12.選択肢なんて無いです
そわそわして、落ち着かない。
陛下にお会いになるのでしたら、とセパスは気合いを入れて、服選びや化粧をしてくれたが、それがより一層“非日常”を強調させる。
まあ、普段の生活も、雛㮈にとってはすべからく非日常なのだが。
身体を強張らせる雛㮈の正面には、いつも通りの仏頂面のカーダルがいる。ガタゴトと揺れる馬車の中は、シンと静まり返っている。城から屋敷へ行く時よりも、より一層気まずいのは、あの時よりも少し心に余裕があるからかもしれない。以前は、周りすら気にする余裕は無かったのだ。
「え、えっと…」
意を決して、話し掛ける。
「今日はあの、王様に、何をお話すれば…?」
「………………」
「………………」
返事が無い。
なんだろう。リリーシュの世界にいる時の方が、あるいは、そこに行く前の方が、まだ友好的だった気がする。家族の話だってしてくれた。でも今は、一言すら発してくれない。
(私、何かしたっけ…)
むしろ、何かをする暇すら、無かった気がするのだが。
頭を捻っていると、馬車の進みがゆっくりになった。徐々に速度を落とし、止まる。どうやら着いたらしい。
雛㮈が動く前に、カーダルが動いた。一人、サッサと降りてしまう。慌てて、後を追う。しかし、馬車から降りるのは、意外と怖い。着慣れないドレスだからかもしれない。数歩先に行っていたカーダルが小さくため息を吐き、戻ってきた。
「ん」
無造作に、手を差し出される。
「え…?」
突然のことに戸惑っていると、痺れを切らしたカーダルが、更に手を伸ばし、雛㮈の手を掴んだ。驚く間も無く、もう片方の腕が腰に周り、そのまま持ち上げられる。ピキンと固まった彼女の足は、ゆっくりと地面に着いた。
まるで抱き合っているかのような密着具合に、思わず息を止めてしまう。
相手はというと、然程気にも留めていないらしく、動揺した様子は無い。ただ、じいっと睨むように雛㮈を見ている。
「…なあ」
「っ、!」
なんでしょうか、という意を込めて、こくこくと精一杯頷いた。
「あれは…あのことは、絶対に陛下には言うなよ。その周りにもだ。むしろ、忘れろ。いいなっ?」
「は、はい?」
あのことって、どのことだ。目を白黒させる雛㮈に、「だから」とカーダルは一瞬目を泳がせてから、続けた。
「あの世界で、俺が…っ、その、死んでいい、とか…言ったこと、だ」
「え…」
確かに、記憶にはあった。しかし、口止めをするようなことだろうか。いや、されなくたって、人様にわざわざ言うようなことでもないが。
まじまじと彼を見ると、ぷいっと顔を背けられた。いつもの仏頂面。だけれども、耳が少し、赤い。これはもしかして、照れているのだろうか。
(あれ、じゃあ今日話してくれなかったのって…)
もしかして、照れていたから、なのだろうか。
そう考えると。何故だか、途端にカーダルに対して、親近感が湧いてくる。
というよりも。
(なんか、可愛い)
クスッと笑うと、凶悪な顔で睨まれた。怖い。
「言うなよ?」
「い、言わないです! 本当です! 神にも誓えますよ?」
「そこまでしなくてもいい」
にべもなく断られた。
抱き締め体勢から、ようやく解放される。それもそれで、そこはかとなく、気恥ずかしい。カーダル自身は気にした様子も無く踵を返し、一、二歩進んだところで不意に立ち止まった。
「…陛下からのお話は、お前にとって悪いことじゃないはずだ。多分な」
雛㮈は、遠ざかる背中を驚きを持って見たが、すぐに我に返り追い掛けた。その口元は、ここに着いた時よりも、ずっと和らいでいた。
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「よくぞ参ったの」
目の前に、お偉いさんがいる。洒落にならないレベルの。
震える足を叱咤して、ピンと立つ。
「光眠り病を治したと聞いたが」
「ひかりねむりびょう、ですか…?」
何のことだろう、と首を傾げると、王が仄かに微笑んだ。
「カーダルの妹君のことじゃ」
「あ…あ、はい。…あの、まだ、目が覚めていないですけど」
それを、救ったというのだろうか。居心地の悪さを覚え、視線を泳がせると、初めて会った時のように王の傍に控えるカーダルの姿が見えた。彼は、こちらを見てはいない。立ち位置が違うだけで、心の距離は果てしなく離れている気がした。彼は、どう思っているだろう。
「我が国では、五年前の事件から発生した、光眠り病が問題になっておる。お主にその力があるというのなら、助力を願いたい。無論、無償とは言わぬ」
今後の生活保証を含めた、至れり尽くせりの条件を、王は口にした。それほど、この問題は大きく、また難しいものなのだと、突きつけられた気分だった。
大したことはしていないはずが、とんでもないことを引き起こしてしまったのではないか。雛㮈は、責任感に押し潰されそうになる。
それでも。
「どうじゃの、引き受けてくれるかの」
リリーシュとカーダルの顔が、思い浮かぶ。彼らの悲しげな顔。きっと、同じ想いをしている人は、大勢いることだろう。それに貢献できるなら、と思う気持ちはもちろんある。
しかし、それ以前に。
(生活費が、仕事が必要です…!)
選択肢は、あってないようなものだった。―――現実問題として。