1章
わたしはカフカの「変身」が嫌いだ。
どんな話かと言えば、朝目覚めると虫の姿に変わっているというそれだけのお話である。なんで虫に化けちゃうんだってあたりに様々な心理的やら、表現上やらの解釈がなされているみたいだけれど、わたしにとっちゃそんなの全く関係ねーのだ。
もー、生理的にも心情的にも感覚的にも、ド真向から受け付けられなかった。大体、嫌いなものに理由なんか必要あるわけがない。
じゃあ読むなよ、って話ではあるんだけれどね。
でも読まなきゃいけなかったのですよ。
思い出すのもイマイマしい、夏休みの課題図書。イマイマしい、ほんとーにイマイマしい、何のためにあるかわからないあの苦行。
でもまー、小中高とある程度の回数を積み重ねれば、原稿用紙を埋めるのは割とチョロいモンである。主な秘策は本の一番後ろに書いてある、書く事やら読む事やらのプロが書いた感想。腐っても鯛なワケで、プロが書いた文章なんだから、よっぽどヒドくない限りあれを生徒が感じるであろうレベルにまで落とせば、あっというまにマス目が埋まって感想文は終わりを告げる。
敵よさらば! 夏休みはかくして有意義に過ごせる!
でもでも、わたしは考える。
いやいや、先生もその程度の策は考えているでしょ、と。流石に課題図書なら読んでいるでしょー、と。まるまる写した感想文を提出すれば、苦笑いされた上に、赤字で、
「感想を丸写しは感心しません。もう一度、自分自身が思ったことを書いてみましょう」
なんて事を書かれて、最悪突き返されるんじゃないかなー、と。
つまるところ、一応さらっと目を通しておいた上じゃないと、この秘策も使えないというワケ。もっとも、担当の教師が後ろの感想を読んでいるなんて確証もないわけだけれどね。
かくして、わたしは課題図書を買いに書店に走り、一番スリムなサイズの本を買ってきたワケである。ほら、やっぱ読むのは短い方が読み終えるまで早いじゃないですか。
それがたまたま「変身」だったのだ。
思えば、手に取った瞬間に動物的危機感を察知させて、避けておけば良かったのだ。
でもでも、見た目にダマされて、わたしは「変身」を買ってしまった。
内容はまあ、結構切ない話なんだけれど、何よりもわたしの心を抉ったのは、自分が虫になってしまうという事へのとてつもない恐怖感だった。
朝起きたら男になっていた、とか、老人になっていたでもかなりイヤだけれど、虫は極限にイヤだ。結局、意思疎通がはかれないのに、虫となったままに主人公のザムザはあれこれ思索を巡らせながらも、何も出来ずにあっさりと死んでしまう。
読みながら異常な動悸と脂汗に襲われつつ、わたしは一応読み終えるも、読み返す気力も体力もなく、マス目をただ漫然と埋めて提出した。数日は悪夢を見た。もちろん、朝起きると虫になってたって類いの。
ちょっとどころじゃなく、そーとーに精神的にこたえた。
なんで、そこまで精神的にこたえたのか。自分なりに考えてみれば、自分が自分じゃなくなる恐怖は、多分わたしにとって大して遠い話じゃないからじゃないか、って思う。
わたしは良く倒れる。もう、何の前触れもなく、あっさりと気分を悪くして、ぱたっと倒れて、良く救急車のご厄介になる。
その原因というのも、わたしは、わたし自身から拒絶されているからである。
医学的には拒絶反応とか言うらしい。ま、何が原因であれ、突然、自分から拒絶されるというのは凄く嫌なものである。
幸いなことに、日常生活に問題はないし、軽微なものなので無理をしなければ問題はない、と医者からは言われている。でも、少しずつ自分が自分ではないものに変わっていくかもしれないっていう疑念は、常に晴れない。
極論、わたしは朝目覚めたら虫になっている。その予兆が自分からの拒絶だとしたら、わたしにとってザムザの恐怖は、あまり他人事じゃねーのである。
そんなわけで、わたしは「変身」が嫌い、いや、大嫌いなのである。