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15章

 休日の朝は、遅くまで寝ていたい。だって、たまの休日なんだもの。バイトも全部オフ、稽古も全部終了。やっと本番だ。今日はひどい嵐だ。窓枠がガタガタ揺れている。まったく、雨なんか冗談じゃない。今日は新倉くんのオーディションもある。うまくいけばいいよね。あいにくの雨だけど、ね。

 てな感じに横たわっていると、着信音が鳴り響いた。わたしは割とこまめに着信音を振り分けている。この曲は、爽音からだ。ガーリーだけどパンキッシュなこの曲はとても合っていると勝手に思っている。そして面倒なので三歩ほど這って、そのままの体制で携帯電話を取った。

「はいはい、なんですか」

「ひさしぶり。いやなんか、本当ゴメンね」

 ま。新倉くんに助けられて、自分が許せなかったってのなら、少しはわかる。でもまあ、死んでおわびって、今日日流行らないけどね。

「いいって。どうにかこうにかなりそうだし」

「あー、この間言ってた新倉くん起用の話? あれでまとまりそうなら、あたし本当立つ瀬ないなあ」

 爽音の声は割と本気で沈んでいた。まあ、さらに迷惑をかけたって形になるわけだし。

「気にすることないって。まあ、いろいろあったけど、爽音の声がなければどうにもならなかったよ」

 これは半分ウソ。でもあの場、新倉くんの演技を見てもらうためには必要だった。当て馬半分の使い方だけど、恩返しってわけでそうそう悪い扱いでもないよね。

「そ、そう? ま、あのときの硝子は鬼みたいだったし。でもあれが無駄にならないだけ、あたし頑張った甲斐があったよ」

 はは、は。何度も確かにリテイクは繰り返した。一言一句すべて感情を込めさせた。だから朝までかかったのだ。

 でもまあ、そのわずか数日後に、遥かにキツイ指導を受ける羽目になった今となっては、あんなのは子供の遊びだったかな、と思ってしまう。

「そ、そうだね。あれは正直な話しんどかったよね。あー、ところで、今日はどうしたの?」

 これ以上過去の失敗(もちろん失敗じゃないけれど、こっぱずかしいことに変わりはない)を蒸し返されたくなくて、わたしは本題を促した。

「……」

 するとしばしの沈黙。うーむ。なんだというのだ、いったい。本題のためにわざわざ電話をかけてきたんじゃないのか。そんなに言いづらいことなら、直接。

 あ、停学中、か。

「あの、さ」

 で、ブレスをたっぷり貯めてから、勿体つけて爽音は言葉を吐いた。まったく、まどろっこしい。

「新倉くんの家に行ったのよ。あ、あたしじゃなくて、両親が」

 ま、わたしは行った事ないけれど、別にそれがどうした、という話だ。どうやって説明したかは考えるとシミュレーションしただけで胃が痛くなりそうだが、とりあえず恩人に恩返しという体裁はできる。実際、自殺騒動を止めたんだしね。

「菓子折りでも持っていったの?」

「ま、まあね。でも見つけられなかったって」

 変な話だ。見つけられない? よほど入り組んだ所の建物か、それとも表札も何もないマンションの一室か。郵便番号ひとつできっちり配達を済ませる運送会社がある以上、この狭い日本で見当たらないってことは無いだろう。

「そんな。引っ越してたとか?」

「そうかも。なんかすごく近くに、『葉石』って表札がかかってたらしいけど。違うよね」

 わたしは、凍りついた。聞き違いであって欲しいと感じた。葉石という苗字はそうある苗字ではない。だから違って欲しい。

「ハイシ、葉石優と、葉石あゆみって書いてあったらしいよ。ま、まったく関係ないよね」

 わたしの中の、決定的な何かが崩れた。

「まさか、その表札に」

「葉石明太って書いてあったらしいけどね。ひと気が無くて、とても人が住んでいるようには見えなかったらしいよ」

 ああ。

 ああ。そうなのか。

 さっきまでの自分ではいられない。

「そ、そう。ごめん、ちょっと切るね」

「え? ちょ、ちょっと? 硝子?」

 そして、わたしは新倉くんの電話番号に電話した。

 真実を確かめるなら、彼の口から聞きたかった。

 わたしには、死んででもお詫びしようとした爽音の気持ちが、今は痛いほどにわかった。膿みかけた傷口に張りかけた瘡蓋を、よせばいいのに痒さから弄り回してしまう。そんなイメージ。わたしは、傷口の核心をついて、膿を出したかった。

 誤解であって欲しい。そして、真実は遠いところにあって欲しい。

 だから、真実に一番近い人間に、助けを求めようとした。

 こっちの必死の思いを知ってか知らずか、電話はなかなかわたしに応じてはくれなかった。

 二コール。

 三コール。

 四コール。

 心臓の音が混じる。過呼吸気味に息が乱れる。わたしはきちんとベッドに座りなおし、彼の声を待った。携帯電話を握る手は、いつの間にか汗びっしょりだ。

 しかし、結局聞こえた声は、無機質な留守番メッセージを告げる声だった。

 ベッドに倒れこむ。

 いったい、わたしは何を。何をしようとしていたんだろう。

 糸が切れた操り人形のようにわたしは脱力し、ベッドへと舞い戻った。

 途端、電話が鳴り響いた。

「どうした、賀上?」

 こんな時間だというのに、微塵も迷惑だと思っていない事を感じさせる声色。

「あの、ね、ちょっと聞きたい事があるんだけど、良いかな」

 心臓は早鐘。一時も休まることなく、そればかりか嫌な汗が滲む。口の中がカラカラに乾く。

「なんだい? いきなり、どうしたんだ?」

「あなた、葉石明太なの?」

 電話の向こう側で、ためらうような声が聞こえた。

「――それを聞いて、どうするつもりだ?」

 冷たい声だった。今までに聞いたことの無いような、凍りそうに冷たい声。

「真実を、知りたいの」

「ああ。僕は葉石明太だ。その事実を確認して、君に何の得がある?」

 わたしは、上にカーディガンを羽織り、サンダルを突っかけた。

「あれ、どったの? 硝子? こんな日に?」

 店先では玻璃とゆらが居た。雨脚がひどいので、店をしまおうとしている様子だ。でも、そんな様子を尻目に雨の中わたしは、家を飛び出していた。

 銀のスポークは、こんな土砂降りでもわたしを裏切らない。

「硝子ちゃん? 硝子ちゃん?」

 傘をさしながらゆらが必死に駆けてくる。でも、わたしは全力で駆け抜けた。

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