01.上司に挨拶しましょう
登ったり、降りたりを繰り返し、ようやく豪勢な扉の前に辿り着いた。絶対に自力では行き着けない上に、既に帰る道すら、定かではない。
カーダルは背筋を伸ばして立つと、声を張り上げた。
「アイレイス様。第一騎士団所属、カーダルです。陛下の命により…」
「長ったらしい口上は結構よ。あたくしは忙しいの、さっさと入りなさいな」
高飛車そうな女性の声が部屋の中から聞こえた。カーダルは特に気にした様子もなく「御意に」と返すと、重たそうな扉を開けた。
中から、フワリと良い香りが流れてきた。キツイ声に反した、甘くて優しい香りだ。
部屋の奥には大きめの木目調の机と黒革の椅子があり、そこに女性が座っている。雛㮈は違和感を覚え、すぐにその理由に思い当たった。
この部屋には、窓が無いのだ。
全ての面の壁は、本棚となっており、所狭しと難しそうな書籍が置いてある。雛㮈の全く知らない文字だったが、読むことはできた。『何故、大陸に魔法が誕生したか』、『五大魔法百科事典』、『北方の創造魔法に関する考察』…。全て魔法に関する書籍のようだったが、言葉が違うものが多数ある。本当に世界中から掻き集めたようだ。
女性は、シンプルなドレスに、白衣を羽織っていた。予想外の組み合わせだが、何故か不思議と違和感は無い。しっかり化粧を施した顔の造形は、非常に整ったものだった。声の通り、キツそうな印象を与える目も、Mな人には、堪らないだろう。
「そちらの彼女が、光眠り病の?」
彼女は、一切二人には目をやらなかった。歓迎されていないのだろうか。しかし、最低限の友好関係を築かなければ、仕事にならないだろう。雛㮈は逃げようとする自分を叱咤し、前に進み出た。
要するに、会社と同じだ。入社前に行った、挨拶だと思えばいいのだ。
「お、お初にお目にかかります。本日はご挨拶に伺いました。こちらで働かせて頂きます、宮古雛㮈と申します。宮古が姓、雛㮈が名となります。お好きなようにお呼びください。よろしくお願い致します」
アイレイスの視線が、見定めるように、雛㮈を射止めた。
「あら、噂とは少し、違うようね」
くすり、と。紅を引いた唇が、孤を描いた。
「ねえ貴女、異世界人って本当に? 確かに顔立ちは、この世界の種では見たことがないけれど」
無遠慮にじろじろと全身を見られる。これには、雛㮈も多少身を引いた。観察するような目は、研究対象を前にした人間の目そのものだった。
「アイレイス様、そのような詮索は…」
「あら、止めるの? あたくしを担当にしたということは、つまりは“そういうこと”でしょうに」
つまり、雛㮈の“見極め”も含んでいるのだと、これにはさすがの彼女も気付いた。雛㮈にとっては、上司であり、監視員ともなるのだ。機嫌を損なう訳にはいかない。そう思うと、余計に緊張が走った。
「今日は挨拶…だったかしら」
「はい、アイレイス様もお忙しいようですし、本日はこれにて失礼――」
「その娘、ここに置いていきなさいな」
カーダルが眉根を寄せた。しかし、と食い下がる彼を、じろりと見る。美人は凄むと怖いのだ、と雛㮈は思った。
「貴方、この後、本来の業務に戻るのでしょう。その間、この娘はどうするおつもり? あたくし達にとっては、重要な人物よ。一人で帰して何かあったら、笑いもの…いーえ、笑えないわ。笑えるようなことじゃないもの。そうでしょう?」
「ご心配には及びません。我が騎士団で護衛を…」
「あら、あたくしでは守護は足りないと仰る? 随分な言い様ね、この“あたくし”に対して」
にんまり、と笑う彼女は、相当自信があるのだろう。事実、実力はありそうだ、と感じた。あくまで感じただけで、確証は何一つ無いのだが。
カーダルは一瞬黙ってから、口を開いた。
「そういう訳では、決してございません。ただ、この娘の護衛は、我ら騎士団の仕事。アイレイス様が確かな実力をお持ちで、我ら団員より強かろうが、この場を離れることは職務放棄であります。煩わしいことかとは思いますが、我らの立場をご配慮頂けますと…」
「んま、よくもそんなに口が回るわね。ああ言えばこう言う。鬱陶しいわ」
それは、雛㮈としても感じたことだった。いや、決して鬱陶しいと思ったわけではない。ただ、どちらかといえば、無口な印象があったので、すらすら話す姿に驚いたのだ。
「まあ、部屋の外にいるなら結構よ。研究室に居座って、変に物を掻き回されたら、堪ったものではないわ。言っておきますけど、ここは引きませんからね」
「承知いたしました。私たちとしましても、アイレイス様のお邪魔をすることは本意ではございません。別の団員を呼びますので、少々お待ちを」
カーダルは部屋を出て、すぐに戻ってきた。どうやら、連絡を取って戻ってきたようだ。
少し不機嫌になったアイレイスと、それに全く関与しないカーダルの間で、雛㮈は縮こまっていた。この二人は、相性が悪いのだろうか。しかし当然、そんなことは口にできない。
こん、こん。とノックの音がした。
「第一騎士団所属、ルークです。呼ばれ参上しました」
どうぞ、とつっけんどんにアイレイスが告げると、声の主は堂々と入室する。人懐こそうな顔立ちをした好青年だ。格別顔立ちが整っている訳ではないが、モテそうだった。
「ルーク、お前が来たのか?」
「団長のご命令でね」
にこ、とルークは笑った。
「アイレイス様。貴女様に実力は及びませんが、御二方の盾になるくらいならできると自負しております。私と、それからもう一人の騎士が扉の外におりますので、御用がありましたら、なんなりとお申し付けください」
「………ふん。あたくしの邪魔をしないのなら、よろしいですわ」
綺麗な礼に雛㮈は見惚れた。これほどまでに綺麗に礼をできる人は、見たことがない。彼は次に雛㮈に向き直った。
「ヒナ様、カーダルではないのでご不安かもしれませんが、彼の代わりに精一杯務めさせて頂きます。どうか今後とも、よろしくお願い致します」
「え、あ、…は、はい」
よろしくお願いします、とルークには劣る礼で持って返す。ルークは、少し目を見張った様子だった。そんなに礼が下手だったか、と慌てる雛㮈をよそに、目配せをしたカーダルとルークは、それでは、と一声掛けて退室した。
「………………」
「………………」
しばしの沈黙の末、部屋の主であるアイレイスが、ソファを勧めた。すみません、と断りを入れ、腰掛ける。ふわ、と沈む感触にビックリして目を丸くさせた。これは、とんだ高級品だ。
その様子に、くす、とアイレイスが嗤う。それこそ本当に、小馬鹿にしたように。
「貴女、あの堅物カーダルに取り入ったんですって? どんな手を使ったのかしらねえ?」
その上、爆弾が投下された。
第二章、スタートです!
初っ端から、うりうりとやられている雛㮈さん。さてさてどうなる?
お付き合い頂けると、嬉しいです♪




