04.カガクを紹介します
ひとまず、本格的な指導は正式な通達が出てからということになった。途端に手持ち無沙汰になる。アイレイスも、仕事をする気が起きないと言うので(それでいいのだろうか、と思ったが、原因の一部が自分にありそうだったので、気にしないように努めた)、二人して呑気に茶を啜っている。
「そうそう、あたくし、興味がありましたのよ。貴女の元いた世界って、どんなところですの?」
問われた雛㮈は、なんだかのんびりとしてしまった頭で、考える。どんなところか、と言われると、返答に困る。うーん、と唸ってから、非常に断片的な答えをした。
「魔法は無いですね」
「んま! なら、剣士が主体なのね」
不愉快そうにアイレイスが顔を歪める。異世界とはいえ、大方、騎士団もどきに負けるなんて、とでも思っているに違いない。あるいは、魔法が無いなんて、なんて愚かな世界なのか、とか。
ああ、だけれど、こちらの人だと、そういう発想になるのか。雛㮈はその時、初めて気付いた。
「いえ。少なくとも私の国じゃ、剣も無いです。刃物系は持っていたら、捕まって牢屋送りです」
「それじゃあどうやって身を護るのよ。まさか国が全てを牛耳る世界なの? 国で認められた人しか、武器を保有できなくて、その人たちに脅されて生きているの?」
「確かに、警察や自衛隊とかしか武器は持たないですけど…脅されてはいないですよ。ええっと、どういえばいいんでしょう。剣や魔法が無いことが当たり前過ぎて、別に疑問にも思わない、と言いますか、普段生活する上では無くても困らない、と言いますか…」
アイレイスは、小首を傾げた。
「つまり、平和ボケした、甘っちょろい国、いえ世界ということですわね」
なかなかの酷評だった。なにせ、世界単位でこき下ろされた。
そう見えてしまうのだろうか、と肩を落とす雛㮈に、アイレイスは笑い掛けた。
「羨ましい限りですわ。あたくしたちの国も、そうであれば良かったのに。まあ、この世界でそんな姿勢を示せば、他国に侵略されて利用されて搾取されてポイッ! ですけど」
散々な結果である。怖い。そんなに物騒なのか、この世の中は。雛㮈は、認識を新たに持ち、ゴクリと唾を飲んだ。確かに穏やかそうな感じでは無かったけれど、そんなに国家間のやり取りは殺伐としているのか。殺られる前に殺ってやる精神なのか。―――否、もしかすると、その点に関しては、決してこの世界だからということでは無いかもしれない、が。
「他には? 変わったものはありませんの?」
「変わったもの…ですか」
決して、雛㮈にとって、ではない。雛㮈にとっての“変わったもの”は、魔法と剣の世界である、“ここ”だからだ。
「うーん、車と飛行機…は、こちらにもありますか? あと、テレビに携帯電話」
とりあえず、雛㮈の中では“常識”な四つを挙げた。他にもあるけれど、パッと思いついたのが、これらだった。もしかしたら、近しい物があるかもしれない。それなら、欲しい気がしていた。…携帯は、連絡する相手が、いないけれど。でもインターネットが繋がれば、暇潰しにはなりそうだ。…あるのだろうか、インターネット。
「どれも知りませんわ。どういったものですの?」
アイレイスは、未知の単語に興味津々だ。研究者としての探究心が働いているのかもしれない。身を乗り出してくる彼女の期待に応えるべく、なるべく分かりやすい言葉を選ぶ。
「えっと、車と飛行機は乗り物です。どちらも主に鉄でできていて―――あ、鉄は…あ、あるんですね―――、二つとも人を乗せて動きます。車は地面を走って、飛行機は空を飛びます。車は、2人を運ぶものから、50人ばかり運ぶものまであります。飛行機は…うーん、どうでしょう。500人くらい…?」
「ちょ、ちょ、ちょ…っ、ちょっと待ちなさいな。鉄が? 人を? しかも、空を飛ぶんですの? そんな魔法、聴いたことないわ!」
ひどく驚いた様子のアイレイスに、一矢報いた気分になるのは、何故だろう。そう思いながら、彼女の言葉に否定をする。
「魔法じゃないです。えーっと、モノづくり…つまり、そう、科学です」
「カガク? それは、魔法とは違うのかしら」
「えと…そうですね、多分、“燃料”が違うんだと思います。魔法は、魔力が燃料ですよね。科学で作られたものは、基本的に、自然の物や、法則を使います。例えば、ある特殊な油を燃した時に発生する力を使うだとか、空気抵抗を利用するだとか」
雛㮈は自分が持ち得る限りの知識を持って、答えを捻り出した。
実際のところ、魔法と科学の明確な違いは、よく分からない。科学者であれば、魔法を科学の面から紐解くかもしれない。雛㮈は科学者ではないので、そんなことはできない。
