05.あり得ない感情です
自分を食い入るように見つめる(あるいは、睨む)アイレイスにたじたじしていると、ドアの向こう側から「どうかいたしましたか?」と少し心配げな声が聞こえた。騒ぎ過ぎたようだ。
「なんでもありませんわ! どーぞお気になさらず!」
アイレイスがほぼ怒鳴り声に近い口調で応えた。向こうからは、「そうですか。失礼いたしました」と大人な対応が返ってくる。
それに少し冷静になったのか、こほん、とアイレイスは空咳をした。
「とにかく………あたくしが老けてるわけじゃありませんのよ? 貴女が年齢の割りに、あまりにも幼過ぎるのですわ。しっかり食べていましたの?」
「は、はい。…私の国では、私くらいが標準です」
んまあ、と驚いた声。
「随分と小柄で、若作りな国なのね」
確かにそういう認識になるのだろうが、それにしたってその評価はなんとも。はは、と雛㮈は苦笑いをした。その彼女の頬に、す、と手が伸びた。
「いふぁいれふ」
「あら、よく伸びること。…被り物でもなさそうね」
異国の若作り技術に、ひどく興味があるようだ。というよりも、まだ年齢を疑われているように感じる。確かに、身分証明書なんてものはないので、雛㮈が嘘を吐いている可能性もある。
雛㮈の頬をむにむにと自由に引っ張った後、やがてある程度納得したのか、それとも追及を諦めたのか、アイレイスは手を離した。
「まあいいわ。この秘密は、おいおい暴くとして…」
納得したわけでも、諦めたわけでもなかったようだ。
「そろそろ、お迎えのようね」
睨むように、扉を見やる。先程のルークよりもやや粗いノック音。「失礼いいたします。よろしいでしょうか」と声が響いた。
「あたくしの研究室に極力触れないというのなら、どうぞ」
「では、失礼します」
嫌味な物言いもなんのその、彼は平然とした面持ちで、入室した。
「そろそろ時間となりますので、彼女を連れ帰りたいのですが」
「そう。まあ、大体必要な情報は得られたわ。いいわよ、どうぞ連れ帰って」
しっしっ、とまるで犬を追い払うように手を振るアイレイス。彼女は本当に興味を失ってしまったように、雛㮈には視線ひとつ寄越さない。
「それにしても」
ちらり、と。
アイレイスは嗤った。
「堅物騎士団員の癖に、幼女好きだなんて。いいご趣味ねぇ」
「あ?」
心底、苛立ったような視線。初めて、カーダルの口調が崩れた。そんなに嫌なのかな、と思う。嫌なのだろう。眼光が鋭い。怖い。
(ていうか、幼女って。私、一歳下なのに…)
アイレイスを見ると、愉しそうに笑っている。絶対、怒ると思って、むしろ怒らせようと思って、わざとやったに違いない。それによる被害は、主に雛㮈が被るというのに。…いや、だからか?
しばし無言の攻防が続いた後、そのやり取りを青褪めながら見る雛㮈の腕を、がっしりと、カーダルが掴んだ。
「帰るぞ」
「ふあ…?」
帰る。
あの屋敷は、自分にとって、“帰る”場所なのだろうか。
その言葉を心の中で反芻させている間に、部屋の外にいた。挨拶も碌にできなかった。アイレイスは、そんなことは気にしないだろうが。こんな小娘の挨拶なんて、有ろうが無かろうが、どちらでも良いだろう。
「あ、あの…っ」
声を掛けると、急にカーダルの足が止まる。その背中にぶつかりかけ、慌ててブレーキをかけた。
「…俺は、お前みたいな子供を恋愛対象として見たことは無い。この先もあり得ない」
急な宣言は、先程のアイレイスの言葉を受けてのものだろう。子供、ということはやはり自分は幼く見えるらしい。
「えっと…わ、分かってますよ?」
そりゃあ、そうだ。普段の態度を見ていれば、丸分かりだ。苦笑しながら答えれば、また、じ、と見られる。
「カーダルさん?」
「………あり得ない」
そんなに言葉を重ねなくても、分かっているのに。流石に、そこまで言わなくても、と沈んでくる。そういえば、カーダルはいくつなのだろう。男性も、同じように見た目年齢の方が上なのだろうか。見た目的には、二十代半ばくらい。先程の例と合わせると、同い年か…まさかの、年下?
