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とある不思議な喫茶店

作者: 紙代衣

 体中が酸素を求めていた。

 乱れる呼吸で、それでも必死で空気を吸い込むと、喉にねっとりとした夏の風が入ってくる。

 天気予報で言っていた記録的な猛暑の中走っていたのを表すように、少年の全身は汗をかき、着ていた制服はぐっしょりと濡れて気持ち悪い。

 少年こと池田正人は体力の限界、あるいは肌に張り付くズボンのせいか足元をふらつかせ、すぐ脇にあったドアへ倒れかかり――扉を押し開ける形になった。

「うわっ!」

 勢いよく開いた扉はドアベルを甲高く鳴らし、同時にそこにいた人の目を引く。

「今日は珍しく元気な来客ですな」

「か、匿ってください!」

「訳ありの様子。条件付きですが、こちらへ」

 突然の入店方法にもかかわらず、奥のカウンターに立つ男性は顔色一つ変えずに笑みを浮かべる。

 藁にも縋る思いで正人はカウンターの裏に入ると、狙ったかのようなタイミングで扉が開く。

「邪魔するぜ」

 声に正人の肩が跳ねる。

「ここに制服着たガキ、来なかったかい?」

「ようこそ、喫茶ガラサへ。私はマスターをやっております――」

「俺たちゃ客じゃねえよ。ガキがここに入ってきただろ?」

「はて、なんのことやら」

 窺うようにマスターを見ると軽くウインクされる。

 恐る恐るカウンターから顔を出すと、そこにはやはりヤツラがいた。

 黒の皮靴に黒のスーツはまだいい。普通のサラリーマンにもいる。しかし腕や首に巻かれた金色の装飾品はどうだろうか、どう見ても普通の一般人とは思えない。髪型に至っては坊主にパンチパーマに角刈りだ。

 誰がどう見てもヤのつく自由業の方々だった。

「いえ、本日の来店は一人もおりませんでして、閑古鳥が鳴いていたところです」

「嘘吐くとただじゃすまねえぞ?」

 言いながら近場にあった椅子を蹴飛ばすと、

「あ、ヤバ……」

 驚いた拍子に正人が床のビンを倒してしまう。転がっていくビンを止めようと手を伸ばすと、急に口と体ごと引っ張られる。

「しっ、今は黙ってて」

 耳元で囁くように告げる声に無言で頷く。

「今、何か音しなかったか?」

「見てください、ビンが転がってますぜ」

「すみません、驚いて倒してしまったようです。それとこの店は基礎が歪んでいまして、こうして丸いものは転がってしまうのですよ。勘違いさせてしまった代わりにコーヒーを一杯いかがでしょう?」

 スラスラと言葉を紡ぐマスターは表情一つ変えず、笑みを湛えたまま対応している。それに納得はしていないようだったが――

「ちっ、行くぞ」

 全く動じないマスターを一瞥すると三人は扉を開け放って外へと出ていく。その後ろ姿は勢いで戻ってきた扉で見えなくなった。

「……もういいですよ」

 男達が去って少しの間を空け、マスターは穏やかにそう言った。


 正人の通う学校付近にあるら喫茶店ガラサ。その噂だけは聞いていた。

 不思議な雰囲気の店内はアンティーク調に染まり、時間の流れに取り残されたような独特の空気に支配されているという。しかしそれだけで噂になるわけもなく、そこから先に噂の大本がある。

 ――ガラサのマスターは、初めて来店した客の願い事を一つだけ叶えてくれる。

 嘘か真かは定かではないが、噂はそういう内容だった。胡散臭いにも程がある。

(どっちにしろ俺の願いは匿ってもらったことで終了だろうなぁ)

 嘆息を飲み込み店内を見渡せば、高額そうな飴色がこの小さな世界を彩っている。正人とマスターを隔てるカウンターもさることながら、配置されているテーブルとイスまで統一されている。視界の隅に入った蓄音機が曲を奏でていたら映画の中にでも迷い込んだと錯覚したことだろう。