「随分まだるっこいことをするのね」
「魔法が使えないので」
雛㮈はもっともらしく答えた。
「魔法に取って代わるものってことね。逆に言えば、魔法だって、そこまでの発展はできるはずだわ。…ところで、残りの二つは?」
携帯電話とテレビだ。
概要を説明すると、アイレイスはすぐに飛び付いた。詳しい仕組みまで訊かれたが、そこは正直に分からないと伝え、知っている範囲で答えた。
「通話機はあるんだけど、高級品なのよね。おまけに魔力の燃費が悪いのよ」
「携帯電話も、元々はそうでしたよ」
それを伝えると、「なら魔法による通話機も改良の余地があるということかしら」と目を輝かせた。すぐにコホンと咳払いをして、「ま、この程度で終わりなんて、あたくし、初めから思っていませんでしたけどね!」と強がったので、そうでしょうとも、と乗っておいた。
他にも、とせがまれたので、いろいろな話をする。話をしている間に懐かしくなった。けれど、やはり涙は出てこない。悲しいという感情を抱けない。そこだけが、やはり、欠落していた。
この世界でこの先も生き続けるのであれば、むしろ好都合だという考え方もできるが…。
雛㮈は、つ、と視線を膝の上へ落とした。それに気付いたのか、どうなのか、アイレイスが、上機嫌なまま、笑う。
「ああ、楽しい。―――そうだわヒナ、貴女、敬語は止めなさいな。あたくし、堅っ苦しいのは嫌いなの。騎士団みたいなね」
「え、で、でも…」
「気にしなくていいわ。本当に」
本当に、の部分を強調される。
「年上の方や目上の方に敬語を使うのは、私の国のマナーでして」
「ここにはここのマナーがあるわ。あたくしは、敬語が、い・や、なの!」
ここの、というよりも、アイレイス個人の、だろう。カーダルは確かに、人によって、敬語の有無を切り替えている。目上の人に敬語、の概念は、この世界でも常識のはずだ。
でも、とか、その、とか言葉を並べていたが、結局押し負けて、“そういうこと”になった。
「アイレイスさんは、いつから魔法使いになったんです…な、なった、の?」
つっかえつっかえ、話をする。
「さあ、もう随分と経つわね」
物心がついた時から、魔法に関わっていた。それ故に、“いつから魔法使いになったのか”に対する解が分からないのだという。いつからこの任に就いたかは、分かるのだけれど、と。
「4年前になるわ。20歳になった時だったもの」
「へ…え!?」
雛㮈は目を見張った。目の前の女性は、20代後半の、落ち着いた女性に見える。
「アイレイスさんは、24歳なんですか!?」
「敬語。…にしても、その驚きようはなんですの? 老けてみえるなんて言われたことはこれまで無いわよ?」
女性の年齢はデリケートだ。あまり喜んではいないアイレイスの表情を見て、「ぅ…」と呟くが、意を決して訊ねる。
「わ、私は何歳に見えます?」
「貴女? さあ、せいぜい16かそこらの小娘ではなくて? 大人の色香が身に付くのは、いったい何年後のことかしらぁ〜?」
根に持たれている。ぐ、と言葉に詰まりかけるが、なんとか言葉を紡いだ。
「私は…私は、23歳ですっ!」
静まり返る部屋の中。
ぽかん、と口を開けたアイレイスは、あり得ないわ、と言わんばかりに、頭を軽く振った。
思い返してみれば、アイレイスに限らず、どんな場面でも、“大人相手の対応”をしてもらったことが無いように感じる。
「てことは、貴女、あたくしより、ひとつ歳下…? 本当に? ひとつ“だけ”なの?」
あり得ないわ、と今度はハッキリと口に出した。
雛㮈自身の名誉(?)のために言っておくと、彼女は童顔ではない。日本では、年相応に見えるだろう。それなのに、実年齢の7つも下に見られた。逆に、アイレイスは4つほど上に見える。
彼女曰く、自分は若くは見られても上には見られない、というから、この世界の顔立ちは、日本人の顔立ちよりもかなり“大人っぽく”みえるようだ。決して、雛㮈が“子供っぽい”というわけではない。そう、決して。
未だに疑うように自分を見るアイレイスに対して主張するかのように、繰り返した。
「この若作りも、カガクとやらによるものなのかしら…?」
「いやあの、アイレイスさん、多分これは、国民性です…」
目がギラギラしているアイレイスさんに、タジタジする雛㮈さん。
彼女が一番興味を持った話題。
一応雛㮈さんは、社会人経験有りの大人です。割と真面目な方でした。
その所為か、別の問題か、おそらく彼女がアイレイスさんに対して完全に敬語抜きで話せる日は、来ないものと思われます。(心の底から社会人精神)
かくいう作者も、さん付けです。