見るぞ」
拘束が外れ、カーダルの身体が離れていく。は、とようやく息を吐いた。
自由になったはずなのに、しばし、固まる。
「行くぞ」
「………え!? あ、あれ!? え!? ま、ちょっ、いま…っ」
真っ赤に染まった顔で、抗議をしている内に、当の本人はスタスタと歩いている。来ないなら置いていく、と言わんばかりの足取りに、慌てて後ろに続く。
平常心を保てない雛㮈には、当然、後ろから見えているカーダルの耳が赤いことなど、気付けるはずがなかった。
後々、この時にやったことで頭を抱えるのは、カーダルさんの方でしょう。(キッパリ)
たのしみですね!←鬼




