02.王様に会いました
さて、自分が置かれた状況を察したものの、やることがない。
弁解しようにも、相手がいないし、その上、自覚している通り、確かに雛㮈は不審人物だ。他の世界から渡ってきた人間だなんて、いったい誰が信じるだろう。
ならば、と他の言い訳を考えようとしたが、この世界の常識を知らない雛㮈に、思い付くはずもない。
―――扉の外が、俄かに騒がしくなった。
ガキィン、と頑丈そうな扉が、重々しい音を立てて、開いていく。
入ってきた人物は、雛㮈が起きていることに、少し驚いた様子だった。固そうな鎧を身に付けたその人は、しかしすぐに我に返ったようで、短く「出ろ」と命じた。その途端に、どこからか飛んできた鉄の塊が、雛㮈の両手首をまとめて拘束した。ハイテクだ。驚く雛㮈の前で、鉄格子が、これまた魔法のように、人が一人通れるくらいの穴を開けた。
「早くしろ」
「あ、は、はい…」
苛立ったように急かす声に、慌てて従う。反抗的な態度と取られて、剣で斬られては堪ったものではなかった。おそらく兵士であろう人の腰には、一振りの剣がある。ここは、“そういう”世界らしかった。
「来い。王がお前に話を聞きたいと仰った」
「お、王様…?」
スケールが違った。雛㮈の世界でいうところの、天皇だ。天皇に、一介の市民すぎない自分が会うなんて、恐れ多い。
尻込みをする雛㮈のことなど、知ったことではないのだろう。兵士は、棒のようなもので、雛㮈の背中を押す。その力に負けて、扉の外へ出ると、更に二名の兵士がいた。三名に囲まれながら、移動する。
質のいい絨毯。広くて長い廊下。
こんなところ、見たことが無かった。お城みたいだ。…お城なのかもしれない。オロオロしながら連れられていくと、これでもかというくらい大きな扉が見えた。兵士が「連れて来た」と告げると、扉の前にいた二人の兵士が、チラリと雛㮈を見た後に、「囚人が参りました!」と言い、扉を開けた。
「しゅう…?」
囚人なのか。
雛㮈は困り果てた。そもそもどうして自分は、牢屋に入れられていたのか。
「通せ」
その声に従うように、兵士は雛㮈を引っ張り、部屋の中央まで連れて来ると、無理に座らせた。両脇に立った二名が、棒を雛㮈に突きつけた状態で、雛㮈は前を見た。
豪華な椅子に座った御人が、おそらく王なのだろう。大体、五十代ほどか。風格のある顔立ちは、温和そうに見えて、厳格だ。まるで雛㮈を見定めるように、ジッと見ている。
「不思議な娘よ、お主に訊ねたい」
数拍おいてから、ようやく“不思議な娘”が自分を示しているのだと気付き、「ひゃい」と気の抜けた返事をした。
「お主はどこから参った? 何故、堅牢な護りを掻い潜り、我が前に姿を見せたのじゃ」
「え…。あ、あの…何のことか」
目を泳がしながら、懸命に答える。
「その、あの、申し訳ありません。私、自分のことなのですが、事情がよく、分かっていなくて。…私は、貴方様の前に、急に出てきた…のでしょうか」
「お前、白を切るつもりか!」
傍に控えていた屈強な青年が、剣を引き抜き、雛㮈に向けた。雛㮈は、初めて向けられる剣先に怯え、「ひっ」と悲鳴を上げた。
「カーダル、控えよ」
「しかし…」
「剣を収めるのじゃ」
王が窘めると、カーダルと呼ばれた金髪碧眼の青年は忌々しいと言わんばかりの眼光で雛㮈をひと睨みすると、渋々剣を収めた。
「すまんの。…して、何も憶えておらぬとな? ここに来た理由も?」
「あ、いえ…あの、私は…憶えていない、というよりも、知らないんです」
カーダルの圧力に怯えながら、声を絞り出す。どういうことか、と訊ねる王に、自分でさえも俄かには信じられないことを、語る。
「わ、私は…日本という国で生まれ育ちました」
「ニホン、とな? 知らぬ国じゃが…」
「ええ、そうだと思います。ここは、私が生まれ育った国…いえ、世界とは、違う場所で…」
「戯言を!」
カーダルが怒鳴った。雛㮈は恐ろしくなって、口を噤む。
「カーダル、落ち着くのじゃ。娘よ、信じ難い話じゃが…それを証明するものはあるのか?」
「いえ、私には、何が証明なるのかも、分かりません…。その、自白剤? の、ようなものがあれば…飲みます。本当なんです、神に誓って!」
王は、パチリ、と目を瞬かせた。それから、ふうむ、と唸る。
「信じ難い…非常に、信じ難い。しかし、“神に誓ってまで”それが真実だと主張するならば、単なる虚偽だと一蹴することもできぬか。―――カーダルよ」
呼ばれた青年は、は、と短く応えた。
「主に、この娘の監視を命じる。共に過ごし、真実を見極めよ」
「なっ…牢から出すのですか!」
「この娘の存在が、知識が、あるいは“我らの現状”を打破するキッカケとなる可能性もある。理解るな?」
諭すように言われたカーダルは、ぐうっ、と悔しそうに唸ると、やはり雛㮈を睨んだ。ビクリと身体を震わす雛㮈とカーダルを仕方なさそうに見ながら、王は最後にひとつ、と質問をした。
「時に娘よ、名はなんと申す」
「あ…み、宮古雛㮈といいます」
「ミヤ………? 随分と不思議な響きの名じゃのう、ミヤコヒナ」
フルネームで呼ばれ、雛㮈は戸惑った。さすがに居心地が悪い。
「え、と…宮古が苗字で、雛㮈が名前です…」
「なんだ、お前、貴族なのか」
カーダルが目を見張る。
「貴族…? いえ、私は一介の市民に過ぎませんが」
「しかし、苗字を持つのだろう?」
「私の国では、みんなそうです。無いなんてあり得ないです」
なんと珍妙な国なんだ。カーダルは、変なものを見るような目で、雛㮈を見た。嘲りと憤怒以外に向けられた、初めての感情である。どちらにせよ、正の感情とは言い難かったが。
「その娘を養うために必要な金銭は、国費として出そう。ただし、無駄遣いはしないように」
「ご安心ください、陛下」
カーダルが恭しく応えた。雛㮈は、自分が“必要な出費”さえも使うことが許されない気がした。国費から賄う、というのはつまり、国民の税金で生活するということだ。当然、日本にいた頃だって、国のお金を頼っていた部分はあったとはいえ、それは自分が納税者だから、という事情が大きかった。
今の雛㮈の立場は、無一文の得体の知れない人間だ。そんな人間が、無償で国費を使う、と。自分でも何故、と思うのだから、この国の人にとっては面白く無いだろう。
居心地悪そうにしていることに気付いたのだろう。王はそんな雛㮈に声を掛けた。
「お主の働きを期待しておる」
余計にプレッシャーが掛かった。