13章
稽古が今日もまた始まった。いつも稽古は、ゆらのお父さんが経営している貸しスタジオを利用している。体育館は運動部、一室じゃ声が漏れるしって事で、どうにかならないかと思案したところ、ゆらのお父さんが提供してくれたという話だ。ありがたい。
そして、そんな訳でたまに、私たちの演技を見てみたいという人もいる。学校とは関わりのない人たちである。
だから今日も、おそらく、そんな感じの筋の人が何も言わずにサングラスをかけ、足を組んで、黙ってわたしたちの稽古を見ていた。
サングラス越しなので何を見ているかは判らないが、何も言わずに動きの全てをつぶさに観察している。その執拗さはどこか蛇を思わせた。
取りあえず、通しで稽古を終え、これから掘り下げてシーン毎を見ていこうとした矢先、その人は動き出した。
拍手をしながら、ゆっくりと新倉の近くに歩み寄る。
対する新倉はあまりに不審なその人間の動きに警戒している。
「いやあ、流石だ。志岐さんはとんでもない手駒を持っているね。はじめまして、新倉明太、くん」
髭面を口元だけ歪めて、その男は笑った。
「紹介しよう、劇団ウルフマンの井芹氏だ」
志岐センが立ち上がり、声をあげた。
「井芹肇と言います。定期的に志岐さんの元に来る人間には会いに来るのだがね、とてつもない新星が出たと聞いたんで、少し顔を見に馳せ参じたというわけだ」
髭面を少し緩ませて、井芹さんは笑った。だけど、新倉の姿勢は変わらない。
「別に僕は、新星とかじゃないですよ。演劇部にも入っていないし」
「おっと。こりゃすまない、つい、ね。しかし、原石どころか自分を磨き上げた石に巡り合うとは。新倉くん、君の演技は天性じゃないね。だからこそ、私は面白いと感じた」
え、っという顔を新倉は見せた。
「驚いたかね。ま、君くらいの年の頃は、自分だけが特別だと兎に角思いたがる。自分は他の人とは違う、こんなに秀でた特技がある、もし自分で何もないと感じていても、いつかは自分が他人とは違う何かを掴み取る、そう思って自分を鼓舞するんだ。
だから、われわれはその思い込みを剥ぎ取るところから始める。お前は有象無象だ、単なる路傍の石ころなんだぞ、ってね」
ひどい事を言う男だ。そんな事を正面切って言われて、怒らない人間はいない。
でも、新倉の反応を見ても、一切動じてはいなかった。井芹は続ける。
「年を重ねるとその思い込みは消える。だってそうだろう、夢を抱けるのは将来が定まっていない内だけ。君たちで言うところの将来、われわれにとっては現在を目の前にし、その渇いた状況を垣間見れば、特別なんてあり得ないと気付く。そして、未来永劫変われないと判る。使える時間も無くなる。そうなっては遅い。だから、そうなる前に下手な自尊心を殺し、自分が特別でなければ、特別を獲得するように努力をさせる。そのプロセスが重要だ。ところが新倉くん、君にはその自尊心が見えない。当に殺されている。当に死んでいるにも関わらず、君は前に進んでいる。磨き上げている。面白い、これは面白いよ」
井芹氏は笑った。でも、新倉は少しも笑わない。ま、当然だろう。
そして新倉は少し口を開いた。
「ひどい事を仰いますね。僕にはまるで、君はプライドがへし折れた腐りかけに見える、と言われているように聞こえましたよ」
新倉の言葉にもトゲがある。それも当然だろう。
「ハハハ、手厳しいな。だが、私は君を買っている。その出自が何であれ、我々は君を歓迎する。明後日、ここでオーディションを開く。うちも大所帯でね、数多くテレビにも出ている連中もいる。これは君にとっても大きくチャンスだと思うがね」
井芹氏は、新倉の挑発には動じない。そして、小さなパンフレットを新倉に手渡す。場所はここだ、という意味だろう。
「はは、どうだ新倉。いい話だろう」
「……どうして」
新倉はぼそりと呟いた。
「え?」
「志岐先生、貴方はどうしてこの人を呼んだんですか?」
「お前が足掻いているように見えたからだ。足がかりは何でもいい、私は手をさしのべてやりたかったんだ」
新倉は大きく呼吸を溜めた。そして大声で一声。
「勝手な事を、するなーッ!」
新倉は、全力で走っていき、ドアを開けて外へと出て行った。
乱暴に閉められるドア。
皆、あっけにとられ、何も出来ない。
「私、新倉くんを探しに行きます!」
「あ、硝子!」
波留が止めようと手を出したけど、わたしは振り払う。自然とわたしの脚はかけ出していた。
バカで不器用な新倉。目の前にチャンスがあるのに、あんなに演技力が凄いのに、どうしてそれをむざむざ捨てるような真似をするの?
「井芹さん、つれもどして来ますから、待ってて下さいね!」
「あ、ああ……」
返事を聞く間も無く、私は部屋を後にした。
またも乱暴にドアは閉められ、あっけに取られる一同。
「あっれ、おっかしーな。あたしの見立てじゃ、新倉は演技をもっと大舞台でしたがってるように思ってたんだがなあ」
「志岐さん、思うんだけどね、あの子は演技を怖がってる」
井芹は真面目な顔で言った。
「憎まれ役は辛いなあ、ハハハ。でも、私はああいうタイプ、嫌いじゃないですよ」
井芹は笑みを浮かべた。




