Episode : 3 (Lithium) / Hello Another World
ユズキは一人、草原のど真ん中に仰向けに倒れていた。
ユズキは空を見た。とても青い。
雲も普通の積雲。
(ユズキ)「……」
そこで初めて、彼は状況を思い出す。
飛行機、乱気流、失速。
(ユズキ)「……あの後、どうなった?」
飛行機の残骸はない。
人の気配もない。
ただ、風だけが吹いている。
草が波のように揺れている。
空は高く、雲はゆっくり流れていた。
数秒。いや、十数秒。
彼は瞬きもせず周囲を見回していた。
(ユズキ)「……」
遠くに山がある。
なだらかな丘陵がいくつも重なり、その向こうに岩肌の見える山並みが続いていた。アルプスほど鋭くはないが、日本の山とも少し違う。
そして、ぽつりと呟いた。
(ユズキ)「……天国?」
普通の人間なら、恐怖に襲われる場面だった。
だがユズキの表情には、不思議と恐れがなく、それどころか興奮した様子だった。
目が、輝いていた。
(ユズキ)「……いや」
(ユズキ)「持ち帰ればノーベル賞ものだな」
彼は小さく笑った。
そしてすぐに、状況確認を始めた。
ユズキはまず自分の方へ視線を向けた。
(ユズキ)「着ていた服だけ残った、と」
だが、ユズキはすぐに立ち上がった。
周囲を見渡しても、馬之助の姿はない。それどころか、白衣すらない。
(ユズキ)「白衣もないのか...」
少し残念そうに、次に地面を見渡す。
しゃがみ込み、土を指で触る。
乾いた褐色の土壌。
砂がやや多い。
石灰石の小石が混ざっている。
(ユズキ)「石灰石か……?」
ユズキは少し興奮気味だった。
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<解説>
石灰石は、炭酸カルシウムCaCO3からなる鉱物である。石灰石は太古の海洋で、サンゴ、石灰藻、コケ虫、貝類など炭酸カルシウムを主成分としたの殻を持つ様々な生物の死骸が溜まり、圧力が加わることででき、年間数cm程度の速度で陸の方に移動する海洋プレートのはたらきで陸地に運ばれていく。
石灰石の用途は非常に多岐にわたり、塩基や栄養素として土壌改良に使われる他、漆喰やセメントの原材料、製鉄時にスラグの除去など、非常に広く使われる。
ここで、石灰石が存在することがあきらかになったということは、少なくともプレートの運動があり、炭酸カルシウムを主成分とする生物がいたということであり、地球に似た生物進化を辿ってきた可能性があるということだ。
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次に空気と重力。
ジャンプして確かめる。
(ユズキ)「少なくとも呼吸可能」
(ユズキ)「重力加速度は近い...ほぼ1G」
ユズキは周囲の草を観察し始めた。
一本を引き抜く。
葉の形、根の構造、茎の太さ。
しばらく無言で観察した後、ゆっくり言った。
(ユズキ)「……エーデルワイス」
白い小さな花。
ヨーロッパブナに酷似した落葉高木。
遠くの斜面を彩る、針葉樹の深い緑。
やがて結論を出す。
(ユズキ)「植生は――」
(ユズキ)「ヨーロッパそのものだ」
気候帯、草原の構成、植物の種類。
どれも、彼が文献で見たヨーロッパの山地草原と一致していた。
数秒の沈黙。
そして。
彼は、にやりと笑った。
恐怖ではない好奇心だった。
(ユズキ)「面白い」
(ユズキ)「本当に別の世界だったら――」
彼は拳を握った。
(ユズキ)「科学が宇宙共通言語かどうか証明できる」
風が強く吹いた。
草原の向こう。
遠くの丘の上に――
石造りの塔のようなものが、かすかに見えていた。
丘を越えると、それははっきり見えた。
灰色の石で組まれた建造物。
尖塔、赤茶けた屋根、煙を吐く煙突。
ユズキは足を止めた。
(ユズキ)「……石造建築」
さらに進む。
舗装されていない砂利道。
火はランタン。
彼の脳内で歴史年表が高速で展開される。
火薬はあるか?
印刷技術は?
水車は?
その前に、明らかに異質な視線。
ブレザー、制服姿。
化学繊維。
スニーカー。
(???)「変な服だわ...」
なぜか言語は理解できる。
(ユズキ)「なぜ日本語が通じるんだ...」
観察を続ける。
通りの角。
木製の看板が目に入った。
ジョッキの絵、酒場。
その瞬間、中から聞き覚えのある声が響いた。
(???)「おそかったな!」
ユズキの足が止まる。
(???)「死んだかと思ったわ!」
パンをかじりながら笑っている馬之助だった。
(ユズキ)「いや、一回死んでるけどね」
(ユズキ)「……生きてたか」
(馬之助)「それ俺のセリフ!」
二人は一瞬、互いを見つめる。
それから同時に笑った。
酒場の中は、木の匂いと酒の匂いが混ざっていた。
木製の長椅子。粗いテーブル。
(馬之助)「ほら。とりあえず食え」
馬之助はパンをちぎってユズキに差し出す。
(馬之助)「目ぇ覚めたら森みたいなとこでさ!」
(馬之助)「とりあえず人いる方向に歩いたらここ!」
(馬之助)「言葉、なんか通じるぞ。ちょっと訛ってるけど」
(ユズキ)「なんで言語と地域が和洋折衷なんだ……」
ユズキは周囲の会話を聞き取る。
確かに、日本語だ。
だが発音も語彙も微妙に違う。
彼の視線は酒場全体をなめる。
ほとんど木製の食器。
肉は吊るされている。
ハエが飛んでいる。
保存技術は低そうだ。
(ユズキ)「衛生概念は……」
(ユズキ)「潔癖症には厳しい世界かもしれない...」
ユズキは潔癖症だった。
ユズキは周囲を見回す。
(馬之助)「で、ここはどこなんだ?...」
(ユズキ)「電灯なし。蒸気機関の痕跡もない。金属加工は粗い」
(馬之助)「つまり?」
(ユズキ)「中世相当のどこか」
(ユズキ)「時間軸が違うか、世界が違う」
沈黙。
馬之助はパンをもぐもぐしながら考える。
(馬之助)「……異世界?」
(ユズキ)「可能性はある」
(馬之助)「いやもっと動揺しろよ!」
(ユズキ)「動揺してもデータは増えない」
そのとき、外が騒がしくなった。
担架が通る。
咳、汗、血の混じった痰、呼吸困難。
酒場の客の一人が眉をひそめる。
(???)「まただ……」
(???)「南区画から広がってる」
(ユズキ)「感染症......」
――それは、あきらかにあきらかに感染症の兆候を示していた。
そして、文明レベルの低さは、感染症を致命的なものにする。
参考文献
https://www.limestone.gr.jp/introduction/
https://doi.org/10.11451/mukimate1994.2.49




