第92話:重力魔法解析深化
ヴァルター戦、終了後の深夜。
陣営の天幕内。
僕の視界は、高輝度のグリッド線に埋め尽くされていた。
脳内演算(TV)が自動起動し、停止命令を受け付けない。
『脳内温度:45.0℃/過去ログ解析……実行中』
網膜に、重力魔法の構造データが強制展開される。
『比較対象:ヴァルター(重力加速度2.0倍)/アーサー(重力加速度3.2倍)』
アーサー――。
誰だ、それは。
思考の隙間を埋めるように、首から下げた「外部メモ」を繰る。
『アーサー:父』
父。
その単語の定義が、僕の脳内からはすでに消失していた。
TVは、止まることなく数値を流し続ける。
『重力魔法:心臓を起点とした放射状マナ展開』
『波長:0.7μm/周波数:428THz』
無数の数式が、濁流のように意識へ流れ込む。
なぜ、僕はこの式を知っているのか。
学習した記憶は、一滴も残っていない。
『重力魔法の弱点:接地面の状態に依存』
『乾燥土:効果100%/湿土:70%/泥:40%』
(だから……僕は、水を撒かせたのか……)
先日の勝利に、ようやく論理的な裏付けがなされる。
だが、その戦術を選択した際の「感情」も「確信」も、今の僕には観測できなかった。
天幕の入り口に、高輝度の熱源が影を落とす。
誰だ――。
検索。
『アルベルト』『リーナ』『ガルド』。
メモに記された「味方」のリスト。
目の前の熱源が、そのどれに該当するのかが判別できない。
「ロラン、僕だよ。アルベルトだ」
「……肯定。信じます」
僕の機械的な返答に、アルベルトの顔(熱源)が歪んだ。
おそらく、悲嘆の表情。
「ロラン……ずっとTVを起動させているね……。どうして、自分を休ませないんだ?」
どうして――?
問いを反芻するが、エラーコードしか返ってこない。
「判別不能。わかりません」
アルベルトの瞳から、再び熱い液体が零れた。
「もう休んでくれ……。お願いだから、ロラン……」
「了解しました」
外部命令に従い、横になる。
だが、瞼の裏側でもTVの演算は止まらない。
白銀のグリッドが、視界の奥底を焼き続ける。
『空間圧縮:高次重力魔法/多層マナ構造』
『解析進行度:68.3%/完全解析:推定28時間』
自律制御を失った脳が、勝手に世界を解体していく。
止められない。
『脳内温度:45.5℃/警告:個体維持限界を超過』
頭蓋の内側が、凄まじく熱い。
だが、それを「痛み」として処理する機能は、すでに破棄済みだった。
――翌朝。
僕は、定められた時刻に体を起こした。
メモを確認する。
『今日やること:?』
空白。
何をすべきか、目的の記述がない。
天幕の外に出ると、灰色の兵士たちが慌ただしく動いていた。
一人の熱源が、僕に近づいてくる。
「主様、朝ごはん」
差し出された、灰色の固形物。
これは……何だ?
「パンだよ」
メモを検索。
『パン:主要な栄養摂取源』
口に入れる。
味覚の信号は途絶しており、ただ熱量(温度)だけが、喉を通り過ぎていった。
「主様、今日はどうするの?」
わからない。
TVを強制起動。
『現在位置:グライゼル領西部/敵残存兵力:600』
『推奨行動:追撃による殲滅/予測勝率:78.2%』
「追撃を敢行。勝率、78.2パーセント」
唇が、演算結果を音として吐き出す。
独立連隊が、機械仕掛けの歯車のように動き始めた。
何のために、僕は彼らを死地に追いやるのか。
わからない。
ただ、TVが最適解を表示する。
だから、僕はそれに従う。
――昼。灰色の平原。
TVが、不可視の索敵網を走らせる。
『敵部隊接近:前方3キロ/兵力:600』
「全軍停止」
視界に、戦術図が重なる。
『推奨戦術:側面包囲/勝率:78.2%』
「左翼部隊、右に迂回。右翼部隊、左に迂回。包囲陣形を構築」
兵士たちが、僕の言葉に従い散っていく。
戦闘が始まった。
灰色の影と影が交差し、熱量が散乱する。
何も感じない。
ただ、変化する数値を見つめるだけ。
『味方損失:80/敵損失:400』
数時間後、戦場には「沈黙」という結果だけが残った。
『戦闘結果:勝利/勝率予測との誤差:0.0%』
計算通り。
それ以上の感慨は、どこにもない。
――夜。
揺れる火影の中で、僕は外部メモを見つめていた。
『記憶破棄進行度:98%/次回破棄予定:生存本能』
生存本能――?
検索。
『生存本能:個体が生存を継続しようとする根源的欲求』
生きたい、という欲求。
僕は、生きたいのか?
そもそも「生きる」とは、どういう状態を指す定義なのか。
今の僕には、その解さえ導き出せない。
新しい記録を、メモに刻む。
『重力魔法を解析。理由、不明』
『戦闘に勝利。理由、不明』
『この個体は、生存中。理由、不明』
すべてが、不明。
すべてが、空白。
ただ――TVが駆動し、数値が流れ続けている。
灰色の夜空を仰ぐ。
星々の瞬きは、すでに遠い。
(僕は……何だ……?)
答えは、永久に出力されない。
それでも、明日はやってくる。
TVが戦えと指示するから、僕は剣を振る。
ただ、それだけ。
色彩を失った、熱すぎる灰色の世界で。
ロランは、ただ一人の「装置」として、座り続けていた。




