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9章

 場所は指定されていた。わたしたち演劇部も使う貸しスタジオだ。情報を得たのか、それともそれが適していると感じたのかは判らないけれど、非常にベストチョイスだと感じた。なんせ、迷わないしね。

 銀色の自転車を漕いで、最短ルートを辿り、オーナーに挨拶する。

 そして、新倉が待ち受ける部屋の扉を開けた。

「悪かったな」

 銀色の自転車を漕いで、息せき切って走ってきたわたしに、新倉はコーヒーを投げてよこした。む、無糖……。

「あ、もしかして飲めなかったか?」

「い、いや。ありがと」

 飲めないんだけど。ま、この場で空けなくてもいいでしょ。

 そんなわたしの心理格闘を尻目に、新倉は無糖ブラックを喉に流し込んだ。

「なんで、あんなことしたんだ、って話だよな」

「うん。なんで?」

 ふう、と新倉は息を吐いた。

「僕が話した、っててのは伏せておいてくれ」

 彼がとつとつと語りだしたのは、まあ、こんな話である。

 放課後、やることもなく、ぼーっと窓の外を見ていた新倉に、爽音が話しかけたのだそうだ。あまり新倉は乗り気ではなかったが、なんとなーく話をするうちに、話がはずみ、ぼそっと爽音が言ったそうな。

「お金がほしいんだ」

 と。

 ま、それは爽音に限った話ではないだろう。ブランド物の方がやっぱ映えるし、ちょっと値が張ったものの方が、明らかに物がいい。それに、何度も同じ服なんて着ていられないし。何かとお金は入用である。

 だが、彼女は二、三新倉が尋ねると、具体的な金額、五十数万円という金額を告げた。かなりの大金だ。とても一月や二月のバイトでは不可能な金額だ。

 でも、少し前までなら、新倉はそのくらいのお金は払えたのだという。

「僕は、顔を変えるために死に物狂いでバイトしてたんだ。で、それを一気に使って、今の顔になった」

 その額、倍の百数十万円だというから驚く。中学生の頃からコツコツ働いて、その金額をあっさり使うというのだから恐れ入る。

 そこまで話せば、あとはどの時代でもありがちな話なので、皆まで言わずともわかるだろう。爽音の彼氏は野球部の芝辻で、その芝辻とまあ、少しばかり火遊びをこじらせたのである。で、産むという決断には至らず、結果、途方も無い金額が必要になったが、芝辻は知らん顔を決め込み、爽音は途方に暮れていたというわけである。

 それを爽音はぽろぽろ涙をこぼしながら新倉に告げたのだという。そして、新倉は情にほだされ、自分の顔というとんでもない切り札を武器に、爽音の欲しがっていた五十数万という金を芝辻からむしりとり、それを爽音に渡したのだという。

「え、それじゃあ」

 わたしが顔にボールを当ててもさっぱり怒らなかったのは、つまりそういう訳だったのだ。

「ま、僕が芝辻の所に殴りこみをかけて、顔を殴らせるつもりだったんだけど、ある意味では幸運だった。バッターは気の毒、だったかな」

 ははは、と新倉は笑った。ははは、じゃないよ。ったくもー。

 ここで、爽音がなぜ自殺を考えたのかが薄ぼんやりとわかりかけてくる。

 そう、爽音は新倉からそれだけの恩を受けて、それが原因で新倉がいじめを受けるのを見て、耐えられなくなったのだろう。

 わたしは、呆れてしまった。それだけの恩を売って、さらに新倉は自分に危険が及ぶのも省みずに、放送室を乗っ取った。爽音を救うために。

 バカだ。この新倉明太という男は、大バカだ。

 はあ、とため息をわたしはついた。

「こんな時間に呼んだこと、怒ってるのか? 悪かったよ」

 ちがうちがう。そうじゃない。

 新倉、あんたがどうしようもないお人よしだってことに、呆れているの。そういえば、この男はわたしが倒れた時も、お父さんや玻璃にさんざん頭を下げ、わたしに謝罪するためだけにその場で待ち続けた。トコトン、バカな男なのだ。

 そして、わたしはそういうバカは嫌いではない。

「新倉、あんた時間は?」

「今日は完璧にフリーだ。いつまでも行ける」

「オッケー。それじゃ、トコトンまで付き合ったげる」

 それから、わたしと彼との通し稽古が始まった。そして、今度もまた新倉に驚かされる事になった。

 うまい。明らかにうまい。

 それも、桁が違う。

 台詞は丸暗記されていた。それでさえも驚きだったのに、彼はわたしが演じる社長以外の役も全てものにしていた。

 そこには、確かにリアルな派遣社員がいた。悲哀をにじませ、未来に絶望しつつも、日々仕事に励む女性社員がいた。それも四通りを綺麗に演じ分ける。

 わたしたちならば、与えられた役を演じる事に注力する。役を自分に近づけるというか、役と自分とを統合するというか。役がかなり破天荒な事を言っていても、わたし自身は自制心がかかって、無難な、わたしを突き抜けない程度の役を演じようとする。

 でも違うのだ、新倉は。役を演じる事に何のためらいもない。一切、それが元々新倉だったか首を傾げるほどに、乗り移ったかのようにその役そのものの動きをする。役がやらせているからわたしが悪いんじゃない、恥ずかしくないとかそういう感情の遥か外、役そのものが新倉だったんじゃないかというほどの、それほどの完成度。

 桁違いの演技力。これを逸材というのだろう。

 度肝を抜かれつつも、わたしたちは演じきり、一旦稽古を終わった。

「びっくりしたよ。すごい演技力じゃない!」

 わたしは新倉の手を強く握った。なりふりなんか、構っていられなかった。

 わたしの様子に新倉は驚いたようで、それに対して何かを言おうとしたが、わたしはそれを遮った。

「あのさ、正直な話するけど、わたしは、志岐センの言うことでも、さすがに今回はないかなって思ってた。だって、いくら美形って言っても、新倉くんは男子じゃん。男子はさすがにないわー、って思ってい、た!」

 たを強調。手も強くにぎにぎしてみる。

「わたし、新倉くんが主役やるべきだと思うのよマジで。というわけで、突然ですがわたくし用事が出来ました!」

 新倉はあっけに取られて言葉が出てこない様子だ。

「そんなわけで付き合えなくなったよ。ごめんね」

「お、おう……」

 新倉に手を振ってさよならを告げるなり、返事すら聞かずにわたしは銀色スポークを踏みしめていた。

 今しかできない。今しか、できないんだ。

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