 微笑を湛えるマスターに促された正人はカウンターの一席に腰を下ろしていた。暑さと恐怖による汗は何時の間にか引いていた。

「追われていた?」

「ええ、まあ……正確には現在進行形ですけど」

 何も言わずに出されたお冷やをチビチビ飲みながら頷く。

 ことの成り行きは放課後だった。

 池田正人という少年を一言で表すと、青春一途とでもいえばいいだろうか。

 正人は恋愛がしたかった。正確には出会いが欲しかったと言えるだろう。高校に入学して月日は流れ、期待していた出会いなどなく、恋愛など夢のまた夢。だからこそ正人は自ら掴むことにしたのだ――ナンパという手段を持って。

「それと先程の方達との関係が見えないのですが?」

 ああそれは、と正人の説明は続く。

 ナンパに全力を出していた道すがら、女の子の前に回り込んでの方法だったのが仇になった。向かいから歩いてくる自由業の一人に背中からぶつかり、顔を見た瞬間、謝る前に脇目もふらず一目散。まさに脱兎のごとく駆け出していたのだ。それが今に至る経緯だった。

「大変だったねぇ」

 深い溜息を吐き出す正人に、隣に座っていた人物が肩を叩いた。

「そりゃどうも」

 苦笑を浮かべるその人物は、正人と同じ制服であり、口調が少し男勝りな印象を感じさせる少女だった。カウンターの裏で口を塞がれたのは彼女の仕業だ。

「ていうかマスター、お客さんいるじゃないですか。どうして嘘吐いたんです?」

「あそこで客がいるって言っちまったら、アンタがいる判断材料になっちまうだろ?」

 言われてみればそうだ。一人でも客が入っているとなれば、男達にとってそれが正人だと判断する材料になる。そこまで考えての嘘だったのだと今更ながらに気付き、感謝した。

「ありがとうございました、あとこれで失礼します」

「ちょっと待ってください」

「はい?」

 そそくさと退散しようと腰を浮かした矢先にマスターから呼びとめられる。

「もしかするとまだ付近で待ち構えているかもしれません。時間潰しにコーヒー、一杯どうですか?」

 浮いていた腰がそのまま沈むのに時間はかからなかった。

「それと匿ったことの条件、忘れてませんよね?」

 座り直した後悔が、積もる時間はあっという間だった。


「条件ってなんですか?」

 出されたコーヒーを半分程飲み終えた頃合いで、問題である条件について問いかけることにした。店内の雰囲気があまりにゆったりしているのと、マスターがいつまでも口を割らないので状況を進行させたかった。

「条件はそこのお嬢さんと一緒に店から出てもらうことです」

「は? それはどういう――」

「そういえばアンタ、ここ――喫茶ガラサの噂知ってる?」

 疑問を遮るように少女が割り込んでくる。しかも関係のない方向で。

「まあ、一応……」

 ――ガラサのマスターは願い事を一つだけ叶えてくれる。

「あんなの噂ですよ。大体本当でも俺は匿って貰ったんで願い事は終了です」

「ま、そうかもな。もし叶えてもらえたら何を願ったんだ?」

「そりゃ青春謳歌のために彼女をください、って願いますよ」

「努力もしないで?」

「努力はしてます。その途中で追いかけられたんですから」

 そういやそうだったな、と少女が笑う。

「ところで、その彼女に求めてるのはなんだい?」

「そうだなぁ、見た目はそんなに重要じゃないですね。でも内面はしっかりとしてて頼りがいがある方がいいかなって」

「確かにアンタは頼りなさそうだ」

 酷いとは思うが反論はしない。

「さて、そろそろアタシはお暇するよ」

「えっと、じゃあ俺も」

「はい。ありがとうございました」

 マスターの声を背に受け、二人は歩き出す。

「そうだ、君はマスターに何か願い事頼んだの?」

「ん、したよ」

 一歩前を歩いていた少女がくるりと振り返り、人差し指を正人に向ける。

「もう一度、君に逢わせて欲しいって、ね」

「……え、もう一度?」

 二人が出て行き扉が閉まり、

「またのお越しをお待ちしております」

 誰もいなくなった店内。

 マスターは誰ともなしに笑みを浮かべていた。

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