そんなまさか。と一笑しようとしたが、さてどうだろう、と疑問が頭をもたげる。そんなまさか、は先程経験したばかりだ。雛㮈は意を決して歳を訊ねようとしたが、後方から聴こえた声に、先を越された。
「待ちなって、カーダル。急に出て行くなよ。後の始末、誰がすると思う?」
かなり砕けた調子だが、声の主がルークだということは、すぐに分かった。
「あ…す、すみません」
思わず謝ると、「あぁ、お嬢さんは気にしなくていいよ。あれは不可抗力だからね」と爽やかに笑い掛けた後、「お前もこれくらいの誠意を見せろよー」とカーダルを詰った。
「悪かった。これでいいか?」
「心がこもってない。全然。これっぽっちも」
わざとらしく肩を落としたルークは、気を取り直したように「でも」と続けた。
「お前が取り乱すなんて珍しい。もしかして、本当に…」
「ルーク!」
その瞬間、カーダルはギッ、とルークを睨んだ。あの睨みなら、人も殺せそうだ。雛㮈は思った。しかし睨まれた本人は、慣れているのか、気にした様子は無い。ルークといいアイレイスといい、全く動じないなんて。この世界には、こんなに目つきが悪い人間が五万といるのかもしれない。雛㮈は、慣れそうもない。
「分かった、分かった。少なくともお嬢さんの前では止めるよ。恥ずかしいもんな?」
カーダルは、反論しようと口を開いたが、しかし諦めたらしく、はあっ、とため息を吐くと、そのまま閉口した。
「今日はこれで帰る。団長に挨拶だけしてくる。…悪いが少しの間、こいつを頼む」
「了解」
ルークが含み笑いで返すと、カーダルは雛㮈の腕を離すと、スタスタと歩いて行ってしまった。いつ見ても、無駄の少ない動きだ、と思う。いつもああして気を張っているのだろうか。それは疲れないだろうか。それとも、屋敷ではもう少しリラックスしているのか(屋敷で彼を見かけることは少ないので、分からない)。いずれにせよ、雛㮈には真似できそうもない。
「お嬢さん」
「え、あ、はい」
ビクリと肩を震わせると、くすくすと笑われた。
「そんなに怯えなくても、取って食いやしませんよ」
「え、あ、う、それはハイ、あの、分かっております」
雛㮈のギクシャクした返事がお気に召したのか、笑いが深くなった。ひとしきり笑ってから、「ああ可笑しかった」と正直な言葉を口にし、ようやく本題に入る。
「お嬢さん、生活は、お困りではないですか? あいつはあの通り、女性の扱いには長けていなくて、細やかな気配りなんてとてもできないだろうし」
「えっと、大丈夫です。セパルさん…お屋敷の人が、よくしてくれますから。…あ、か、カーダルさんも!」
完全に付け加えた言葉に、ルークは苦笑した。
「まあ、嫌ってはないんだろうけど」
「え! い、いえいえ…あの、多分、良くは思ってはないと…思います」
「そうかな?」
そんな感じじゃなかったけど、とルークは首を傾げた。雛㮈は、力強く頷き、自分の意見を主張した。
「お屋敷に住まわせて頂いているのだって、まだ私の疑いが晴れないからで…」
「うーん、それはその場での方便じゃないのかなあ。本人から直接言われた訳じゃないんでしょう?」
「や、あの後すぐに…お礼を伝えたら、勘違いするな、とお言葉を頂きましたので…」
ぶはっ、とルークが噴いた。
びくっ、と雛㮈は身体を震わせる。
腹と口を押さえながら笑いを堪え、息も絶え絶えな状態で、「勘違いするな、って、それ、あいつが言ったの?」とルークは雛㮈に訊ねた。
「は、はい」
「カーダルが。へー。あいつが、わざわざ、ねえ」
「あの…?」
「いやいや、お嬢さんは気にしなくていいよ、うん」
ルークは口元を押さえながら、もう片方の手をひらひらと振った。それから、つ、と視線をカーダルが去った方向へ向ける。
「おっと、帰ってきたようだね。それじゃあお嬢さん、是非また今度、ゆっくりお話しましょう」
ぱちん、とウィンクされた。優しげで爽やかな印象の彼には、とてもよく似合う、甘さが漂う動作だ。思わず、頬を染める。
「待たせた。ルーク、悪かったな」
「いーえ。可愛いお嬢さんとお喋りできて、光栄でしたよ」
「か…!? や、ぅ…」
言われ慣れていない言葉と、甘い雰囲気に飲まれて、顔が火照る。ホストみたいだ、と思う。アイレイスは、魔法使いはみんな堅物だと言ったけれど、だがしかし、この手馴れた感じは…。
「…馬車を待たせてる。行くぞ」
「あ、は、はい!」
こちらの返事を待たずに歩き始めたカーダルの後を慌てて追いかけながら、振り向き頭を下げる。ルークは、にこにこ笑いながら、手を振ってくれた。
(褒められた…お世辞でも褒められた…えへへ)
(………なんか、気に食わない)
全く噛み合わない二人です。
雛㮈さんは、久方ぶりの真っ直ぐな褒め言葉に、多少浮かれ気味。
カーダルさんは、少し気になっているようですが、本人の中では悪感情と処理されています。
小さいところで、おどおどつんつんの差は広がっていきます。←ダメじゃないか