3章
次の瞬間、気付くとわたしは病院のベッドの上にいた。
はて。頭の中を整理する。まさか新倉にこてんぱんにノされて病院に担ぎ込まれたのか? でもでも、顔も体も特に痛みはしなかった。せいぜい、手にブッ刺されてる点滴に違和感がある程度。
ってことは、やっちゃったなあ、という意識が沸く。わたしにとって、気付けばベッドの上だった、などという事は、取り立てて特別な事ではなく、ピザ屋の配達が頼めば来る程度には非常によくある事である。いつものように舌をぺろりと出して詫びれば、オヤも小言の二、三言を繰り出して黙るんじゃないかなー。甘いか。
さて、といつもならナースコールを鳴らせば終わるのだが、ベッドの脇に見慣れない物体がある。
新倉明太が、毛布をブレザーに掛けただけの姿でパイプ椅子に腰掛け、寝ていたのである。
「な、なななな……」
朝日を受け、長い睫毛と透き通るような長髪が、日の光を反射して銀色に輝いている。目を閉じて、緊張から解き放たれたその顔は、作り物めいたというよりは、子犬のような純真さを感じさせた。
こいつ、そんなに悪い奴じゃないのかもしれんね。
これだけ、邪気のない顔を見せられると、わたしの心にも少しばかり信じてみようかという気持ちも出て来る。
と同時に、触れてみたくなる。
や、だって壊れそうな硝子細工ほど、触ってみたくなるじゃん。壊したくなりはしないよ念のため。
ベッドからそっと立ち上がると、わたしは彼の頬に触れようとにじりよった。
途端、大きな声が聞こえる。
「ちょっとー、踊り子さんには触らないでくださーい」
見れば、ニコニコとした金髪の女性が、ドアをがらりと開けて入ってきていた。
「お、お姉ちゃん!」
わたしの姉、玻璃がそこにいた。ふわふわとしたロングヘアを掻き上げ、じーっとわたしを見つめている。ひょっこりと父親、鏡一郎も顔を出す。
「まー、そんだけ作り物みたいに綺麗なら、触りたくなるのも判るけれどねー。でも硝子、彼、本当にあんたのピンチを救ってくれたのよ?」
うんうんとうなずく父。そして続ける。
「お前、自転車に乗って彼と会った途端、倒れたらしくな。すぐに彼が救急車を呼んで、私達を呼びに来た。来た瞬間、申し訳ないと、擦り切れるほどに頭を地面に擦りつけて土下座をしたんだぞ、彼。私達が止めても、何度も、何度も。そして、心配ないと言うのも聞かず、お前が意識を取り戻すまで寝ずに待って責任を取ると言って、丸二日、学校も休んでお前が目覚めるのを待っていたんだ」
「疲れ切って寝てるあんたのナイトを、興味本位で触るのはどうかと思うなー、あたし」
と、玻璃は意地の悪い笑みを浮かべた。
「そ、そんな事!」
驚いて、わたしはベッドへと舞い戻った。大丈夫。徒歩3秒の距離だ。いや徒歩じゃないか、這って3秒だ。
そして、大きな声を聞いてなのか、新倉が目を覚ました。
「……お。賀上、目が覚めたのか!」
そして、パイプ椅子から降りると、毛布を乱暴に放ると、即座に地面に頭を擦りつけた。
「すまなかった! お前があんなに驚くとは思わなかったんだ。許してくれ」
仰天したわたしは、口をぱくぱくさせるばかりだ。
「そ、そんな……別に良いんだってば!」
つーかどっちかってーと加害者だし。それも超やべーし。
「いや。俺の気が済まない。何なりと言ってくれ。何でもする」
きっと新倉はわたしの目を見た。真摯な、透き通った目だ。
わたしはふと考えると、思い付いたように返答した。
「……じゃ、顔のこと、許して」
ま、それしかないよね。
それを聞き、一瞬新倉はきょとんとした顔をした後、大きな声を張り上げた。
「当たり前じゃないか! そんな事は、元々問題にするつもりもなかった!」
つい二週間前、同じように野球ボールを顔に当てられた時は、何が何でも整形代金をむしり取ろうと烈火の如く怒り狂っていた新倉だというのに、元々問題にするつもりもなかった、という。
わたしは混乱した頭を抱えたが、いずれにせよわたしの行いは不問という事に代わりはないわけですよ。
ま、ラッキーって事カナ?
ほっと胸をなで下ろす。
「では、すまないが僕は学校に行く。くれぐれも体には気をつけてくれ。それでは」
新倉は一礼をすると、そそくさと病室を後にした。
新倉が立ち去ったのを確認すると、父親は呟いた。
「立派な男じゃないか、硝子」
父はうんうんとうなずく。しかし、わたしは首を横に振る。
「でも、あの男、人一倍ヒドいナルシストなのよ。つい先日も少し顔を傷付けられて、五十万円以上請求したらしいの」
ふふ、と玻璃は笑った。
「なんでお姉ちゃんは笑うの?」
「なんでもなーい」
意味ありげに微笑む姉を尻目に、真意の掴めないわたしは小首を傾げるばかりだった。
また何を隠してるんだか。